ホームジャパン高すぎる教育費は全てムダ!厳しい受験戦争が日本人をダメにする理由

高すぎる教育費は全てムダ!厳しい受験戦争が日本人をダメにする理由

「日本の教育は間違っている」

私はこれまでマダムリリーで日本情報に詳しい外国人の意見を多く取り上げてきた。日本に住む外国人が多く挙げる日本の問題点の一つに「教育制度」がある。外国人に限らず、日本人も同じように感じているが日本の教育費用は世界的に見てものすごく高い。小中義務教育で無償だとうたっていても、小学生のランドセルから始まり、塾費用や給食費など実際に日本で暮らしてみるといかに子供の教育にお金がかかるかが実感できる。

日本最古の英字新聞社であり、在日外国人向けに情報を発信する「JapanTimes」では、日本で暮らすイギリス人ライターが日本のお受験の滑稽さを指摘している。彼自身、今年で小学生になる息子がいる。息子の受験戦争の様子を見守りながら、「日本では高い教育費を払ってもエリートは育たないのではないか?」と心配になってきたそうだ。

そこで今回は、息子にお受験をさせたイギリス人大学講師ジェラルドさんから見た日本の教育制度の問題点を取り上げる。彼の故郷、スコットランドと日本の違いはなんだろうか。

やる気を損なわせてしまう日本の教育の決定的な問題点

親なら誰もが子どもの幸せを願うものだ。一人で自立し、厳しい社会で生きていくためにも子どもにはできるだけ多くの可能性を与えてあげたい。そのために学歴が必要なら、少々値段が高くても塾に通わせよう。

そんな親心から子どもの教育に熱心になる人も少なくないのではないだろうか。そういった親の気持ちは間違っていない。ただ、日本の中学生の子どもは世界の子どもに比べてとっても忙しく、正直かわいそうに思ってしまう。

定期試験に受験勉強。放課後の部活動が終わって、夕ご飯を急いで食べて塾に通う日々…。大人の私から見ても息をつく暇がないほどのハードスケジュールだと思う。

Brian J. McVeigh著の『Japanese Higher Education as Myth(日本の高等教育神話)』では日本の教育の問題点をこのように挙げている。

“日本の教育は子どもに学ぶやる気を損なわせ、結果として学ぶ力を失わせてしまう。学校や塾などのクラスルームにいる時間がこんなにも長いと、子どもは学ぶことを嫌うようになり、学ぶこと自体が不安の種となってしまいやすい。”

記事ライターのジェラルドさんも塾に通わせる必要性に疑問を持っているそうだ。彼の甥っ子でスコットランドの大学で医学を勉強している男の子がいるが、その子は一度も塾に通ったことがないという。その代わり、塾に行かない時間を友達と遊ぶ時間にあてていたそうだ。遊ぶ時間と勉強する時間をきっちりと分けていたからこそ、やる気をもって勉強に集中することができたと彼は語っている。

そして何より、学ぶ面白さを子どもが実感することが大切だと彼は主張している。定期試験や受験勉強でいい結果を出すための勉強では、学ぶ面白さはわからない。どう回答用紙に記入すれば点がもらえるか?とか、志望校の入試にはどんな問題が出るか?といった小手先のテクニックや、時間のかからない暗記ばかりの学習ではやる気ばかりがそがれてしまう。志望校に合格することを最終目標としている日本の教育では子どもの“学びたい”と思う気持ちが育たないというのが決定的な問題点だ。

 高すぎる教育費は全てムダ!厳しい受験戦争が日本人をダメにする理由

高い教育費を払っても頭がカラッポな優等生ができあがるわけ

そんな問題点を抱える日本の教育制度だが、高い教育費を払う価値があれば納得して支払うと筆者のジェラルドさんは言っている。しかし残念ながら、日本のエリート教育にはその価値もないのではないか?と彼は語る。

