以前書いた記事、『日本好き外国人が日本人とは友達になれないと思ってしまう理由5つ』では、日本人と仲良くしたいのになれない外国人の悩みやその原因を紹介した。この記事のなかでは日本人のどのような行動が外国人を困惑させるのかを書いたが、最近、日本にいるアメリカ人の友人と話をしていて、新たに外国人が困惑してしまう日本人の言動に気づかされたので、ここで紹介したいと思う。
日本にいる外国人は(全てではないが)よく、「日本人と友達になるのは難しい」という。その理由をつっこんで聞いてみると、「日本人は何を考えているかわからない」とか、「日本人はうわべだけ」と言われる。日本在住外国人の中には、日本人のいないところで、「日本人はhypocriteだ」と言う人もいる。
hypocrite(ヒポクリット)とは、「偽善者」、「猫かぶり」という意味で、非常にネガティブな言葉だ。英語でヒポクリットと言われると、全面的に否定をされたように聞こえ、ドキッとし、そんなことはないと反論したい気持ちになる。日本人は英語で言うところのhypocriteには当てはまらない気がするからだ。
それではなぜ、外国人は日本人はヒポクリットだと感じるのだろうか。どこから誤解が生じ、どこにすれ違いがあるのだろうか。
それは、日本人が「みんなに等しく親切だから」ではないかと思う。
筆者がそう思うのは、日本で英語講師をしているアメリカ人のTの体験談が元である。彼は数年前、留学生として日本にやってきた。留学期間を終えた帰国の1年後に、小学校の外国人教師としてまた日本にやってきたのだが、彼が日本へ引っ越してくる際に、諸々の手続きや部屋探しなどを手伝ってくれるよう、留学生時代にできた日本人の友人数人に声をかけたそうだ。
彼がそのとき、一番当てにしていた友人はケンタ(仮名)。ケンタとは留学時代にしょっちゅう飲み会を開いた仲だ。Tの帰国後にケンタがアメリカに遊びに来たときは、もちろんアパートに泊まらせてあげたし、観光の案内もした。Tは日本生活を始めるのに、きっとケンタは手伝ってくれるだろうと期待していたそうだ。
しかし、「手伝ってほしい」といくらメールをしてもケンタからの返信はなかった。Tはケンタを頼りにしていたので、とてもがっかりしたという。日本語が日常会話レベルの彼にとって、部屋探しのための不動産屋との会話も、大家さんとの会話も一苦労だった。
そんな彼を救ってくれたのは、彼はそこまで仲がいいとは思っていなかった日本人、ケンジ(仮名)だった。ケンジは、彼と頻繁に連絡を取り合ったり、遊んだというわけでもなく、会ったら話す程度の仲だったそうだ。しかし、ケンジは不動産屋を一緒にまわってくれたり、役所の手続きをしてくれたり、休日をまるまるつきあってくれたり、とにかく献身的に尽くしてくれたという。Tはこのときの体験を振り返って、こう語っている。
日本人はアメリカ人と違って、みんながみんなに親切だから、自分にとって誰が本当の友達なのかわかりにくいよね。日本人と接していると、どの人も僕の”最高の友達”に思えてくる。でも、”仲が良い風”に見える人が本当に自分のことを大切に思ってくれているとは限らない。こういうことはアメリカでももちろんあるけど、特に日本では、自分の友達が誰なのかわかりにくいなぁ。だって、みんなすごく”いい人”に見えるから。
これは友人ケンタの問題であって、全ての日本人に当てはまるわけではないが、彼の言わんとするところは何となくわかる気がする。欧米人は基本的に、日本人よりも感情をストレートに表現する人が多い。だから、出会った人みんなに親切にするというよりは、自分の気に入った人や仲のいい友人に感じ良く接する。反対に、嫌いな人や印象の悪い人、どうでもいい人にはわりと露骨に嫌な態度をとる。
フランスでも同じことがいえて、自分の知っている人や友人などにはよく笑うのに、嫌な人が来たとたんにそっけない態度になる人がいる。日本人なら曖昧に隠そうとする負の感情を、こちらの人は隠そうとはしない。好き嫌いのはっきりした欧米人はどの人が好きでどの人が嫌いかを、離れたところから観察して判断できるぐらいだ。どうでもいい人にはどうでもいい態度をし、好きな人には好意的な態度を見せる。人によって態度を変えるのは、彼らにとっては悪いことではないのだ。
それに対して日本人は、まず「和」を大切にする。自分と相手だけではなく、その場にいる人全ての感情を”空気”と呼び、和やかな空気になるよう、一人ひとりがポジティブな発言を心がける。その場にいる人全ての気持ちを考えるから、人によって態度を変えることに抵抗がある。本来なら、好きな人とどうでもいい人の両方がいてもいいものだが、相手に「あなたはどうでもいい」という失礼なメッセージを伝えないように、どの人も「好きな人」のように接する。
