ホームジャパン外国人 「批判力が育たないニッポンの教育」への指摘

外国人 「批判力が育たないニッポンの教育」への指摘

ウィキペディアの『日本の教育』ページの教育方法という項にはこのような記述がある。

“日本の教育では、しつけを含め、幼少期は自由奔放に育て、年齢が上昇すると規律を教え込む傾向があり、この傾向は欧米とは反対であると言われている。その反面、日本の教育は画一的で、児童・生徒を個人としてよりも集団として扱う傾向が強く、また子どもの批判的思考力を養成する機能が弱いと批判されることがあるが、それに対する反論もある。”

確かに日本の現在の教育では批判的思考力を育てるのは難しいのかもしれない。国立教育政策研究所 教育政策・評価研究部長の小松郁夫先生はベネッセのインタビュー[ これからの教育改革のあり方について ]で、このように語っている。

“日本を含めた先進諸国が直面しているのは「問題があることは間違いないが何が問題なのか特定できない」といった事態でしょう。そこで必要なのは問題を問題として浮かび上がらせる能力、つまり「問題発見力」ないしは「問題創造力」なのです。その上で、その問題をどう解決するか、というスキルが問われてくる。”

批判的思考能力や創造力、コミュニケーション能力が欧米諸国の教育システムに比べて養成されにくいと批判されることもしばしば。そんな日本の教育システムであるが、日本ではない欧米諸国で育った人は日本の教育を見てどう思うだろうか。何でも欧米化すれば良いというわけではないが、外から見る日本の教育に改革のヒントが隠されているかもしれない。

グローバル化する世界をリードしていけるような人材を育てる日本の教育には何が必要なのだろうか。

そこで今回は、日本在住の外国人による掲示板の「Japan’s education problems… is it the lack of critical thinking? (日本の教育問題…批判的思考力の欠如か?)」に寄せられた外国人の声を集めてみた。

 

日本の子どもに足りない批判力とは?アメリカ人、男性、29歳
日本の子どもはとても創造力豊かだけど、個人主義や個人主義的な考えを抑えられえるような教育システムにいるから。

日本在住15年アメリカ人、男性
日本では創造力が抑制されてしまうんだよ。そりゃ、子どもってのはロボットを組み立てるのには独創的なアイデアを持ってたりするもんだけど、オリジナルな考え方や創造力っていう一般的な話になると、日本はあまり得意な分野じゃないよね。日本のノーベル賞受賞者も認めてるけど、彼らは日本の学生に海外留学をして創造力を学べって勧めているし。

カナダ人、男性35歳
批判的思考力は客観性と論理的思考力が必要。僕はこの両方を手に入れるのにかなりの時間を要したし、今でもまだ難しい。カナダの学校の方が日本よりも批判的思考力を養成できるっていうのはその通りで、クラスメイトとホットなトピックについてディベートしたりするなかで自然と身についていくものだけど、ディベートの時でも自分の感情に左右されたり、自分の信じたいことが現実と思って議論する人も多い。

論理的思考に関しては、別に訓練しなくても論理的に考えられる人もいるが。

ここ日本でうまくやっていくには、大抵の人はお互いの考えや信念を主張しないんだよね。空気を乱したりするのが怖いから。たくさんの日本人に物議を醸すようなトピックについてどう思うか尋ねてみたら?大抵の人が「こう思う人もいる」だとか、「反対にこういう人もいるよ」とか、「これは難しい問題だね」とかいう答えで、自分の考えを明確に言葉にする人はあんまりいないから。

アメリカ人、男性
批判的思考力を学ぶというのが、論理的思考力や分析力、エバリュエーション、認知技能、客観性などを学ぶことだというのなら、それは日本で教えられるべき。
ディベートについて触れている人もいるけど、ディベートがクラス単位での批判的思考力を育てる場とするなら、それは効力に少し欠けると思う。

