最近、ネットのあちこちで見られる「海外の反応」の記事。「日本の○○を見た外国人の反応」、「海外が報道した日本人のすごさ!」という記事がネットには溢れている。こんな風に外国人が日本を褒める記事は人気なわけで、私も日本好き外国人をネタにした記事をこれまでにたくさん書いてきた。海外の反応ブームの恩恵に与っているから、とても批判できる立場ではないが、「日本人スゴイ!」と言っている日本人の「優越感に浸りたい」感情には思わず閉口してしまうことも少なくない。
日本を評価する記事をわざわざネットで検索するユーザーには、「日本が海外にいい評価をされていることを知りたい」、「優越感に浸りたい」、「日本人のことをもっと褒めて!」という心理が見受けられる。そしてこれはあくまで私の予想だが、こういった一方的な海外の反応を好むユーザーは海外に詳しくない人の方が多いのではないだろうか。実際に海外で生活している日本人や、外国の人と交流が多い日本人などは、こういった自己快楽的な記事に辟易している。というのも、多少なりとも日本人以外の人との関わりがある人は日本人だけが世界に注目されているわけでもなく、日本だけが特別評価されているわけではないことを知っていて、日本の愛国心が過ぎるプロパガンダ的な話には興味を示さないからである。
何も日本人の日本が好き!という愛国心を批判しているわけではない。自国に誇りを持つことは素晴らしいことであると思うし、日本の素晴らしい所は確かにたくさんあると思う。しかし、日本以外の国のことを知らないのに「日本はスゴイ」だの、「日本は世界に勝っている」だの、自己中心的な愛国心では説得力に欠けてしまう。
海外に短期でも滞在したことのある人は誰もが経験することだが、人は海外に行って初めて“自分の国”を理解できるようになる。他を知ることで、自分の国の性格がわかるのだ。「海外に行くまで日本の~が嫌だと思っていたけどそうでもない」、「アメリカの~が日本にはなくて良いと思ったけど~な面もある」など、他を知ることで初めてわかる発見があるはずだ。この発見が自分の国に対する理解に繋がるのだと思う。そして、他を知り比べることによって生まれる愛国心こそが本物である。他国への理解が自国への理解に繋がるわけで、その逆はないと思う。
こういうことを言うと、自分は海外に行かなくてもテレビやネットで情報は得られるので知識はあるという人もいるかもしれない。しかし、テレビやネットで誰かが言うことはあくまで「他人が経験したこと」でしかない。顔も見たことのない“誰か”のフィルターに映し出された情報を、“誰か”の言葉で表現しているものに過ぎない。“あなた”が経験しなければ意味がないのだ。
近年、海外留学をする日本人は減少の一途を辿っている。若者の海外旅行離れが進んでおり、20代では07年の全国の海外旅行者がピーク時よりも32%減ったと言われる。
若者の海外に対する興味が薄れたと言われる一方で、「海外の反応」がブームになっているという矛盾。
「アンタのことなんて知らないけど、ねぇねぇ、私ってきれいでしょ?」という女はモテない。日本を、日本人を高く評価してもらいたいのなら、まずは他国の良い所を探すことから始めるべきだ。
“”
「全くその通りだね、どうにかならないものか」と同調しようものなら、(ここも含め)辟易するような記事と、閉口モノのコメント欄を読みに巡回しているということになります。
それこそ”矛盾”というものです。
読ませていただきました。
多少、言葉は悪いかもしれませんが、
海外での生活がある人のエゴ、という印象ですね。
あなたは、自分の家庭・家族を、他と比較することで愛を感じるのですか?
個人の自己肯定感や自信は、人と比べることで育つのですか?
あなたのいう愛国心の見方は、そういうことです。
ごく自然に、自分の生まれた国を好きになり、
それを他の国の人が褒めてくれるなら、一層うれしい。
ただそれだけのことではないのでしょうか。
少なくとも私は、数カ国での生活経験があります。
あなたのいう、外に出て初めて実感する良さというものがあるのも事実です。
でも、それのみを愛国心であるかのような、狭い定義付けについては
やや違和感を感じました。
自分というモノサシなしに何を測ろうというのか
海外に対する興味というよりも日本に対する興味が増えてるだけじゃない?ヨーロッパ危機とかアメリカのリーマンショックとか見て、「なんだ、海外も大したことないじゃん」っていう人が増えただけでは?欧米のあんな失敗みて日本も失敗しないよういい面を見直しているだけに思える。旅行の減少は不況でそんな贅沢できないだけだし、留学はわざわざ留学しなくても日本の大学のレベルが上がってるからでは?今大学生だけど海外からの留学生多いよ?その辺、どうなの?
海外に行く理由には届かないな
>人は海外に行って初めて“自分の国”を理解できるようになる。
他国に行って、自国を知らなければ恥という前例は、昔からあるし、「またか」とか「お前もか」とか、「学習力ないな」といった印象を受ける。
だから、海外旅行者は身近な人や、本を通して読者に、他国を知ろうとする前に、自国を知れと諭すんだよ。
ネットで海外の実情がフィルターなしで入ってくるようになったから、海外に行かなくなったとも解釈できますよ。だってフランスとか・・・アレだし。
海外の反応系のコメント欄には、確かにそのような印象を受ける書き込みが見受けられますが、それって「僕の予想」じゃ、こういうジャンルを見慣れてない、知識の少ない人の書き込みだと思いますよ。
「僕の予想」じゃ、こういう系統のサイトを好むユーザーは本質的には「優れた日本」を求めているのではなく、日本の文化や技術の中で「相対的に優れている部分」を知りたいわけです。逆に相対的に劣っているとか恥ずべき部分も知りたいのです。
優越感というよりは逆の感情ですね。
自分が凄いと思っていること、自分が当たり前だと思っている事を海外の人はどう思っているのか?