このへんが外国人にとっては厄介なのではないかと思う。自分だけに優しくしてくれているであろうと思っていた人が、実はみんなに同じように優しかった…。これを知ったときに、外国人は日本人をヒポクリットと言うのではないだろうか。「せっかく仲良くなれたと思った日本人なのに、なぁんだ、結局はみんなにいい顔する八方美人か…」と、裏切られたような気になって落胆する。
これはコミュニケーションの仕方の違いなので、どちらがいいとかどちらが合わせるべきだとか、そういう類の話ではないが、日本人が外国人に誤解されやすい要素のひとつとして知っておいてもいいだろう。
「和を以て貴しとなす」という日本的なコミュニケーションはこのように誤解されやすい。だから、外国人と接するときに日本人としてできることは、いつも以上に「誠実」を心がけるということだ。
まずは、思っていることを正直に言葉にすること。意見を求められたり、考えていることを言葉にできない人はその旨をきちんと相手に伝えよう。和を尊ぶという「日本人の心」を教えてあげればいい。
これが、コミュニケーションの仕方が異なる外国人との「相互理解」の始まりではないだろうか。
写真:Tommy Wong
よく解ります。フランスではありませんが同じく欧州ラテン国在住です。”「日本人とは友達になれない」と思ってしまう理由5つ”でも共感しましたが日本のお友達と日本で会う為には何日も前から予定を立てる必要があって”今から”とか”今日の夕方に” 会ってお茶しましょう、みたいなことは難しく”近くまで来たからちょっと寄った”という感じで家に遊びにいったりというのは都会ではあり得ないし非常識な人になってしまいます。私はこちらでの暮らしの方が楽なタイプなのですが、書かれているように欧州では人に対する対応や態度がはっきりしていてたまにびっくりすることもありますが、たとえ感じの悪い対応をされてもそれを個人的に受け取らなくていいし、店員さんやウエイターすれ違う人などの「機嫌(感じ)が悪い」のは私の問題ではなくその人がそういう人なので接していても複雑さがなく簡単です。
とっても同意します。私もドイツ長いのですがドライな店員さんがいると、買い物がラクです。
バスの運転手さんや電車の車掌さんも不愛想な人が多いですが、別にそれはアジア人だからではなくて、
ただ単に愛想を振りまくという習慣がないだけ。今からだとか、ふらっとってのが出来ないのは、本当面倒。
そして何より御誘いを断る時に、過度を立てないようにしないとあとあと面倒なので、今日は~だから無理といえて、ドイツでの人付き合いは考えすぎずにいられて楽です。
>>日本在住外国人の中には、日本人のいないところで、「日本人はhypocriteだ」と言う人もいる。
個人的にそういう風に言う人ほど、偽善者な気がします(経験談)
自分はキリスト教福音派で、数多くの人を親切にし、神の為に祈っている。
日本人は無宗教で女性に対して性的な見方しかしない、その癖自分たちは
平和主義国家だと言う。アメリカの軍事力に守られた国が憲法9条のお陰、
つまり自分たち日本人が素晴らしいから日本は平和なんだと思い込んでいる。
こんな風に憤慨していたアメリカ人のTさんを先日のパーティーで見かけました。
まず日本人が自分でアメリカ人に「日本は平和主義国家なの」と言っても居ないのにw
単純に外国人って他人のこと慮らないだけでしょ
んー、日本に来てる側なんだから
そういう国民性なんだな、と
思って来た側が合わせればいいのに。
日本人がフランスに行って、
日本とコミュニケーションの取り方が
違うからってフランス人が
合わせてくれるわけじゃないでしょう?
いわゆる大人の態度は日本に限らず世界共通ではないのですか。
「嫌いな人や印象の悪い人、どうでもいい人にはわりと露骨に嫌な態度をとる」
「人によって態度を変える」
これは文化の違いというよりも、幼稚な子供の態度です。どこの国でも眉をひそめられるのではないでしょうか。
日本人は「みんながみんなに親切」。外国人からそう言われると嬉しいです。親切のどこが悪いのでしょうか。
外国人はそうではないというのであれば、外国人も日本人のようになってほしいです。
>これは文化の違いというよりも、幼稚な子供の態度です。どこの国でも眉をひそめられるのではないでしょうか。
うーん、それはどうでしょうか。思っていることをそのまま表情に出すというのは、言い方を変えれば、裏表がなく、素直で、嘘がつけない人ということです。その場をヘラヘラと取り繕って、影でネチネチと悪口を言うよりは健全だと言う見方もできます。
「幼稚な子供の態度」と決め付けるのではなく、なぜその態度がいいと思っているのか?に目をむけてみられてはどうでしょう。どちらがいいとか悪いとかいう問題ではなく、広い心をもって両方を受け止めることはできませんか?
