日本人は世界の人に「とても礼儀正しい国民」だと思われている。先日、様々な国の人が集まるパリのフランス語学校で、”礼儀正しさ”が話題になった時も、トルコ人、エジプト人、ポーランド人、ウクライナ人、ロシア人から「日本人は本当に礼儀正しい」と褒められた。
確かに、日本人は礼儀正しい国民だ。東日本大震災後の日本人の秩序ある行動は世界でも話題になったし、日本人は欧米人に比べて”マナーを守る”ことに対して厳しい国民のように思う。
“礼儀”に関するルールも敬語の使い方やお辞儀の仕方など、他の国に比べて多く、複雑である。例えばフランス語で”あなた”と言うとき、相手が目上の場合は”vous(ヴ)”、対等な関係なら”tu(チュ)”というように主語を変えるというルールがあるが、それでも謙譲語、丁寧語、尊敬語をうまく使い分ける敬語と比べたら、とてもシンプルでわかりやすい。敬語と一口に言っても、語尾に「ですます」を付けるだけのカジュアルなものから、「いらっしゃる」、「申し上げる」のように動詞自体を変えるより固い言い方などがあり、これも日本人は相手との人間関係に応じてうまく使い分けている。
ほうほう、日本人はやっぱり礼儀正しい国民だ…と惚れ惚れ自画自賛していたら、ふいに昔こんなことを言っていた日本好きフランス人女性の言葉を思い出した。
「日本人はとても礼儀正しいけど、ワンウェイ(一方通行)だよね。お客様や上司に対してはみんな礼儀正しいけど、お店で働く人や部下に対して礼儀正しくあろうとする人は少ない。本来、礼儀というのはトゥーウェイ(双方向的)であるべきだと思う。」
確かにそういわれると、例えばお店に入った時などフランスでは「ボンジュール」と店員さんに声をかけ、「メルシー」と言って出ていくのが礼儀であるが、日本ではこんなことをする人はあまりいないように思う。また、レストランなどで注文した料理が運ばれたときに「ありがとう」、「すみません」と一言お礼する人の数は、フランスのほうが多い。筆者自身、学生の時は日本の飲食店で、フランスに来てからはパリの日本食レストランで働いた経験があるが、フランス人のお客さんのほうが店員を一個人として尊敬してくれているような雰囲気がある。逆に日本では、大勢いる店員さんのうちの一人にしか思われていないような感じがした。
これとは別に、筆者が「フランス人は礼儀が正しい」と思うのは”人とぶつかったとき”だ。日本では(特に都会では)人とぶつかっても無視してそのまま過ぎ去っていく人も多いが、フランスでは必ず「パルドン」と言われる。しかも、ぶつかった時に限らず、狭いところを通って人とぶつかるかもしれない時などにも「パルドン」と声をかけるのがフランスでの礼儀だ。
他にも、フランスでは電車やバスの中でお年寄りや妊婦、小さな子どもを連れた人に席を譲るという場面を日本にいたときよりもよく見かけるように思う。周りにいる人がベビーカーをおす女性のバス乗車を手伝うのは常識である。
これら「日本人が礼儀正しくない理由」を考えてみると、日本人は総じて”人に迷惑をかけない”ことを徹底し、自らもルールを厳しく守ろうとするが、ルールが曖昧なときに礼儀正しくあろうとする人は少ないのかもしれない。お客様に対するルールはマニュアルになっているが、店員に対する礼儀は曖昧なために個人差があるのではないか。
また、電車の中や公共の場など、自分が集団の中に紛れ込んだときのマナーが守れていない人もいる。個人対個人では言葉の端々にまで気を使うほど礼儀正しい日本人だが、集団の中の一人になったときには”自分には関係ない”という態度をとる人が多い。
いずれにせよ、フランスであれ日本であれ、無礼な人もいれば礼儀正しい人もいるのだが、日本人の場合は総じて礼儀正しい国民でありながら、人に礼儀正しく接する目的が「ルールを守るため」になってしまい、「他人を思いやるため」という本来の目的から少しズレてしまっているの人が多いように思う。細かくて複雑なルールがあるからこそ、ルール頼りになってしまい、ルールさえ守れているから自分は礼儀を守っていると慢心している人が多いのではないか。
そういった意味では敬語のルールも、礼儀作法のマナーも、本末転倒な結果を引き起こすという意味では悪なのかもしれない。「礼儀」とはマナーやルールを守ることではなく、相手を一人の人間として尊敬し思いやるための行動様式であるべきだ。
自分には関係のない時でも、ルールがあいまいな時でも、他人を思いやる人が真に礼儀の正しい人であるように思う。