日本で「グローバル化」が叫ばれて久しい。学校教育や就職に際して、「国際化」や「グローバル化」という言葉を聞かない日はない。
小学校の英語教育必修化、楽天の社内英語公用化、安倍政権の世界大学ランキングトップ100に10校ランクインを目指す改革…。
採用に英語力を重視する企業や留学生を積極採用する企業も増えてきている。子どもに英語を学ばせようと英会話教室に通わせる親も増加傾向にあり、両親とも日本人でありながらインターナショナルスクールに通う子どもも珍しくはなくなった。
東京オリンピック開催に向け、ますます「日本のグローバル化」熱がヒートアップしている。しかし、このグローバル化に向けた取り組みの仕方が間違っているのではないかと疑問を唱える人もいる。
日本好き外国人のための日本情報サイトTofuguでライターをしているオースティンさんもその一人。彼は2012年から日本の大学へ留学に来ている学生だが、日本社会の「グローバル化」への取り組みには常日頃から疑問を抱いているという。そこで今回は、日本に留学している外国人が思う『日本社会が考えるグローバル化のおかしなところ』を紹介する。外から見た若い人の意見とはどんなものだろうか?(以下、原文要約)
日本のグローバル化に足りないもの
私にとっての”グローバリゼーション”や”国際化”という言葉の定義は「世界的、国際的な舞台で働き、競争する力を得ること」であり、国内のみの視点ではなく世界的視野に立って受け入れられるようになること」だ。しかし、日本は多くの人が「グローバル化」をキャッチコピーとして使うが、その言葉の本質を理解している人がいないように思う。
日本のグローバル化への取り組みは正しい方向に向かっている部分もあるが、不十分な面も多い。より多くのニーズにこたえ、より“深い”問題の解決が求められるのではないか。例えば、日本の移民制度。日本は世界でも永住権が取りにくい国として知られている。日本人が配偶者でない場合は永住権を得ることはかなり難しく、私の知り合いの大学教授は日本で10年以上教壇に立っていたベテラン教員だったが、日本での永住権取得を去年拒否された。
また、日本企業は外国人を採用しようと取り組んではいるが、採用した外国人をうまく”活用”できているかというと疑問が残る。日本で働く外国人の多くは、「会社では他の言葉を話す日本人のように扱われている」と答えている。
日本の会社文化や縦社会の人間関係を外国人労働者にも押し付け、トップダウンの企業文化に疑問を持つな!と言うのでは、そもそも外国人を雇う意味などない。クエスチョンはNG、自分の意見を持つなと言う日本企業で、一体どんな「グローバル化」がありえるのだろうか。
日本の大学の問題点
学校教育の場では英文科が設けられている大学もあるが、英語力が不十分な日本人教師が教えている場合も少なくない。英語で読み書きができるからと言って、英語を教えられるとは限らないと思う。
また、大学にいる外国人留学生をいかに日本人学生と交流させるかというのも一つの問題だ。国際交流に力を入れ成功している大学もあるが、留学生を別科にして、日本人学生との交流がなかなか持てない大学も多い。留学生の寮を別にするなどして、大学側が日本人学生と外国人留学生を別物として扱うから、両者は別個の世界で別物として学生生活を送ることとなる。これではせっかく大学にはグローバル化できる機会があるのに、それをみすみす逃しているようでもったいないではないだろうか。
表面的でないグローバル化を
日本のグローバル化には他にも多くの問題点(日本国内の外国人数の少なさや日本企業文化など)も含んでいるので、1つの記事で簡単に説明できるほど単純なものではない。
しかし、私がここ日本に住んでいて思うのは、「日本は多くの外国人を呼び、英語力の底上げさえすればグローバル化に立ち向かう準備ができる勘違いしていないか?」ということである。もちろん外国人を連れてきたり、英語を勉強することも大切だ。外国人がいなければ外からのインプットもないし、英語が話せなければコミュニケーションがより困難なものとなる。
しかし、グローバル化への取り組みはもっと”深い”ところでされるべきものなのだ。例えば日本社会の”均質性”などのほうがグローバル化を妨げるものとして取り組むべき問題なのではないかと思う。
日本社会が今後本当の意味でグローバルな社会になるか?日本が外国人数や英語などの”表面的”な改革ではなく、より”深い”意味での改革へ向けた努力がなされるかどうかにかかっていると私は思う。
参照:Tofugu