お返事ありがとうございました。しかし私の意見は変わりません。
大前提として私は「誰しも内心の自由があり、人のことをどう思ってもよいが、それを表に出して相手を不快にさせてはならない」と考えています。
わかりやすい例は人種差別です。
フランスで日本人が差別されることは今でもあるでしょう。「裏表がなく、素直」に露骨に差別されたら日本人は腹を立てて、場合によっては相手の胸倉をつかんで問い詰めてもよいのではないでしょうか。しかし表向きには友好的な態度をとられたら、相手の内心を疑ってもそれを持ち出すべきではありません。
また、外国人に差別的な態度をあらわにする日本人も「裏表がなく、素直で、嘘がつけない人」ということになってしまいますが、それでもよろしいのでしょうか。
最後の4行でぐうの音も出ないと思います。一方で差別を問題視する記事を書きながら、感情の素直な発露を肯定的に見ることは明らかに矛盾してますね。
個人的な見解ですが、日本嫌い欧米崇拝の日本人女性のほとんどは日本の女社会が窮屈に感じているミソジニストなのでは?と彼女たちのコメントや話を聞くたびにいつもそう感じます。女でありながら女性的特質の負の部分が嫌いでしょうがない。しかも、それを客観的に自己分析できている日本人女性はまずいない。女性同士の摩訶不思議な同盟関係内のタブーなのか、本当に気がついていないのかいまだ判断できかねているのですが、その時よく思い出す三島由紀夫氏の言葉があります。「あらゆる点で女は女を知らない。
いちいち男に自分のことを教えてもらっている始末である」。
日本人が「みんなに等しく親切だから」??
それは違うでしょ。
うわべだけというのが当たってるし
本音と建前というのが当たり前になってるからじゃない
人嫌いで人付き合いが苦手な日本人は多いし
根は、どう接していいか分からないんだよ。
その心理を悟られたくないために、うわべで固める
悪く言うと「表面だけでもナイスにしてる」、ってところが既に新鮮なのでしょうね。珍しいというか、そういう人間は、例えばフランス人にはごくまれであるとか。
なぜ外人が日本人はナイスな人というか、それはこの表面上を取り繕う(内面にかかわらず)という振る舞いがすでに彼らにはフレンドリーとか親愛の表現に見えるという事なのでしょうね。それで、実は内面が伴わないのに興味ありげに話を聞いたふりをしていたといった事例に出会って、偽善者 という事になってしまうのでしょう。内面にかかわらずに相手に合わせる・好意的なフリをする、というのは別の先進各国には珍しい風習のようです。イギリスの上流階級などでは、ありそうですが、中流や庶民では無さげです。
シンプルではあるので、こちらの方が国際化時代には向いているし、日本人も徐々に変わりつつあるとは思います。マインドリーディングをあまりしなくても良いというのは、精神衛生上相当な効果があるだろうから。眉をしかめる対面する同僚がいて、
A「今日私生理でちょっと辛いの」
B「。。。」 ←「私が嫌いになってるのかしら」 という例でいえば、この場合はAの文化の方が明快でいいです。
その通りですね。
>実は内面が伴わないのに興味ありげに話を聞いたふりをしていたといった事例に出会って、偽善者 という事になってしまうのでしょう。
日本人をすぐに「偽善者」と判断しないで、もう少し時間を取って理解しようと努めてくれたら…と外国人留学生に接している頃、よく思っていました。
事なかれ主義が優先しているのでは。そもそも、なんらかのトラブルに巻き込まれる事を極度に嫌う傾向が日本にはあるので、自ずとそうなってしまうのではと思います。
〉フランスでも同じことがいえて、自分の知っている人や友人などにはよく笑うのに、嫌な人が来たとたんにそっけない態度になる人がいる
これはまさに職場であった出来事で、近くに行く度に
暴言を吐かれたり。それを是とする職場でしたけども。
仲間意識が強いのか、仲の良い同僚がミスしても隠す。
噂話が大好きで、それに参加しない非仲間には冷たい。
外国人が望む日本人がいる所もあるよ、私は遠慮しますし、そういう人は嫌い。
ボディランゲージから変えないとダメでしょ。
ハグやキスを合ったばかりの人とできないんだから
ほどほどの知人に
親兄弟でもそこまでしてあげられないような面倒ごとを
やってあげたりはできないでしょう?
でも多くの日本人は、外国人に対してだけは、特別に、
やってあげちゃったりするわけでしょ?
