今月14日の独立記念日にあったニースの大量殺人テロを受けて、日本の友人数人から「フランスはテロが多いから気を付けて」と連絡がきた。
心配してくれる気持ちは有り難いのだが、「テロに気をつけて」という言葉を聞くたびに何とも言えない違和感を抱く。テロに気をつけてという注意喚起をする人は、テロがどういうものなのか、根本的にわかっていないように思うからだ。
テロは、気をつけて生活していれば防げるものではない。防ぎようがないから、無差別テロなのである。パリのレストランのテラスで食事していて射殺された人は、テロへの警戒心が足りなかったわけではないだろう。ニースの独立記念日に花火を見に行った人たちは、単純に家族と楽しい時間を過ごしたかっただけだ。この日、花火を見に行った人がフランスじゅうにどれだけいるだろうか。マダムリリーも、その日は近所の独立記念花火を見に行ったし、テロが起きたのがニースではなく、その他の地域だった可能性も考えられなくはない。
「テロへの警戒が足りないからこうなった」とは言えないから、「テロに気をつけて」という言葉も何の意味もないわけだ。「日本は地震が多いから、地震にあわないように気をつけてね」というのと同じくらい無意味である。
しかし、ネットを見ていると、「テロの恐怖から身を守る方法」というような記事が多い。「人混みや外国人の多い場所をできるだけ避ける」や、「公共の場での不審な人や物に注意する」などの注意事項があげられているが、こういうのも、全くもって何の意味もないと思う。第一、これを書いた人はこの注意事項を全て、本気で守ったことがあるのだろうか?
実は、マダムリリーはこれらを守っていた時期がある。去年11月のパリ同時多発テロ事件の時は、一週間でノイローゼ気味になるほど緊張していたので、これらのテロ対策を万全にしていた(参照:パリテロから一週間、とうとうノイローゼ気味になってしまった)。とにかく、不審者、不審物、人混みへの警戒を高めたのだ。
しかし、そうして警戒してみると、見るものすべてが怪しく思えてくる。電車に乗れば、目の前の男性が怪しい人物に思えてくるし、人だかりがあるところの前を通り過ぎるときには自然と速足になる。ラッシュ時にはいつも人であふれかえるパリのサンラザール駅では、一人不安でビクビクした。大きな物音にいちいち反応してしまったり、誰かが遠くで大きな声を出しただけで、何かあったのではないかとビクついてしまう。
そこですぐに気が付く。テロの脅威から身を守るなんて、不可能なのだと。
結局のところ、家から一歩も出ないという方法以外に、テロから身を守る術はないと思う。「テロに気をつけて」という注意喚起は、究極的には「人生を楽しむな」と言うのと同等なのである。
頭のおかしい人はどんな国にでもいるし、どこで何が起こるかなんて預言者じゃないので誰にもわからない。
だから、「テロに気をつけてね」という人は、本人は相手の身を案じて言っているのかもしれないが、言われた側からすると不安を煽られているように感じる。どうすることもできないことに対して気をつけろと言われても手の施しようがないし、外から見たらそんな風に思われているのかと思うと、改めてハッとして不安になる。
東日本大震災の2年後に九州の実家へ行くと言ったときは、フランス人に「フクシマは大丈夫なの?」と聞かれたが、このときの感情と似ている。そんなに危険な場所だと思われているのかと、改めて気づかされるのだ。
思うに、このような上っ面な方法でテロ対策することが解決へ向かうのではないと思う。テロの本当の脅威は、「何か悪いことが起こったらどうしよう」とか、「自分の街でもテロが起こったらどうしよう」という恐怖心を人々に持たせることができるという点ではないだろうか。
これまでのテロ事件は、世界の広さに比べたら微小なピンポイントの部分でしか起こっていない出来事なのに、テロに遭遇しないか心配している人の数は、実際にテロに遭う人の数億倍にもなる。
「フランスはテロがあるから怖い」と言う日本人がいるが、実際にフランスでテロに遭って死ぬ確率よりも、日本で自然災害に遭って死ぬ確率のほうがひょっとしたら高いのかもしれない。明日フランスでテロに遭って死ぬ確率より、明日交通事故で亡くなる確率のほうが高い。
起こっていないことに対する漠然とした不安によって、離れた場所にいる人間を恐怖に貶めることができる。
これがテロの本当に怖いところだと思う。大きな事件を起こせば、多くの人がそれについて話題にするので、世界中の人間に影響を与えることができるのだ。
事実、日本での「川崎中1殺人事件」では犯人の少年が残忍な手口も含めて、「イスラム国」をまねたとされている。ニースでの大量殺人事件も、過激派とは無縁の男性がISISの影響を受けて起こした事件だった。
このように、テロ事件は世界中にいる危険な思想を持った人が事件を起こす「発火装置」になりうるのだ。
マダムリリーはテロが怖い。
しかしこれは、自分がテロの被害者に遭うかもしれないからではなく、これだけ多くの人がテロ事件を話題にするから怖いのだ。このまま、たくさんの人がテロについて騒ぎ続ければ、ますます頭のおかしい人が行動に出るような気がする。フランスにいる頭のおかしい人全員が、「一発大きなことをやってやろう」と思ったらどうなるだろうか。それこそが、最悪の無限ループの始まりである。
だから、テロ事件をあまりに報道し、人々の不安を掻き立て、話題にするのも考えものだ。テロ事件について語るときは、その目的を一度考えてみたほうがいい。少なくとも、「みんなが話題にしているから」と言う単純な理由で、フェイスブックにいいね!している人は、あなた個人がもつ影響力を少し考えてみてほしい。
一人一人の影響力が束になり、犯罪者へ届く。
これが、テロの脅威の本質ではないだろうか。