日本の情報に詳しいフランス人がよく口にすること。それは、「日本人は何でもグループを作って名前をつける」ということである。ニート、オタク、フリーター、引きこもり、癒し系、アラフォー、ネットカフェ難民、草食男子など、人(及びグループ)を形容した名詞が日本語には多く存在する。確かにフランスにはない文化だ。
さらにフランス人はこう続ける。
「どんな人にも属するグループっていうのがあって、そのグループ内でも誰々さんは~系、といった具合に区分けされる。フランスにはそんなに細かく区分けする言葉なんてありません。フランスでグループを形容する名詞と言えば、男、女、同性愛者、ビセクシュアル、観光客、売春婦…ぐらいかな。」
日本社会が個人主義化していると、昨今の報道メディアはこぞって取り上げているが、本物の個人主義社会に生まれ育った人から見れば日本はまだまだ集団主義社会といえるのだろう。
個人主義と集団主義に関しては多くの社会学者がそれぞれの持論を述べている。
「個人主義と社会主義」の著者、ハーリー・C・トリアンディスによれば、集団主義者は、「みんなの考え方、感じ方、行動が同じであること」を望む。
「心でっかちな日本人」の著者、山岸俊夫によれば、日本人は内心では、「個人主義でもいいじゃないか」と思いながら、「周囲は集団主義的に考えているに違いない」と思いこんで行動する結果、社会全体としては集団主義的な傾向を示してしまう。
「英国のバランス・日本の傾斜」の著者、渡辺幸一によれば、公と個人の関係を重視するイギリスなど欧米の個人主義と比べ、集団のなかにまぎれ、依存する度合いが高いことが日本人社会の特徴である。
例えば、日本で洋服を買いに行く。すると、気に入った服を試着したあなたに、ショップの店員はこう話しかける。
「この服、今すごく売れているんですよ。私も色違いで2着買っちゃいました。」
翌々聞いてみると、全く意味を成さないこのフレーズだが、集団主義志向の日本人の心をうまく掴んだ商売文句である。日本人というのは、集団のなかの個人になればどこか安心してしまう民族なのかもしれない。また反対に、「マイナスイメージのグループ」をつくることで、自分を守ろうとする。自分はあのグループには入りたくない、あのグループに入るのが怖い…といった日本人の心理からも、新しい言葉が誕生する。
私の知り合いで、日本在住20年のフランス人の大学教授はこんなことを語っていた。
「日本人というのはいろいろなグループを作り、“自分はこのグループに入る人間だ”と自覚している。そのグループのカテゴリー分けをするのは、誰か?という話になると、日本人は“普通の人”と答える。しかし、これだけいろんなグループ名がある社会では、結果的に“普通の人”というのはごく希少な存在になるのではなかろうか。そしたら、“普通の人”という、また特別なカテゴリーをまた作らなくてはいけない。」