自分が楽しく見ているアニメは海外のファンにとっても面白いものだろうか?
そういった不安の感情を埋めてくれるサイトがいわゆる海外の反応系のサイトだと思っています。
相手と自分との受け止め方の違いを知りたいというのは単純に相手に対する興味であるとしか思えませんし、これは愛国心や誇りとは関係の無い話です。
そもそもそんなに愛国心を掲げてる国でもありませんし。
「日本の何々がスゴい!」「日本人の何々に海外が驚愕!」
なんて見出しは基本スルーです。見方が一方的というか翻訳元のコメント収集の時点でフィルターかけすぎててなんかつまんなさそうですからね。
海外の反応系を好んでるユーザーは賛否両論聞きたいと思いますよ。
留学数の減少を海外への興味の薄れと捉える話は時々聞きますけど、単純に金がないからって事なんじゃないですかね?
まずは、自虐教育に熱心な日教組に文句言ってくれ。
話はそれからだ。
もし、そのように見えたとしたら、それは今まで日本が不当に貶められてきた鬱憤の反動だろう。
至極当然の話。
左翼連中が言うほど日本は悪い国ではないし、実際に住んでいてそう捨てたものではない。
日本が貶されてないと安心出来ないのならば、その人は既に静養が必要なほど病んでいる。
愛国心=道端の綺麗さ、インフラや道徳心≠大量移民による憎しみ合いや乗っ取り、国籍の免許感覚による悪用
疑問なんだが、留学者が増えたり減ったりすることってそんなに大事なの? いつも思うんだが、国内で学問を完結できるくらい優れた環境を作ろうって発想はないわけ? この手の批判でリュウガクシャスウガーって問題提起する人こそ、海外にコンプレックスを感じてるんじゃない?
長引くデフレで経済事情教が悪い中、若者だけを責めるのってお門違いなんじゃないの?
恐らくほとんどみんな記事を作る側はそう思っているけど
みんなアフィリエイトやらの乞食根性からせこせこと記事を作るわけです。
僕が海外反応アンテナを常に見ているのは、そういった汚い心が好きだからです。
記事を作る側がいかに読者のそういった心をくすぐる為に注意を払っているかを読み取り、ああ、小汚いと思うのが好きで巡っているのです。
荒れたコメント欄なんかはゾワゾワしてたまりませんね。
最近だとhttp://blog.livedoor.jp/drazuli/archives/5958325.html こういったところでしょうか。
嫌韓の人たちの若さ・頭の悪さは傍から見ているだけで恐ろしく気持ち悪く大好きです。
比較・批判は自分をおいて、とはいきませんね。なかなかね。
数ある掲示板の一つの書き込みを見ただけで「○○人は〜だな」とか書いてる奴は嫌になるね
あとは少しでも日本を批判する内容なら「翻訳者は反日」とか言い出す阿呆とかもうね…
いるいる。
翻訳サイトで出没するよね。
でもここではあまり見かけないね。
↑マイナス評価押してる人は見たことがないのか、あるいは張本人だったりして(笑)
宣長も松陰も愛国心を持たなかったとおっしゃるつもりですか。
まず、「海外の反応」を求める事が、日本人の優越願望に基づいているという前提に疑問を持ちました。
日本は昔から「日本論」や「日本人論」に並々ならぬ関心を持つ変わった国でした。
その関心は単に日本や日本人を讃えるものにとどまらず、日本の欠点を指摘するものにまで及んでいました。
近代化=西洋化という歴史の潮流の中にあって、東洋の日本という国が自らの在り様に関心を持つのは当然の事だろうと思います。
日本人自身が、「日本とはなんだろう」と問うてきたのです。
そのように問う日本人にとっては、いかにささいな情報であっても、いくらかの思索の材料は与えてくれるものです。
どうか、「優越感を感じたいだけだ」などという浅薄な解釈にとどまらずに、日本という国の背負っている歴史について、ご一考くだされることをお願いします。
三島由紀夫はこのような海外渡航者、あるいは海外在住者の「離れて見なくてはわからない」式の視野狭窄をエッセイ「お茶漬けナショナリズム」で批判しています。
未読であれば、ご一読ください。
言いたいことはわかるが、少し短絡的な思考だと思う。
海外の反応系のブログが日本を褒めるタイプのものが多いのは確かだと思う。
ブログ主がそういう記事を選ぶのも、見る側がそういう類の記事が好きだからだと思う。
だからと言って、読んでいる人間がそれで悦に浸っていると考えるのはやっぱり強引だと思う。
個人的には、僕は日本人は逆に自分たちに自信が無さすぎて、外の人間に少しは認められているのを確認して安心したいんじゃないかと思う。
また、海外の反応は自分たちとは別の視点を教えてくれるとも思っている。
最後に、タイトルの机上の空論にすぎないわけがどこにも書いてないと思う。
ただ、あなたは辟易する。もっとこうした方がいい。といった説教しか書いていなかったように思う。
そうそう、醜いところはひたすら隠そうとして問題が深刻化するんだよね。
「日本の先人はすごいのだー感謝しろー尊敬しろー」とか謳いながら人口ボーナス期の終わってる世代に無理させたり、違法な時間外労働(無給)を強要したり高齢者の贅沢福祉を強行するんだよね。
今の日本人の先人への賛美は政治的な意図があると思うんだ。
結局、自分たちの世代や公務員を贅沢にするための政治をしているんだよ。
日本の(地方)公務員の年収平均は700万円~900万円前後、公務員だけいつまでもバブルなんだよね。
他国の良い所を探す分にはネットでも十分ありだと思う。
私はネットで、同一価値労働同一賃金やワークシェアリングという言葉を知ったし、
オランダがワークシェアリングで成功しているという情報もネットで知った。
労働者を酷使するための日本賛美だと思ってる。
それをして得をするのは低所得者や無所得者ではない、経営職や管理職、事務職に雇われではない公務員たちだろう。
誰がなんと言おうと日本は世界で高く評価されている。日本を評価できないのは特定アジアの3カ国だけ。彼らは嫉妬の裏返しでしかモノをいえない可愛そうな人々である。
論旨はまあ理解できるが、「机上の空論」の使い方が違うんでない?
