「日本のアニメとか、漫画とか、私は見ないの。」
[dropcap]日[/dropcap]本のアニメが海外に人気を得てから久しいが、世界にはいまだにアニメに対して偏ったイメージを持っている人が多い。日本のアニメは”日本好きのオタク”か、”子ども”が観るものだから自分は見ないと決めつけている人だ。
そういう外国人にこれまでどんなアニメを見てきたかと尋ねると、大抵が「あまり見たことがない」という。見たことがあったとしても、ジブリを1作品だけとか、兄弟が観ているのを横でたまに見る程度である。要するに、あまり見たことはないが、そういったものは私は好きじゃないとイメージだけで決めつけているのだ。
こういう人の話を聞くと、「不憫だな」と思ってしまう。見ないと決めたせいで、どれだけ多くの素晴らしい作品を見逃してしまっているだろう。アニメを見る、見ないは個人の自由だし、実際アニメなんて世の中になくても、生きていける。しかし、「私はこういうものは好きではない」という思い込みが、その人の人生や視野を狭めてしまっているように思い、残念でならない。
こういったことはアニメ以外にもよくあることだ。
「私は生魚は信用していないから、寿司は食べない。」
「ブルーチーズ食べたことないけど見た目が無理。食べられない。」
「インド映画?観たことないけど、興味ない。」
「日本人と仲良くしていればいいから、外国人の友達はいらない。」…etc.
[dropcap]昔[/dropcap]、出会ったアメリカ人留学生は食べるもの、見るもの全てに説明を求めてくる女性だった。例えば2人でちゃんぽんを食べたときは、「このスープは何でできているのか」、「魚介はどんなものが入っているのか」、「入っている魚介はアメリカにもあるものなのか」、「エビはどこ産か」などと質問してきた。結局彼女はその時、ちゃんぽんを食べずに終わったのだが、日本のおいしい食べ物を紹介したい私としてはとても残念な気持ちになった。
ひょっとしたら、だまされたと思って食べてみたら、ちゃんぽんが彼女にとって「忘れられない日本の味」になったかもしれない。ひとくちでもいいから食べてみればいい。ちょっとでもいいからやってみればいい。
怖がって食べないより、まずは食べてみる。そのうえで、好きか嫌いかを判断すればいい。食べなければ味はわからないし、語れない。食べて、まずかったとしても、「まずい」ということがわかっただけ良い。
[dropcap]私[/dropcap]自身、昔はアニメやマンガが好きではなかった。当時付き合っていた今の外国人旦那に半ば強制的にアニメを見せられてから、「日本のアニメは素晴らしい」ことを知った。それまで「アニメなんて子どもが観るもの」と決めつけていた自分は馬鹿だったと反省したのを覚えている。
自分のなかに無意識のうちにある「決めつけ」という箱を取っ払うのは、思っているより難しい。しかし必死に箱を守って、箱を大事にすることで自分を守っているようようだが、案外これが逆だったりする。
Out Of The Box(枠にとらわれない)考えをしてみて、一番の恩恵を受けるのは他ではない自分だ。自分が嫌いなそうなことも、まずはやってみよう。
ひょっとしたら、一生モノのつきあいが始まるかもしれない。
日本のアニメ文化は素晴らしい。
しかしアメリカフランス中国等海外にも独自のアニメがある。
それらは日本のアニメ同様素晴らしいものだ。
日本以外のアニメにも目を向ける必要ありかもね。
海外のご当地の世界観がどうアニメに反映されてるかを知り楽しむのは大事だ。
アニメっていってもトトロから、HENTAI、児童に性行為を強制しているものと幅広い。
それを全部いっしょくたにするのは単なる無知だと思う。
セーラー服を着て巨乳で童顔で胸の割れ目を強調し、股を開きぎみにしているアニメがどんなに多いことか。女の子がほほを赤くして「ご主人様~❤」というアニメが多すぎて、ロリータの多い日本人男性の多いこと。(社会問題にさえなっているのに)そのことを海外の人は オタクのアニメ と言う。
ジブリ作品、ドラえもん、マリオよりそっちが浮かぶ
この意見は非常に独善的で押し付けがましいと感じる。目の前の食べ物が何でできてるか聞くのは単なる欧米圏の慣習なのにそれを尊重せずウザがるのは多文化理解に欠けている。何か確認せず食べたものが後から昆虫だと発覚したらどんな気分になるか考えてみたらいい