2011年3月11日午後2時46分。観測史上最大のマグニチュード9.0の大地震に、10メートルを超える津波が日本列島を襲った。あの日からまもなく1年を迎えようとしています。
去年の震災だけに限らず、我が国では古くから自然災害によって、毎年尊い人命が失われています。そこで今回は、これまでの日本の歴史上でおこった自然災害のなかで最も死亡者・行方不明者の多かった災害をランキングで紹介します。これだけの日本人の命を奪った自然災害。災害が起きないことが一番ですが、災害が起きても多くの人が助かるような防災体制の充実に力を入れてもらいたいです。尚、これまでの自然災害に遭われた皆様に心よりお見舞い申し上げます。
1. 関東大震災
我が国の歴史上最も多くの犠牲者をだした自然災害が1923年(大正12年)9月1日に起きた関東大震災。死者・行方不明者の合計は約10万5千人にのぼると言われている。マグニチュード7.9の地震が神奈川県を中心に広い範囲に甚大な被害をもたらし、日本災害史上最大級の被害を与えた。死者・行方不明者数では東日本大震災の5倍の被害をもたらし、当時の日本社会に大きな混乱をもたらした。この震災により多くの市民が職を失い、震災によって東京市の人口が減少した。
2. 明治三陸地震津波
明治三陸地震は、明治時代の日本の三陸沖で発生した地震で、死者・行方不明者の合計は約22,000人。1896年6月15日、岩手県上閉伊郡釜石町(現在の釜石市)の東方沖200kmを震源として起こった、マグニチュード8.2- 8.5という巨大地震であった。この明治三陸地震の特徴は地殻変動によって引き起こされた津波の大きさである。当時、本州における観測史上最高の遡上高である海抜38.2mを記録し、津波被害が甚大であった(この記録は、2011年3月11日に起きた東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)による津波で最大溯上高40.0mを記録したことにより、更新されている)。
3. 東日本大震災
記憶に新しい去年の自然災害。2011年7月29日までに警察庁がまとめたところによると、死者・行方不明者の合計は20,629人となっている。日本の戦後の歴史上、最も大きな被害をもたらした自然災害である。また、高齢者を中心に、避難所で死亡する者も相次ぎ、避難所の不衛生や寒さによる死者は、3月末までに280人を超えた。また、福島県警の発表によると、福島第一原子力発電所事故に伴う避難指示が出ている地域では捜索が進んでおらず、「行方不明者数以上の遺体が残されている可能性がある」と説明した。
4. 濃尾地震
濃尾地震は、1891年10月28日に濃尾地方で発生した、日本史上最大の直下型地震。死者・行方不明者の合計は7,273人である。この地震の発生により、地震を予知することは出来なくても予防は可能であるとの観点から、翌年の1892年に震災予防調査会が発足。地震や防災に関する幅広い研究が進められ「地震予知」「建物の耐震性向上」「過去の地震史の編纂」などが行われた。この震災予防調査会の活動は、1923年の関東大震災を経て東京大学地震研究所に引き継がれた。
5. 阪神・淡路大震災
日本の歴史では1960年以降、自然災害による死者・行方不明者は、著しく減少していったとされている。これは、治山・治水・海岸整備の他、観測体制、予報技術、災害情報伝達、避難体制など防災体制が充実した結果である。しかし、そんななか1995年に起こった阪神・淡路大震災では、6,437人と戦後それまでで最大の死者・行方不明者数をもたらし、世に混乱をもたらした。当時の地震災害としては戦後最大規模の被害を出した阪神・淡路大震災の被害の特徴としては、都市の直下で起こった地震による災害であるということが挙げられる。この地震をきっかけに日本全国の大型建築物の耐震性を強化するため、1982年以前に建てられたビル・マンション・病院・鉄道の駅舎などでも広範囲にわたって倒壊・全半壊が多くみられた。
6. 伊勢湾台風
伊勢湾台風とは、1959年9月26日に潮岬に上陸し、紀伊半島から東海地方を中心とし、ほぼ全国にわたって甚大な被害を及ぼした台風である。人的被害は、犠牲者5,098人(死者4,697人・行方不明者401人)にのぼり、さらにほぼ全国に及んだ経済的被害は破格の規模となり、明治維新以来最大の被害を出した。犠牲者を3,000人以上出した台風として、室戸台風、枕崎台風とあわせて「昭和の三大台風」に挙げられ、その中でも最悪の被害をもたらした。ほぼ全国に及んだ経済的被害は人的被害以上の規模となり、GDP比被害額は阪神・淡路大震災に数倍し関東大震災に匹敵するものであった。また、災害対策について定めた災害対策基本法は、この伊勢湾台風を教訓として成立したものである。