自己レスです。
「机上の空論」とはある方法についてそれが現実に即していない事を批判する日本語表現です。
例えば、「部長は簡単にああやれこうやれって言うけど、そんなの机上の空論よね」と使います。
この文章の論旨は「海外の反応系の記事で悦に入っているのは偏狭なナショナリズムにすぎない」
という『現代の日本人の現象』を批判をしているのだと理解しました。
そうであるならば、机上の空論という言葉はふさわしくありません。
「真の愛国心を醸成するためには海外に出て日本を見つめなおすべきだ。
海外の反応系の記事を読んだくらいで愛国心が育てられると考えているならば
それは机上の空論に過ぎない。」
という文章ならば、日本語的には齟齬がなくなると思います。
優越感に浸りたいとか、もっと褒めてもらいたいのではありません。世界中から日本が絶賛されているなんて本当に信じている人はまずいませんよ。
日本のマスコミによる日本の評価を日々見ていると、外交は全て日本が悪く、物は売れず人は働かず自殺者は増え高齢化で先細り、日本は終わっているというネガティブな報道ばかりで、日本が破滅に向かっている瀕死の国に思えてくるのです。最低限の愛国心さえ維持できず、若者は未来が見えません。
それでも少しでも前を向きたいから、海外の反応記事を読んで、少しは海の向こうに味方がいてくれるのかもしれないと、ささやかな希望と一瞬の心の平安を取り戻しているのです。
海外にいる人には、今の日本のこの悲観的な雰囲気は分からないと思います。
マジで10年前の中国はサイテーだった。
あんな所にはもう行きたくない。
何で生肉の塊をアスファルトの上でタワシでこすってんだよ・・・
人は誰しもアイデンティティを求めている。
そのアイデンティティを容易に手にする方法のうち、最もポピュラーなのが“愛国心”“自国への誇り”だ。
日本人の多くは、戦後教育の弊害により、自国のすばらしさなど教えられずに育つ。
アメリカの小学校では、授業の始まりに国家を合唱するらしいが、日本では年に数回の全校集会などでさえ国歌を歌いたくないというものがいる(中には教師もだ)。(自分も、ネットを見るようになるまでは、日本はださくて恥じるべき国で、ヨーロッパこそ、白人こそかっこよくてすばらしいと思ってきた西洋かぶれの一人だった。)
また、宗教的アイデンティティも持たない。
そんな日本人が、ふと、ネットで検索してみて、
幼少期に得るはずだった、○○人であるというだけで誇りを得られるような記事に出会ったら…?
これまでの反動で、その「得る筈だった誇り」を貪るように見てしまうのは当然の成り行きではなかろうか。
ある集団がおかしな事をするとき、それはおかしな事をするに足る原因というのがあるものだ。
もっとも、それが歪んでいるという意見には同意。
ただし結果よりも根本を言及せねばならないというのが、要するに言いたいことだ。
>日本を評価する記事をわざわざネットで検索するユーザーには、「日本が海外にいい評価をされていることを知りたい」、「優越感に浸りたい」、「日本人のことをもっと褒めて!」という心理が見受けられる。
それだけじゃないと思いますよ。
海外の反応ブログは、これから海外に行く人、帰ってきた人、海外でのマーケティングを考える人、同じ趣味の仲間を海外に求める人、こういういろんな海外と日本の違いを知りたい人が見てるから、単に自国の優越感を得たくて来ているわけじゃないと思います。何が受け入れられ、批判されるのか知りたいんじゃないかな。コメントを見ていても、結構冷静な意見が多いですよ。
多くのサイトが海外旅行ではいけないようないろんな国からの意見を紹介していて、海外経験者の私も勉強になることが多いです。
この記事を書かれたのは、海外の反応ブログが自国万歳の井の中の蛙を生みだすことを恐れていらっしゃるからだろうと思いますが、私はこういったブログが若い人に、ただ海外を迎合するだけでない新しいグローバル意識をもってもらう良い機会だと肯定的に観察しています。
この風潮が、この先、社会にどんな影響を出すのか楽しみにしています。
海外に行った後に「楽しかったけど、ここはやっぱ日本のがいいわー。すごいわー。」と思いなおす日本人も多いと思います。
その後に海外の反応とそれを見た日本人のコメントを通してやっぱりそうだよね!と再確認する。
そんな流れもあるのでは?