ジェラルドさんは現在大学やその他の教育機関で講師をしている。生徒や学生などの学力はおそらく平均的であろうと彼は推測しているが、時々自分の学生があまりにも世間を知らなさ過ぎてショックを受けるそうだ。日本の現在の総理大臣の名前を答えられなかったり、日本の人口や日本で主要な宗教名を答えられなかったりする生徒もたまにいる。外国の首都名や外国通貨、世界的に有名な建造物の名前、世界の食べ物などの質問をしても同様だ。

ほとんどの学生が自分の専門分野に関することは答えられるのに、それ以外の一般常識は驚くほど無知だとジェラルドさんは語る。「なぜこんなことを知らずに生活できるのか?」と不思議で仕方がないという。

しかし、結局はこれも厳しい受験戦争に打ち勝つことを最終目標にしている日本の教育制度から生まれた姿勢が原因になっているのではないか。

“受験に必要のないこと”は積極的に学ぼうとしない、進路に関係のないことを学んでいる暇はない…。

学校以外の時間を有効に使うため、受験に必要な知識だけを詰め込む。その結果皮肉にも、たくさん勉強しているはずの日本人は海外の人から「こんなことも知らないの?」と驚かれてしまう。

さらに、日本型詰め込み教育では「自分はどう思うか?」という視点を持って学ぶ機会があまりにも少ない。そのため批判的思考力が育たず、知識はあるのに意見がない“空っぽな優等生”ばかりができあがってしまう。

 

ジェラルドさんが提案する教育制度改善法

それではどうすればいいのか?筆者のジェラルドさんいわく、まずは塾に対する親のイメージを変える必要があるという。そして学校や大学での定期試験は全て国が管理・運営、情報を開示して、塾だけが知っている受験情報を無くす。定期テストの出来は全て学年末の最終テストにも換算されるように変更する。こうすることでテストの出来が悪かったとしても、次の定期試験で挽回できるようにする。

ジェラルドさんは最後にこう締めくくっている。

“目で見て価値がわかるものは、自分が何のためにお金を払っているかがはっきりしているが、教育の場合はそうはいかない。私を含めて多くの親が子どもを日本の学校に通わせることに大きな不安を抱いている。教育制度が変わらない限り、今の日本の学校に子どもを通わせる親ができることといえば、せいぜい子どもが定期試験をパスするように塾に通わせてあげるだけなのだから。”

参照

“”

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8 コメント

  1. アジアの教育:テスト対策
    欧米の教育:一般教養

    15歳時点でのOEDCの学力スコアは上位だが、成人の科学リテラシー調査のスコアは先進国中最低レベル。
    これらから判ることは日本人にとって「学校で習うこと」はすなわち「テストに出ること」でしか無く、それらの教養を日常生活に応用して論理的に考える能力が低いし、また受験が終われば必要の無い知識として忘れる。
    日本人がディベートが弱いと言われるのは論理的思考が苦手な馬鹿な大人が多いから。
    例として日本に蔓延る似非科学(血液型診断、コラーゲン、マイナスイオン、農耕民族/狩猟民族、肉食による体臭、骨を溶かす炭酸飲料、ゲルマニウム等々挙げてたらキリが無い)。
    これは高校レベルの知識を応用して論理的に考えれば嘘だと判るはずなのに、思考停止してそれができず国レベルで当り前のように信じられ、挙げ句にはそれを利用した商品まで売られてる。

  2. いつも楽しく拝見させて頂いております。現在ワシントン州に留学中の者です。

    この手の話ー海外の教育は良くて日本はダメーはこのところ頻繁に目にします。実際僕も日本の高校の閉塞感に苛まれ、中退後留学を決意しました。アメリカでの学校生活は人種の多様さもあり個々が自由に生きている雰囲気でとても居心地がいいです。つるむ必要もなく、他人の目を気にすることもなくいつも気持ちよく独りでいられることがとても嬉しいです。