他人の男性とまでキスもハグもしたことないような若い女性が
アメリカ人のおじさんの執拗なハグとキスを受け入れてしまう場面なんてよくあるでしょ?
日本では自分のことはできるだけ他人に頼らずに自分でしましょう。
自分で汚した場所は、自分で掃除しましょうっていう文化があります。
これだけ人口が密集して暮らしているんですから、いちいち
他人のべたべたと触れ合っていたんでは、社会が回りませんし、他の人に迷惑がかかるわけで
誤解してる側が理解していく方が皆平和になるのに
なぜか誤解されてる方に 変われ変われ と要求する人たちが日本以外の国の民族には非常に多いけど
それは、日本人がなんでもかんでも他国の話を聞き過ぎて、優しすぎて、
要求をのんでしまいがちであるから
相手も勘違いしてしまうんだろうなぁ
ちゃんと善悪の判断をして、態度を変えることは大事だと思う。
誰に対しても良い顔をしていると、悪い人にターゲットにされてつけこまれるからね。
>なぜか誤解されてる方に 変われ変われ と要求する人たちが日本以外の国の民族には非常に多いけど
これは誤解だと思います。この文章を書いた外国人も含めて、「日本人に変われ、俺らのようになれ」とは一言も言っていないし、そんなことは思っていないと思います。
ただ、気づいたところを述べたにすぎないのでは?
「好きな人は好き!嫌いな人は嫌い!」それでいいんですかね?それはあまりにも幼稚だと思う。あからさまに嫌そうな態度を取られた相手がどう感じるかにまでは配慮が回らないのかな?やはり日本人は成熟した国民だと思う。
本物の本当に「成熟した大人」は、嫌いな人を好きになるように努力する。うわべの好意ではなく、心からの好意で嫌いな人を感化する。もしそれが成功したら、向こう側も心からの誠意であなたを応えて、好意を持ってあなたを接する。
つまり、好きな人は好き、でも嫌いな人は嫌いなままではなく、この嫌いな気持ちを真っ向に向き合って、うわべだけの対応で一時的に場を繕うではなく、根本的な人間関係そのものを改善する行動を取ることこそが、本物の大人の対応です。
嫌いな人に対して嫌な態度を取ることは、私は幼稚とは思いません。嫌いな人をずっと嫌いなまま改善しないの方が、ずっと幼稚だと思います。
よく言われているのと逆に日本人は一般的に冷たい個人主義者で、本当の意味で他者と交わることができません。
別に「外国人だから」というわけでもないでしょう。
日本人同士の夫婦でもほとんど心を開かないですから。
「思っていることを正直に言葉に」すると、とんでもないことになるのでは。
これは日本の同調主義による教育のルールだからね。よく勘違いしてる人がいるけど精神が成熟してるんじゃなく
同調主義で相互監視のルールが日本人のマナーを作ってるんだよ。
だから外だと意見言わないし喧嘩しない日本人もネットという個人感覚になってしまう場合では、他人なんていたわらない事が多いし、喧嘩もよくおこる。 つまり日本はそういうのを統制してなくす教育なわけ
だから海外にはない内面的ストレスがあるんだけどね
とても興味深いテーマですね。
外国人としての意見を出します。
日本人との付き合いが難しい部分は本音を知る事が困難な事。文化の差もありますが、西洋では「嘘と建前も紙一重」ですからね。嫌いな人には近寄らず、ただ必要なだけ触れ合う。しかも、嫌いな人だから無礼な態度をとる訳ではなく、ただ関わり合わないようにする。
日本人は皆んな親切で優しくしては下さるのですが、陰口や悪口を言うのが好き。悪口を言うくらいなら関わり合わない方が良いとは思うのですが、偽善な態度をとる。その為、日本人と友達になる事も非常に難しい。外国人の視点からしたら、「日本は八方美人の多い国だね」と思い込む。
良いか悪いかの問題ではなく、ただ文化の差だとは思ってはいたのですが、日本社会を分析しているうちに少しずつ日本人の行動は矛盾だらけだと気づいた。その為、誰を信用できるのかがわかりづらく、皆んなを疑う様になる。特に建前の社会ですから、日本人ははっきり言わないでいつも「曖昧」な返事をする。西洋では「曖昧な返事」は悪質な性格を表し、倫理がない人がとる態度、又はずる賢くて卑怯な人間を表す。この様な態度をとる人はネガティヴなイメージを持ち、信頼性がなく、いつ裏切られてもおかしくはないから要注意します。
西洋では「人はその交わる友によって知られる」とは良く言いますから、他人の本心を知らなければ友にはなれない。
外国人も建て前だらけですよ。建て前を言っている自覚がない人が多いだけ。そもそも欧米はポリティカルコレクトネスがあるのに建て前がないなんてジョークにもなりません。