海外の反応を見る層は海外経験者が少ないと言うのは言い過ぎ…というか偏見のように思います。
確かに日本の良い所ばかり読みたいという傾向は少なからずあるかもしれません。
しかし海外を評価してないわけではないと私は感じています。
まあ、今は日本バンザイブームなんでしょう。とそのくらいに思っていれば良いのではないでしょうか?
2008年からサブプライムローン問題が表面化し世界中が大混乱、リーマンショック、大震災、EU発・金融危機という日本全体がダメージを受ける
状況で、さらに海外へ行けというのはよほどの金持ちかそれこそ「机上の空論」でしょう。
もう少し客観的に現在の若者を批評してはいかがですかな。
エエェ(´Д`)
「海外を知らないのは海外留学しないからだ」って・・・(´Д`)
私は海外を知れば知るほど海外留学はしなくていいなって思ったけどね。
だって日本より安全な国無いんだもん。
私の大叔父は経済学を学ぶために、イングランドに国費留学、その後日本の銀行に勤務しました。一方10年前イングランドの叔母の家に滞在した際、立ち寄ったロンドンのパブで5〜6人の日本人留学生が麻薬やってラリっているのを見ました。目標や志がない留学は無意味どころか母国にとって害悪だと思った。日本文化、歴史をきちんと学び説明できる人格者が国を代表して海外に出ていくのがよいと思います。
「なんちゃって!」で締められてたら完璧な記事。
外国に行っても外国人はこう考えるだろうとか行動するだろうとかが分からなければ意味がないと思います。
ただ優しくされて外国を好きになっただけじゃダメかも逆もだけど
彼らの流儀に合わせていれば丁寧に扱われるかもしれないけれど、それが彼らの本心ではないのですから。
なーんかコメント欄の人達って見当違いの事言ってる気がするなあ
日本を褒める翻訳記事がダメ、じゃなくて百聞は一見にしかずって話でしょ
んで今は情報量が多いように見えるから十聞くらいで分かったようになっちゃうのが危ないと
例を挙げるなら「フランスでUFOロボグレンダイザーは視聴率100%」という話が一昔前に流行った
これだけ見ると日本のアニメSUGEEEってなるけれど、よくよく聞いてみると
チャンネルが3つくらいしかないころ、子供向けの時間帯、世代別の集計という条件付きだという
でもネットで言われる時はその条件がすっぽ抜けて「グレンダイザーは視聴率100%」って部分だけひとり歩きしちゃう
それで「フランス人?グレンダイザーがめちゃくちゃ好きなんだろ?」って分かったつもりになるのはどうだろうか
相手の本音なんて直接会わなきゃ判らない、それこそ肌で感じないと。
文字で受け取る情報は自分の中で噛み砕かれる過程で変質する。
自分の中に出来上がったイメージは実際とは違うかもしれない。
そもそも読み込める情報量が全体を内包しているわけでもない。
それを踏まえたうえで楽しんでいるなら別にいいんじゃない。
たまに警鐘を鳴らしたコンテンツを読むのも楽しい。
管理人様
仰られるタイトルに関して、ご意向多少なりと同意出来る点はございます、
が残念ながら8割がたは賛同いたしかねます。
先ず、貴方が論拠とされている日本に対する外国人の興味を示す指数の根拠が、日本へ旅行する外国人の
数であるということです。
現在のこの空前の円高にある今、旅行者の数を持って計るのはあまりに一元的で不公平に思えます。
またYOUTUBの関連動画などのコメントを見ると分かります通り、過去の経験(以前に日本へ旅行した際の経験や、
過去日本人に触れ合った際の事例)を元にコメントされている外国人の方が多いことからも分かられるでしょう。
つまり彼らは過去を起点として現在でも日本を好きでいてくれている方たちなのだと数えて取れるのです。
(今の日本大好きブログはむしろ彼らの声が大であるが故盛り上がっているという風に見えます)
それから貴方は海外を知らない日本人が外国人からどう思われてるか知り悦に入ってるのはどうか、と
いう態で疑問を呈されてますが
そもそも日本を好きでいてくれる外国人の方らの心情を理解するのに、その方の国へ赴き国民感情や風習の違いを理解する必要は
あまり感じられません。
何故ならその彼ら自身が自国の風習や感情との違いを感じた上で日本と言う国やその国民に好意を表してくれているからです。
勿論相手の国へ出向き双方の考え方の違いやギャップを理解した方がより相互理解は深まるということでしたら解りますが、
わざわざ他国と比較しての自国、日本と言う国の良さを理解する必要はないのではと思います。
行動として、好意には自然に好意で帰す、或いは日本の古い言葉にもあるように、一期一会の気持ちで接する、でよいのではないでしょうか。
私も在欧在米併せて20年に近い在外育ちの日本人です。管理人さんの仰りたい気持ちも多少は感じ取れますが
今このような口出しは外野としておこがましいのではないかと思います。(そもそも海外の方の畏敬好意を得たのは彼ら在日本日本人の方々です)
外野である我々は日本、日本人の功績をただ無秩序に勝ち誇るような状況にならざるよう見守り、また確かに存在する日本に対する感興好意に対し
裏切ることのないよう行動していけばよいのではないでしょうか?(それもまた傲慢な意見ですが)
ちなみに私はこの日本凄いぞブログの流行は、所謂2ちゃんコピペブログの1ジャンルであると思っています。
例えば過去にやる夫がやる~や○○だけど質問ある?と言ったものの新しいひとつのフォーマットであると思い自分も
ニヤニヤしてみている一人です。
そして海外在住の日本人として、今はこのブームに水を差すことなく、成り行きを見守っていきたいと思う者であります。
管理人さんも同様に感じていただければ幸いです。
すみません、基本的にはコメントは返さないのですが、以下の点を訂正させてください。
>貴方が論拠とされている日本に対する外国人の興味を示す指数の根拠が、日本へ旅行する外国人の
数であるということです。
そんなことは一言もいっておりません。もう一度読んでみて下さい。
海外に行って体験することなんて、ごく一部なことじゃないのか?