    しかしながら、海外の教育を日本人全員に当てはめるのは、少しおかしいと思います。はじめに、この記事では全体を通して塾と受験を否定しています。たしかに柔軟に知識を身につけることを目的とした場合、評価ばかり重視されるこれらのシステムは非効率であり、それこそ「ムダな出費」でしょう。一方で、僕は受験を通し「達成感」や「自信」を強く実感しました。また塾での勉強は学校とは違った視点で学べるため(他の教材、他の教師などによる授業)、現在の勉強や趣味である読書の楽しみを知りました。ちなみに塾の先生がすごく美人でした。

    また「常識的な知識の欠如」についてですが、これは賛成します。僕自身を含め、学校での勉強が無意識のうちに全てになってしまい、それ以外のことについては異常に盲目だったりします。ただし、アメリカ人も同じかそれ以上に何も知りませんでしたよ?みんな大学生なのに、アメリカの歴史をちぃとばっかし知っているだけで、アメリカの銃社会問題やアメリカにおける慰安婦の存在、中東でのアメリカ軍に対する意見など、アメリカの問題でさえ意見どころか知識もない人ばかりでうんざりします。逆に日本の歴代首相を知らないからなんなのでしょう?それこそ、表面的な知識を詰め込む日本的な考え方ですよね。

    「日本の教育の価値は目で見えない」と言いますが、当たり前でしょう。教育が目に見えるものですか。同じ教育でも、総理大臣になる人、犯罪者になる人、新聞で捏造記事を書く記者になる人、様々です。良い教育=お金を稼ぐ仕事を得る考えが目に見える価値という意味なのでしょうか?

    共感できる点できない点様々ですが、ただ単に海外の真似ではなく日本人独特の教育観を大切にしたいです。そして何より、一方的な日本教育の否定の風潮が教育する方される方のやる気を削いでいることも、何気無いけど大きな問題ではないでしょうか。現在問題視される日本の教育ですが、同時に現在の日本を支えているのも日本の教育でしょう。良いところ・悪いところ、両面があることを忘れてはいけないと思います。

    長文大変失礼致しました。
    引き続きブログの更新楽しみにしております。

    • きのこさんは、ご自身の経験からジェラルドさんの様な人の意見には、抵抗が強いのでしょう。
      増してや、”海外留学”の身で、それに”充実感”を感じておられるなら、その切っ掛けが”受験戦争への勝利”であるなら、余計に抵抗が強いんでしょう。

      でも、今の日本の教育は、全般的に”促成栽培的な教育”に成り下がっている感は否めないと思う。
      ジェラルドさんの”不安”は、そこにあるんでしょう。

      そもそも、”促成栽培化”の背景にあるのが、
      “受験戦争→進学→就職→終身雇用”
      ――の流れであり、且つ、生活コストも上がっているから、”エリート=安定した生活”と言うイメージが説得力を持つから、広く受け入れられているのでは?

      でも、”ニート”を生み出し、”格差社会”と呼ばれる現状を招いている原因の一つが、”受験適応最優先”のやり方が行き詰っている結果では?

      「子供のために」が、逆にこう言う結果を呼び込んでいるなら、何とも皮肉な話ですよね。

      もっと、きのこさんにとって”目に見えない部分”もあることも、考えて欲しいですね。

  3. ジェラルドさんが見ている学生が今の学生なら、むしろ受験戦争時代の方が学生賢かったと思うよ

    子供の数が多く受験戦争がピークだった80~90年代の学生の学力と、今の少子化でゆとり教育中の学生では学力が比べものにならない

    今の学生が世間知らずなのは詰め込み教育じゃなく、単純に子供の数が少なく、少人数小クラスで20代になるまでにふれあう人間の数が圧倒的に少ないことによる社会経験の少なさだと思う

    1クラス40~50人で1学年20クラス、下手したら2部生で学校が運営されていた団塊の世代と、1クラス35人以下で1学年1~2クラスの現代の子供では、集団行動力もコミュニケーション能力も、様々なタイプ・経済格差のある家庭の子供とのふれあう機会も段違いだ