7. 福井地震
戦後間もない1948年、福井県を中心に北陸から北近畿を襲った福井地震。3,769人の死者・行方不明者をだした。発生当時戦後最多となる死者を出し、日本の災害史上最悪クラスの震災となった。死者のほとんどが、当時あわせて人口20万余りにすぎなかった福井市・坂井郡(現坂井市)に集中しており、その被害率(死者は人口の1%超)は甚大なものであった。発生時刻が16時過ぎで、夕食の支度をしている家庭が多かったため、福井市中心部では、24件の火災が発生した。地震のため、道路が通行不能となったり、水道が破損したことにより、消火に時間を要したため被害が拡大した。農業地区でもほぼ全ての家屋が倒壊したものの、住民が屋外で農作業をしていたためか死者は少なかった。
8. 枕崎台風
昭和の三大台風のひとつに数えられる枕崎台風は、1945年9月17日14時頃に、鹿児島県枕崎市付近に上陸して日本を縦断した台風である。被害者の内訳は死者2,473人、行方不明者1,283人。終戦直後のことであり、気象情報が少なく防災体制も不十分であったため、各地で大きな被害が発生した。特に広島県では死者・行方不明者合わせて2,000人を超えるなど被害は甚大であり、原爆の惨禍に追い打ちをかけた。
9. 昭和三陸地震津波
昭和三陸地震は、1933年3月3日、岩手県上閉伊郡釜石町(現・釜石市)の東方沖約 200 kmを震源として発生した地震である。この地震による被害は、死者1522名、行方不明者1542名気象庁の推定によるとM8.1であった。三陸海岸まで200km以上距離があったため三陸海岸は軒並み震度5の強い揺れを記録したが、明治三陸地震の時と同じく地震規模に比べて地震による直接の被害は少なかった。その一方で、強い上下動によって発生した大津波が襲来し被害は甚大となった。最大遡上高は、岩手県気仙郡綾里村(現・大船渡市三陸町の一部)で、海抜28.7mを記録した。第一波は、地震から約30分で到達したと考えられる。
10.北丹後地震
1927年に発生した北丹後地震。震源は、京都府丹後半島北部で、M7.3の大きな地震であった。この地震による犠牲者は死者・行方不明者合わせて2,925人。家屋倒壊率は70%-90%に達した。また、地震発生時刻が夕食時と重なり、火災が各所で発生。合わせて8,287戸が焼失した。住宅や織物工場など家屋の97%が焼失。人口に対する死亡率は22%に達した。被災者は厳寒の中雪の降る屋外に投げ出され、新聞社など多くのマスコミが被災者救援のキャンペーンや募金活動などを行った。大阪梅田の阪急百貨店では、この地震による食い逃げが莫大な額に達したため、1930年より当時は日本初の「食券制」を取り入れた。
参照: wikipedia、自然災害による死亡者・行方不明者の推移
上位10件は1890年代以降に集中してるんだね
いくら人口が少なかったとはいえ、気象情報とかが発達していない頃の台風なんかだとこれらに匹敵する数の死者が出てるかと思ってた
それ以前の災害は良く分かってないんですよ
恐らく江戸時代の富士の噴火が日本史上最大の死者を出してると思われてるとか
実数は分かってません
関東大震災は、火災による被害が多いように思います。
データを元にランキングするなら、原因にも触れた方が良いのでは。
記事を「資料」と捉えるなら、価値が違ってきます。
島原大変肥後迷惑が抜けてません?1万5千人くらい死者がいたような・・・
残念なのは、戦時中に起きた昭和東南海地震の被害が
緘口令を敷かれたこともあり正確に数えられていないことです
死者は1万人前後出たと思いますが
国民の士気が下がると国も報道規制し、救助すら向けませんでしたから
被災地見殺し状態で、被害が分かっていません
伊勢湾内の都市では死者を埋葬する場所がなく、海に流したという話をきくので
相当数出たことは確かだと思います
殺しあいする戦争ですから、自国民に救助の手を出す余裕などなく当然見殺しです!強いものが、独裁権力者が国民を騙し好き放題やり、反逆者は殺す。同じ人間を家畜以下に扱う。何百年も同じこと繰り返しいくらか民主的になったといえ、昨今の政治の動き見てると昔と本質的に変わってません、国民もなにか少し良さそうなことすると、本質見抜けずすぐ支持率上がる、どこまでばかなんだ。戦前と同じ思想でもろに政治の場に堂々と出てきてる。なぜ野党に政権わたせないのか?渡したら10年以上かけて国民は育て上げなければいけないのだ!