他人が経験したことを多く聞けば、おおよそのイメージが出来る
逆も同じこと
他国に比べ日本の悪いところなんぞ、義務教育やメディアで散々やっている
愛国心が無くなるようなことばかりを
「日本はそんなにダメなの?」と疑問を持つのは当たり前
その中で公正な目を持つことが大事
この記事自体も注意喚起の様でありながら軸がズレている
「優越感」という言葉に激しく違和感。
褒められることによって承認欲求が少し満たされる、というだけのことだと思うんだが、
海外の反応を見て外国人に対し「俺は日本人だ!」ってドヤ顔する人ってそんなに多いの?
海外の反応と銘打った記事も原文よむとポジティブ意見の抽出がほとんどですし
TVでもあたかも日本の完成がよくも悪くも「特別」のように誘導しようとするものが
多いですね。
アメリカに1年ほど住んでみて、あまりに感性にしろつきあいにしろ「日本と同じ」で驚きました。
まさかあっちで「写真をとってください」とカメラを手渡されるとはと(笑)
意外と遠まわしな言い方を好みますし、頻繁に謝るし。
まあ海外を無理に知る必要もないし、留学の有無で見聞の広さをはかるべきでもないでしょう。
ただ、編集されてフィルターを通った「日本は特別!」情報を真に受けると
時に恥をかくことになるかもしれません。
私は海外在住ですが、日本人ほど、自分の国が嫌いな国民は他に見当たりません。
では、日本が本当に最低な国かというと、全然そうではなく、ほとんど全ての事柄(足の長さ以外)において、日本はトップクラスです。
もしかしたら、この日本人の自国に対するマイナス評価が、今までの日本の成長の源だったのかもしれませんが。
海外には本当に悲惨な国々があります。
何の希望も持てず、暮らしは悪くなる一方で、世界中がその人々の絶滅を望んでいるような状態です。
それでもその人々は、何の疑いもなく、「自分の国が大好きだ。」と、いいます。
この、自分たちにたいするシンプルで自然な愛情こそが、日本人には欠けている、と思います。
当然、それは、戦後の教育とマスコミの洗脳の結果なのですが。
もう散々、日本人は自分たちの心身を殴り続けてきました。
殴るのを止めそうになったからって、不愉快な気分になるのは、まだ洗脳が解けていない証拠です。
日本人が「アタシ自分の国大好き。」とか書いてるのを見ると、しゃくにさわりますか?
この場合、この日本人ではなく、しゃくにさわった人自身に問題があるのです。
そもそも「愛国心」に本物も偽物もありません。
売国奴は別ですが。
人が自分自身や自国に愛情を持つのに、箇条書きした「他国と比較した理由」なんて必要ないでしょう。
自分の国に「確固たる、揺ぎ無い」愛情が持てない若者を、留学させるのは危険です。
「志」も大事ですが、それだけだと「売国奴」になる恐れもあります。
海外には、麻薬中毒、エイズ、精神の破綻、レイプ被害、などにあっている日本人留学生も多いのです。
たとえそれらにならなくても、筋金入りの売国奴になったり、それこそ「日本嫌悪」になったり、日本から出ない日本人を小ばかにしたりするようにもなったりします。
特に、女の子は、留学させるに際し、海外永住(国際結婚)の可能性も考慮しなければなりません。
最近の欧米は、「日本人が愛国者になってしまう。」ということを心配しており、日本人を欧米に留学させようと必死です。
もちろん、大学側の財政難もあります。
だから、今、「欧米への日本人留学生が少ない。」などの宣伝がそこいら中にでているのです。
この記事もその流れに沿っているのでしょう。
日本人が欧米に留学する、ということは、お金が入り、自国のファンを作れ、売国奴にもでき、国際結婚になれば日本人の血に外国人の血も入る、と、欧米にとっては良い事づくめです。
(欧米人はなぜか、日本人が純血主義だと思っており、日本の発展がその純血さからきている、と思っている。そしてその日本の発展を壊すには、他の血を混ぜ他国と似たような遺伝にするべき、というアイデアがある。だからこそ、日本人を他国人と結婚させようと、必死で国際結婚の宣伝をいろいろなところでやっている。)
もちろん、誰かが海外に行って、海外をつぶさに観察しなければ、自国を発展させることも守ることもできないことは事実でしょう。
この場合、欧米だけではなく、ほとんど全ての国を対象にしなければなりません。
そのためには、留学は全てではありませんが、ひとつの手段ではあるのでしょう。
優越感とかどうかなぁw
留学、旅行と同類にするのもどうかと
「俺は海外知ってるけど、お前らはしらねー」みたいな自分語りに見える
というより、ただの今時のワカモンはメソッドですよね、これ
偏った日本マンセー論が出るのは、
日本のメディアで、偏った日本ダメダメ論も多いので
それへの反発(ブーメラン効果?)があるんじゃないでしょうか。
坊ちゃんの「赤シャツ」みたいなタイプを想像すると分かりやすいけど
スノッブな人が好む言動に「日本人は○○だよね」
「日本はダメ。それに比べてxxは~」いうものがあります。
この表現は○○には否定的なニュアンス、XXには北欧とかアジアとか理想化された地域を
入れて上から目線で使われることが多いですが、そういう偏った論調も多いので
カウンター的に極端な意見が出てきているんじゃないでしょうか。