    また、社会全体が高齢化社会になった事によって、若者に与えられる機会が非常に少ない
    若いうちから失敗してもいいからチャレンジしなさい、という機会を与えるゆとりが社会に無い
    失敗させられないから経験豊かな高齢者に仕事を優先的に回し、賭のような新しい試みをさせられない

    結果社会の中で若者がリーダーシップを取る機会がなく、リーダーの言うことを素直に鵜呑みにして考えずに従える人間を養成する事になる

    学校制度の問題じゃなく少子高齢化による社会現象が背景に強くあると思う

    むしろ受験戦争時代の過当競争は確かにその中から一部のエリート・天才をふるい出す事には成功していた面もある 大多数の凡人には無駄であっても。

    日本の教育制度自体は昔より今の方が悪いとはいえ、それでも海外に比べて悪いとは思えない
    マジメに勉強してて、学内の風紀が海外ほど悪くないってだけでも十分いい
    全体の質が均一な点も評価できる
    勉強にならない学校とエリート学校の差が海外ほどひどくない

  4. 自分はマレーシア人とのハーフでマレーシア人の通う学校に通っていました
    これはマレーシア人の従兄弟から聞いたことですが
    マレーシアでは幼稚園から既にマレー語、英語を習い始め、中華系なら漢字も覚えなければいけないそうです 宿題も出ます
    マレーシアの親は教育費惜しまない傾向があって我が子に与えられる限りのお金を教育につぎ込みます 自分のクラスメイトも従兄弟もほぼ全員がなにかしら塾に通ってました
    自分も中華系の小学校に通っていたのでこれは自分が身をもって体験したことです
    学校の通常授業の長さは日本とそんなに変わりませんが
    6年生は受験に備えて通常授業の終わった後、学校主催の塾コースに参加しなければなりません、全員例外なく強制参加です(もちろん有料) 更に終わった後担任主催の塾に通います 学校にいた時間は実に14時間です…

    この国では体罰は政府が容認しているので教師は容赦なく生徒に手を出します
    カバンにタバコを持っていた生徒を教師がボコボコ殴っていたのを見たことがあります
    他の教師も生徒も一言もいいませんでした

    中学校では校則が異常に厳しく、ボールペンしか使っちゃいけない、修正液は持ってきてはいけない、男女ともに前髪は眉毛より下に伸ばしてはいけなくて、違反すれば強制的に切られます、長髪の女子は必ず一本結びにしないといけない‥

    学校には部活がない 運動会などのイベントもない…

    日本の教育が駄目ならこっちはなんな訳…

  5. 初めまして。
    調べ物をしていて、ここにたどり着きまして。

    さて、”日本の教育”……確かに、”曲がり角”に差し掛かっている感は否めないですね。

    ただ、本文とコメント、読み比べて思うのは、”どちらも片面的”と感じること。
    ジェラルドさんは”悪い面”で語り、コメントされる方の、きのこさんの様に”良い面”だけで語りきる――でも、それだけでは、”悪い部分の補正”には繋がらないのでは?

    そもそも、”システムの悪い部分が、ルールの不備にある”は、ルールを直接変えて行くより方法が無いのでは?
    ジェラルドさんが気にしているのは、”システムの破綻”を感じているからこそ――の感想でもある訳ですから。

    反面、きのこさんの様なやり方は、
    “システムの悪い部分を、良い部分で補う”
    ――と言う考え方なんでしょう。
    更に、自身の経験もあるから、ジェラルドさんの様な”海外からの目線”に対して”抵抗”もあるのでしょう。

    でも、今の日本が”格差社会”と言われる現状を招いているのは、今あるシステムの多くが”破綻している部分”がかなりある結果では?

    突き詰めれば、
    “受験戦争→進学→就職→終身雇用”
    ――の流れがあり、その結果、システムそのものが”促成栽培的”となった事で教育の質も下がり、且つ、教育コストも押し上げていることでは?

    “システムの悪い部分”の根幹が残るままなら、何れはまた同じ問題が起きるのでは?

