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便利な国ニッポンの落とし穴とプレッシャー社会

海外で暮らしていて思うのは、日本はつくづくプレッシャーのかかる国だということだ。ここでいうプレッシャーとは社会から受ける精神的な重圧を指す。
日本がプレッシャー社会であると説く理由はいくつかあるが、他国では稀に見ない『便利な国』であることがその1つである。

 

日本はとても便利な国だ。
交通の面では、毎日時間通りにやってくる電車に乗って、日本全国どこにでも行ける。
24時間営業のコンビニのおかげで、営業時間に関係なく必要なものを調達できる。
カラオケ、ボーリング、ゲームセンター、ネットカフェなど空いた時間をつぶせる面白い場所がいっぱいある。
郵便局やスーパーでも、たかだかアルバイトでも、「お客様は神様」と教育される店員さんから素晴らしいサービスを受けることができる。
タクシーは常に待機していて、ドアが自動で開いてくれる。
携帯電話で無料テレビ放送を見られる。

 

こんなに便利な国は他にはない。日本ではどこに行っても安心で良質の日本クヲリティーを24時間、365日得ることができるのだ。しかし、便利だからといって海外より「快適な国か?」と問われると答えに詰まる。便利=快適だとは限らないのだ。

 

むしろ、便利すぎるからこそプレッシャーを感じることが多い。
日本の便利さというのは、ある一定のスタンダードを必ず守ることによって成り立つ。コンビニも24時間開いているというスタンダードがあり、お店の店員は笑顔で接客するというのがスタンダード。電車だって、毎日同じ時間にやってくるというのが日本のスタンダードだ。
これらのスタンダードは我々日本人が無意識のうちに「当たり前」と見なしているものである。このスタンダードが守れないと、「なぜ当たり前のことができないのか?」と責められる。

 

つまり、便利な社会というのは「当たり前」という言葉で表現されるある種の“スタンダード”生みだし、それを他にも強制することで成り立っているのである。日本の特定の場所や地域ではなく、日本全体として「便利な国」だと表現される背景には、便利じゃないと許されないというプレッシャーが存在するのだ。

 

元々は、真面目で上昇志向が高く働き者の日本人が生み出した便利な日本社会だが、今では「便利じゃないとやっていけない社会」になりつつあるのではないだろうか。日本が便利な国だからこそ、日本人は勤勉でなくてはならない。スタンダードのレベルが高くなればなるほど、社会から受けるプレッシャーは高くなる。この便利さが生むプレッシャーが、働きすぎの日本人の過労死やうつ病、自殺者の増加など日本の様々な社会問題に繋がっているような気がしてならない。
便利なのは結構。
不便なのも、これまた結構なのである。
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