でもダメダメ論もマンセー論も、2つの部分でどっちもおかしいんですよね。
(1)評価の基準が、海外で不自然(カイガイ・コンプレックス)。
(2)全体主義的。
当たり前だけど海外って言っても、いろんな国や人がいるし
ユートピアもディストピア二極なんかないから、良い面だけを取り上げて語ることも
その逆も容易なんですよね。
けっきょくスタイルは両極端だけど、カイガイって物差しを絶対視してしまう
自信のなさっていうのは同じように思えます。
この話は
古くは漱石もロシア語通訳だった故・米原真理さんも書いてましたが
在外生活の経験がない人はわかるけど、豊富な人も意外に
過度なマンセー or ダメダメに走ってしまいがちな部分あるように思えます。
ナショナリストが、自分の存在価値を民族や国家に付託してしまうのは
分かりやすいですが在外経験の長い人が差別などで民族主義傾向を持つ場合もあります。
また逆に在外生活の経験のない人が、自称コスモポリタン(お花畑)になっちゃたり
自分の属する集団を攻撃することがリベラルであると思い込んだ結果、自虐的に
なってしまうこともあります。
個人的に在米の留学生と接して思ったのは、日本国内で政治や歴史を議論してこなかった分
国外でそういうスタイルに触れて目を開いたような気分になってしまう、無批判に欧米の
考え方を受け入れてしまう人もいる印象はあります。
他国に興味ある人ほど自分のバックボーンに目を向けてなかったので免疫がない部分も
あるというか。ラップ聴いて英語好きになった人は邦楽とか雅楽とかの知識ないみたいなもので。
まとめると…
そういう人が日本に戻ってくると在外経験を前面に出して
「日本はダメ。それに比べて○○は~」と上から目線でユートピア的に語っちゃうことが
反発を生んでいる部分もあるんじゃないかな、と思えます。
(「これからはxxの時代!」っていうポジショントークで使われることも多いけど)
この文章のまずいのは
>>こういうことを言うと、自分は海外に行かなくてもテレビやネットで情報は得られるので知識はあるという人もいるかもしれない。しかし、テレビやネットで誰かが言うことはあくまで「他人が経験したこと」でしかない。顔も見たことのない“誰か”のフィルターに映し出された情報を、“誰か”の言葉で表現しているものに過ぎない。“あなた”が経験しなければ意味がないのだ。
経験でしかものが言えないっていうのは、戦争を体験してないやつに戦争の悲惨さが分からないし、戦争の本質も分からないと語るのに似てる。経験の世界なんて言うのは個々個人によって、全て違う。だから、言語によって共有しなければならない。情報伝達の世界観なんて言うのは、もとは個人の体験からかもしれないけど、言語で放たれた途端、個人から離れて抽象的で共同的なものになる。それは良い、悪いでなく言語の基本的な性質なんだから。
また、この情報伝達の世界観を全部自分の体験と照らし合わせて、修正するというのも不可能だ。それは極端なことを言うと、世界全ての人の経験を追体験するということだから。だから、様々な人間の情報を聞いて調整するしかない。その中に極端な意見があるのは仕方のないことでしょ。外国で暮らしたことがある人間の外国観と外国に住んだことが無い人間の外国観が違うのは当たり前だし、それはどちらかが正しいということではない。こういう人間がいれば、ああいう人間もいるという程度でしかない。私にとったら、世界で日本が凄いと信じたい人も、外国に住んだことがある私は世界と日本の関係をよく知っているという人間も、真において正しい世界観という意味では等価であり、どちらかに価値があるとは思わない。もし世界観に価値があるとしたら、倫理性を持つかどうかということだけでしょう。
経験に基づく知識において倫理性の差がつくという風に読めるこの文章は不愉快です。人間は絶対に無知の側面をいくつも持っている。それをまず認めないと、経験しさえすればなんでも理解できるという倫理性のない人間になる。その傲慢な倫理性のなさという点では、海外を知らないナショナリストと一緒でしょ。
海外の反応を書く側と見る側のギャップの差は大きいですよね。
有る程度、海外の事情を知り、海外の友人を持つ人の考え方と
日本しか知らない、日本のみが優秀と思い込んでる人の考え方とは、かなり違いが有るでしょうね。
本来、相容れない関係で有るのにも関わらずブログという接点で繋がってるという矛盾。
もっとも書き手側の一部もステレオタイプを助長するような記事を書いて
読者を惹きつけてるのも事実で
そういった行為を観て残念に感じる人もいるでしょうね。
逆にこの記事内容を短絡的に捉えて怒り狂う人もまた随分といるようですが。
でも、自分自身の考えを自分のブログで書くというのは、筆者の自由だとも思います。
海外の反応ブログでこういった問題提起を書く管理人さんは、少ないので
色々な見方や反響も有り大変だとは思いますが、これもまた興味深いことなので
どうぞこれからも頑張ってください。
>逆にこの記事内容を短絡的に捉えて怒り狂う人もまた随分といるようですが。
「一部のコメント」を見て「日本のみが優秀」と考えてる人が多いとか(←あいうえお氏のコメ)
「長期の在留経験」のある人だけが「本当の愛国心」を持てるとか(←マダム・リリー氏の記事)
これも十分短絡的ではないのですか?