    その”弊害が顕著であるからこそ――の受験戦争であり、同時に”格差社会”でもあるのに、全く問われていない気がしますね。

    でも、きのこさんの様に、そこに気付いていない人が多い――と感じられるのが、不安ですね。

    結局は、”勉強とは、何か”――を、問い詰めて、その上で、”促成栽培的”になっている部分の改正して行くべき――と思いますね。

    長くなりましたが、それでは、またです。

  6. 日本が見習うべきデンマークの民主主義に学ぶ教育と福祉と生活。
    試験や競争なんて要らない。個性に合わせた平等こそ公平で必要なことなんだ。
    「民主主義の質が高い国」ランキング発表、デンマークが1位
    デンマークに学ぶ生活大国とは ~成熟した民主主義社会を築くために~
    アメリカのペンシルバニア大学のRichard Estes教授が、「世界で一番住みやすい国~生活大国~はどこか」と教育、文化、社会福祉、等の各方面に渡って調査を約20年間行った結果を1995年に発表した。その結果第1位はデンマークであった。(ちなみに上位はほとんヨーロッパが占めていた。2位ノルウェー、3位スウェーデン、4位オーストリア、5位オランダ。日本は14位、アメリカは18位)
    具体的に生活大国とはどのような国なのか。デンマークの場合、医療費、大学までの教育費は無料ですべて税金で賄われている。67歳以上は全員年金がもらえ、公共施設なども無料で使用できる。実に国家予算の80%までが教育、社会保障など国民の生活に関わるものに使われる。まさに「ゆりかごから墓場まで」が実現された国だ。
    今回デンマークを訪れてみて思ったことは、デンマークから学ぶべきものは、福祉そのものというよりは、その福祉を築き上げた分権的政治、そしてそのために必要不可欠な成熟した民主主義というこであると痛感した。
     ではなぜここまでデンマークに民主主義が根づいているのか。民主主義の柱となるのが「自由」「平等」「連帯」「共生」という考えである。この民主主義の柱となる考えがきちんと国民の意識の中に根づいている。日本でも戦後、民主主義社会が目指され続けたが、日本人の中に本当に民主主義が根づいているのか疑問を持たざるを得ない。ではこの意識はどこで得られるのか。教育によって得られるのではないだろうか。デンマークでは特に教育のなかで「平等」ということに重点が置かれている。
     日本とデンマークの教育方針には明らかな違いがある。デンマークにおいては義務教育段階で人との差、競争というものを学ばない。デンマークでは、各人の能力に応じて異なる教科書を使い、試験、成績表というものがない。そのため子供の段階で人と競うという感覚が起きず、自由で平等な感覚が培われていく。
     一方日本の教育は小学校1年生から全員が同じ教科書を使い、一斉にスタートをきる。そして授業について行けなくなる子供が次第に脱落していく。また体育や図画など、もともと個人差や、感受性などが重要であり、評価のつけようもないものにまで、成績をつけ、知らず知らずのうちに「他人よりも」と競争心がわき、平等性を欠いた教育となっている。
     そして高校に進学する場合も、本当に高等教育を学びたい人だけ(全体の30%から40%)が進学するが、日本のように、高校だけは行っとかなければという感覚もおきない。
     真の平等とはそれぞれの個性にあわせて公平にするということである。例えば知的障害児に教育を受けさせる場合、普通の学校に入れ、その子がたとえ試験で0点を取り続けたとしても「他の子と同じ教育を受けさせているから平等だ」というのは間違った平等である。その子の個性にあわせた教育をすることが必要である。
     日本ではこのようにそれぞれの個性を無視し、とりあえず一緒にすれば平等だという感覚が強い。高校もぜんぜんレベルの違う高校をでても、学歴としたら同じ高卒となる。教育内容は競争心をあおっておいて、その後にうわべで平等を叫んでも、本当の意味での平等意識、共に助け合う意識はうまれてこない。

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