  1. ディベートは“AかBか?”、“正しいか間違えか”、“良いか悪いか”の2択になってしまうので、代替案がない。それらのカテゴリーに分類されない答えもあるわけで、それを考慮しないディベート方式は創造力の育成という観点を無視している。
  2. ディベートで競争心を煽れば、相手の欠点を探すことに意識が集中してしまう。例え相手に非がなくても、自分の立場を何が何でも守ろうとする人が出てくる。自分の意見に一貫性を持たせることだけに集中してしまうので、知的謙虚さや自己リフレクションの合理性という点では弱点となる。
    3.合理形成がなされない。コンセンサスという点では日本の方が優れていると私は思う。古典的なディベートはすでに時代遅れ。それではなくて、日本では批判的思考力を育てるにはどういった方法がいいのかをゼロから考えるべきである。

なぜ日本の教育では批判力が育たないのか?

アメリカ人、男性、22歳
アメリカの子どもはたるんでると思う。日本の教育システムは受験地獄があって厳しいし、バケーションも少ない。だから僕はアメリカの高校を卒業した学生の学業能力の低さを恥ずかしく思う。同時に、日本はもう少し学校での試験を簡単にしてあげてもいいのではないかと思う。僕は塾や試験地獄、周りの人の高い期待について愚痴る日本人のペンパルをたくさん知ってる。それに比べるとアメリカ人は怠けている。

アメリカの子どもは遠慮なく話して、心に従うように教育される。日本の子どもは集団の利のために耐え、自分を犠牲にすることを教えられる。教育の違いは文化の違いによるものだと責めることはできない。どちらの教育システムも完璧ではないけれど、最低でもないわけだし。

でも僕は日本の子どもが批判的思考力に欠けているなんて思わない。欧米の批判的思考力は失礼にあたることもあるし、本当は知識のない人同士が堂々巡りの議論を重ねているに過ぎないケースも多い。

教育に関しては、僕たち大人が子どもにあまりに早いうちから多くの情報を教えようとしすぎてるんじゃないかな。子どもの普段の生活に関係ないから、子どもの興味を持たない。これはどこの国でもあることじゃない?子どもには早いうちから学業の選択をさせるべき。そうすれば、学校に興味を持ち続けられると思う。

まぁでも、日本の試験制度はもう少し簡単にしてみるほうがいいのでは?

イギリス人、男性
日本でのディベートはボーリングみたいだ。1人が自分のことをして(話す)、その間他の人は静かに座り聞いている。そして、次の人の番になる。多くの場合、日本でのディベートは欧米人の観点でいう、ポイントVSカウンターポイントの議論ではない。

ごく稀にイキイキとしたディベートをするクラスもあるけど、ほとんどの場合、日本人は自分の議論や論点をどのように補強していくべきなのか、欧米人のように知らないのだ。日本の子どもはディベートのようなプラクティスにシャイになりがちで、特に他の人の論点を否定するのが苦手である。僕はクラス替えのない日本の高校でこのディベートをやってみたけど(先生として)、何年も同じクラスメイトのはずなのに、うまくいかなかった。

日本の子どもたちは深く浸みついた習慣や感情を破るにはかなりの訓練が必要になると思う。この点では大人も変わらないよ。

フランス人、男性
批判的思考力がないと批判されている日本人なわけだけど、僕はそういう点が日本人のいいところでもあるから今後も変わらないでほしいと思う。世界的に見たら、弁がたつ欧米人のいいようにされてしまう、弱い立場になってしまうのかもしれないけど。それでも相手の揚げ足を取って、自分はいかに正しくて偉いかを主張する無知な人間より、深みがあると思う。日本では“能ある鷹は爪を隠す”という言葉があるけれど、すぐに批判して相手の落ち度をつつくような人を僕は優秀だとは思わない。

ベルギー人
何でも批判できたらいいってものでもないけど、確かに日本人は素直すぎる。そこがいい点でもあるけど、同調ばかりするのはなく、反対意見を言う訓練も学校でさせるべきだ。自分のキャラクターや考えをうまく言葉にする能力はどこの国でも必要だと思うから。

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