それに、コメント欄の意見は冷静なツッコミの方が多いです。
その理由は以下の通りです。
まず、この記事の問題提起の部分に関して同意しているコメントが多いです。
ただ、その展開方法や解決方法がモヤモヤしているからツッコまれています。
例えば、歪んだ愛国心のコメントが気になるなら、
せめて自分のブログではその類のコメントが何%くらいあったとデータ化して掲載できたはずです。
また、「留学」や「海外旅行」についての行(くだり)。
現場・現状を経験しているなら、そのことについての詳細を記事に盛り込むべきだし
「少子化や不景気は無視?」って思っている人のために、データの読み取り方への解説が入るべきです。
筆者の感じたなんとなくの感覚とデータの上っ面をなでただけの引用で書かれた記事は、
筆者の述べる「自己中心的な愛国心は説得力に欠けてしまう」と構造的に同じに見えます。
※都合の良い情報だけを見て、都合の良い結論に結びつけるという構造
さらに筆者の言葉を借りるなら
「留学」や「20代の海外旅行」について現場・現状の経験がない筆者の記事は、
“誰か”のフィルターに映し出された情報を、“誰か”の言葉で表現しているものに過ぎない。
ものであり「この行には意味がない」ということになっています。
※現場・現状の経験の有無については不明だが、記事に反映されてない以上、無いのと同じ
>記事内容を短絡的に捉えて怒り狂う人もまた随分といる
と、感じられる感性を持つあなたの方がよっぽど興味深いですよ。
>>記事内容を短絡的に捉えて怒り狂う人もまた随分といる
と、感じられる感性を持つあなたの方がよっぽど興味深いですよ。
この記事のコメントではなくって
2chでココが取り上げられてたので
そこで観たコメントに関して書いたのですが
誤解を招いてしまったようですね。
書き方が足りませんでした。
海外に言った事の無い人を一括りにして見下すような方の意見を真面目に反論するのもバカらしいですが、机上の空論なのは「若者の海外への興味が薄れた」「海外反応のブーム」を比べて矛盾としてるとした所の方じゃないでしょうか。
そもそも海外旅行者数の減少は2006年のライブドアショック、2008年のリーマンショック以降長く続く不況時代に突入した頃からです。
当然各家庭の財布の紐がきつくなったと言うのは原因の一つでしょう。
国内の旅行会社各社も内需の拡大を優先し海外旅行よりも安価で行ける国内旅行を薦める動きもありました。
もちろん不況だけが原因ではありません。少子化や情勢不安もあります。イギリスで暴動が起きたり、世界遺産のナポリの街並がごみ溜めになったり、もちろん紛争地域が拡大。もちろんネットの普及で海外の情報が簡単に入る事もあるかも知れません。
様々な要因があって減少に繋がっています。
当然海外に行きたくても行けない事情の人も増えているでしょう。
そう言った方達が海外の話を聞きたくて海外反応みたいなブログを読むのは別に普通の事ではないでしょうか。
直に触れて始めて分かる、もちろんその通りですがだからと言って海外を知らない日本人の愛国心が机上の空論だなんて全て一括りにするような物言いは暴論だと思います。
そもそもネットで簡単に見れるようになったから海外の反応が注目されたりもしますが、海外の反応で必要以上に喜ぶ事は昔からあります。
もちろんそれは日本以外の国でも同じです。
日本以外の国も他国の賞賛を大げさに報道したりする事は多々あります。
この手の記事がバカらしい内容の物が多いのは事実でしょうが読んでいる読者を一緒くたにして見下すなんて行為も同様にバカらしい気がします。
私も海外の反応を「わざわざネットで検索」してみたりします。その中でただの日本持ち上げだけの下らない記事にはうんざりする事も多いです。
しかし持ち上げだけの記事を読んで自戒の気持ちを抱いたりもします。
思わぬ所でハッとさせられる事もあります。
そしてネガティブな意見をみたり、日本人では絶対に考えないであろう事を読んだりするのはとても興味深いです。
もし海外反応に喜んでる日本人を批判したいなら読者ではなく好評価ばかりを抽出して訳すような某有名翻訳サイトとかのやり方を批判した方が良いと思いますよ。
自国を褒められて自国民がうれしくなるのは世界共通。
日本人が自国の文化やいろんな事を賞賛されて喜ぶのは自然な事ですよ。
あと海外経験を人に説くほどの経験がブログ主にあるとは思えないです。
海外経験は逆に中途半端な人ほどブログ主みたいな感想をもらす。
海外で本当に長く仕事をしている人ほど世界から見た日本というものを分かっている。
自分の父が商社マンだったので海外生活が自分も長かった。
5歳から大学卒業まで海外にいて就職も海外、日本に戻ってきたのは2年前です。
あのね、日本人ほど謙虚で良くも悪くも自虐的な民族はいないよ。
世界中でもっと日本人は自信を持て!日本人はなぜもっと自国を誇らない?と言われてきたよ。
自分達のご先祖達が築いた信用は海外では絶大ですよ。
どこの国に移民してもギャングやマフィア化しないのは日本人だけと南米で働いている時には
政府関係の人にも言われましたね。
心配しなくても日本人の国民性は謙虚なままですよ。
だから自国が褒められた時ぐらい素直に手放しで喜んで下さい。
海外で30年暮らしました。
一番感じたのは日本人に生まれて良かったと思えることがたくさんあった事です。
もちろんこれは先人や今でも海外で頑張っている日本人のおかげですけどね。
・同意する点
”日本人の「優越感に浸りたい」感情には思わず閉口してしまうことも少なくない。”
行き過ぎたコメント、他国を貶める稚拙な感情論、ネットでの偏ったステレオタイプなどは海外の反応ブログが急激に増えたここ数年、どこのブログのコメントでも見受けられます。また記事についても耳障りが良すぎて、ちょっと恥ずかしくなるようなものもあるのは確かです。
”人は海外に行って初めて“自分の国”を理解できるようになる。”
海外に行って「日本はどんな国?」と訊かれたときほど、自分の勉強不足を痛感します。意外にも学校の教科書が役立つ場面だったり。
”日本だけが特別評価されているわけではないことを知っていて、日本の愛国心が過ぎるプロパガンダ的な話には興味を示さないからである。”
ちやほやされすぎる表現については、「まあ、大げさだよね」と笑い飛ばすのがだいたいの反応ですね。日本を知っている外国人は多くても、大部分はわざわざ「日本ってすごいよね!」なんて話しかけてきはしません。国も人間と一緒で、いい部分も悪い部分もあります。
・同意できない点
”日本を評価する記事をわざわざネットで検索するユーザーには、「日本が海外にいい評価をされていることを知りたい」、「優越感に浸りたい」、「日本人のことをもっと褒めて!」という心理が見受けられる。”
これは違うと言わせていただきたいです。
”Cool Japan”ネタの記事が人気なのは確かですが、「やりすぎだろ日本!」とか、「拝啓日本へ なんじゃこりゃ(WTF Japan Seriously)」など、ステレオタイプのネタを楽しんでいる記事も非常にたくさんあります。
それを読む人には優越感より、自虐性、諧謔趣味のほうが強いのではないでしょうか。または、同じコンテンツを見て、共感したり、意見の相違を楽しんだり、ミームを共有したり。オタクの人はこちらがほとんどです。
”若者の海外に対する興味が薄れたと言われる一方で、「海外の反応」がブームになっているという矛盾”
不景気や就職難など、社会不安の大きい現状を、留学者数や海外旅行者数を根拠に、海外への興味が薄れたと言うのは一面的すぎないでしょうか。もし海外在住経験者でいらっしゃるなら、親族家族との距離、金銭的な負担、仕事としてのキャリアなど、一般的な日本人が海外で生活するリスクはご存知だと思います。
むしろ、そういった物理的制限を超えて、言語さえ分かれば容易に情報収集のできるネットの普及が、「海外の反応」というジャンルを作り出し、また海外との双方向性をも持ち出しているという点で、私は新しい目覚め、自覚の予兆を感じます。
同じアニメや漫画を見た感想を、海外の人と共有できるなど、10年前には考えもできなかったです。
実際に顔を合わせ交流することはとても重要な個人体験であり、理解を深めることにはなりますが、それとネットでの現象を比べるのは、少し観点が違うのではと思います。
”“あなた”が経験しなければ意味がないのだ。”
本当に意味がないのでしょうか? 全く?
これは海外の反応だけではなく、ネットの情報全てに言えるリテラシーの問題であって、愛国心や日本観とはまた一段違う問題と思います。
最後に私は話題にされている、海外の反応ブログの一つを過去、地味にやっていました。
それを踏まえて一番申し上げたいのは、読者から「もっと批判的な意見も公平に取り上げて欲しい」という要望がよくあるということです。もしくは、「この記事について翻訳して欲しい」という要望です。
ただ、悪い意見というか、ネガティブなものは暴言連呼や話題と無関係すぎて、取り上げる価値がない場合もよくあり、フィルターをかけるつもりがなくても、そうなってしまう記事があります。
ともあれ、重ねて言いたいのは、自ら選択して記事を見にきてくれる方は、”自己快楽的な記事”でなく、「日本という国の現在位置を知りたい」という好奇心が大きいということです。
たしかに幼い自意識、ちやほやされるのを喜ぶ無邪気さのようなものを、このブームに感じることはありますが、開国、近代化した日本は、国際社会ではまだまだ新参ですし、そういう意味でネットは希望の鍵ではないでしょうか。
最後にややきつい意見を言わせていただけば、記事執筆者がどの方であれ、マダムリリーという看板でこれまで「海外の反応」的な記事を書かれながら、「こういう日本評価の記事は読むに値しない」とここでおっしゃるのは、コンセンサスに疑問を感じます。
もう少し違ったアプローチで、現在のネガティブな部分について警鐘を鳴らすことはできるのではないでしょうか。
拙いながらも一意見として書かせていただきました。