ホームジャパン【日本好き外国人の反応】日本人の"責任感"は世界的に見ても特異。

【日本好き外国人の反応】日本人の”責任感”は世界的に見ても特異。

日本人は礼儀正しく真面目だと海外でもよく言われますが、これは日本人特有の”責任感”からくるものではないかという意見があります。外国人向け日本情報サイトTofuguのライターである、オースティンさんもその一人。彼が思うに、日本人はルールをきちんと守り、責任感の強い国民だと言います。彼がそう思う根拠は…

  1. 日本の道路はとても綺麗。ポイ捨てをする日本人も少ないようである。
  2. 日本は基本的に治安が良い。夜中の2時を過ぎて夜道を歩いていても、ほとんど問題はない。
  3. 日本は規律正しい国。2011年の東日本大震災の直後の日本人の秩序の良さは海外でも話題になった。

確かにこれらの事実は、日本人は責任感が強いという良い例です。

海外に比べて道端に設置してあるゴミ箱の数は少ないのに、ごみが落ちていないのは、私たち日本人がゴミを家まで(もしくはコンビニのゴミ箱まで)持ち帰っているという証拠です。公共の場を汚さないようにするのが市民のすべきことだという意識が周知化されています。

日本の治安の良さも世界的に見れば素晴らしいです。日本の犯罪率は低く、殺人発生件数もリヒテンシュタインやシンガポールと同様、他国に比べ非常に低い国のひとつです。さらに、携帯電話や財布を落としても近くの交番に行けば戻ってくるという点も外国ではあまりないことです。

 

 個人に対する責任はなおざりに

国語辞書によると、「責任感」とは自分の仕事や行為についての責任を果たそうとする気持ちです。ポイ捨てが少なく、治安がよく、きちんとした日本がこの状態で保てるのは、日本人一人ひとりが集団に対する責任を果たしているからです。個人→集団に対する責任という点では、日本人の持つ責任感は強いといわざるを得ません。

しかし、その逆はどうでしょう。集団→個人への責任はなおざりにされやすいと、オースティンさんは語っています。

過労死は個人に対する責任を無視している良い例です。それに、日本人は「すみません」の平謝りをやりすぎる傾向にあり、これが個人に対する責任を無視するという結果に結び付けているように思います。あなたがバイト先でお客さんに怒られたとしても、原因が自分の責任の範疇にない場合はあやまらなくてもいいのではないでしょうか。

確かに欧米なら、例えば服屋で「なぜSサイズを置いていないのか?」と店員に抗議したところで、店員は謝らないでしょう。店員個人の責任ではないので、店員個人が謝る必要がないというのが欧米的スタンスであるように思います。それに対し、日本の場合は、「店員一人ひとりが店の顔である」という教育を受けるので、店の責任も店員個人の責任も同じものとして扱います。客側も責任の所在をはっきりと区別しようとしません。これが日本でよく見られる個人の責任と集団の責任を混同している一例です。

 

「積極的に社会に貢献する責任」は果たしていない

【日本好き外国人の反応】日本人の"責任感"は世界的に見ても特異

「責任」と一口に言っても、その内容は大きく分けて2つあるとオースティンさんは語っています。

ひとつは、ルールを破らない、約束は守るという責任。もうひとつは、社会に参加する一員として貢献するという責任です。日本の場合、後者の責任が果たされていないことが多いと彼は言います。

日本はボランティア活動に費やす時間はOECDの諸外国と同程度です。しかしボランティア活動の内容を見てみると、日本人は地域のボランティア活動や学校のPTA活動には積極的に参加するものの、フルタイムで参加する必要のあるNGO活動の参加率は他の国と比較して非常に低いです。また、、イギリスのチャリティー団体CAFおよび、アメリカの世論調査企業ギャラップの調査による、人助け、寄付、ボランティアに関する世界寄付指数では、以下のような結果になっています。

  • 2014年度の世界寄付指数調査では、日本は世界135カ国中90位
  • 日本人の24%が過去1ヶ月間に宗教団体や政治団体、慈善団体等に寄付を行ったと回答。(アメリカは68%)
  • 日本人の28%が過去1ヶ月間に組織的なボランティアに時間を捧げたと回答。(アメリカは44%)
  • 日本人の26%が過去1ヶ月間に異邦人、助けを必要としている見知らぬ人を助けたと回答。(アメリカは79%)

この調査結果は質問形式なので、日本人は他人を助けた場合でもそれを「人助け」だと自覚していない場合が多いのかもしれないとオースティンさんは語っています。しかし彼は同時に、それがどの程度数字に反映されるのか疑わしいとも言っています。

市民の社会活動参加という責任を語る上では、もうひとつ良い例があります。それは、「選挙の投票率」。日本国民全体の投票率は52.6%と、世界的に見てもさほど低いものではありません。しかし、若者の投票率となると諸外国と比べて圧倒的に低い数字です。去年(2013年)の参議院選挙で20代は33.37%。3人に1人しか選挙に行かなかった状況を示しています。日本の若者は、日本国民としての責任を果たしていないと言わざるをえません。

 

日本人のもつ「責任感」の特異性

これはあくまで日本が好きな一人の外国人の意見なので、それが真実というわけではありません。しかし、私たち日本人が意識していなかった「日本人特有の責任感」というのを、多面的に観察するという意味で、非常に興味深い内容だと筆者は思いました。

確かに日本人が「責任感」を語る場合、ルールや約束を守るということに意識が集中してしまう傾向にあると思います。その結果、「ルールはも持っているから大人としての責任を果たしている」と思ってしまいがちです。

しかし、現実には「大人として積極的に社会や政治に参加する」という責任もあります。この点は、今後の日本人の課題なのかもしれません。

また、日本人は「個人の責任と集団の責任を混同しやすい」というのも面白い観察です。実際にこれが日本社会で受け入れられるかは別として、抗議をする側も、抗議される側も「誰に非があるのか?」という区別をはっきりさせるべきです。

責任感とは、自分の仕事や行為についての責任を果たそうとする気持ち。そして責任とは、立場上当然負わなければならない任務や義務のことを言います。あなたは日本人の「責任感」についてどう思いますか?

  • 日本人は、ルールや約束事をきちんと守るという責任感は他国と比べて非常に強いが、これは個人が集団に対する責任を果たそうという意識が働くからである。
  • しかし、集団ではなく個人に対する責任となると、なおざりにされやすい。長いものに巻かれる個人が全ての責任を負うという不公平な構図が存在している。
  • 積極的な責任(社会や政治に自ら参加する責任)は意識していない人が多い。自分に直接関係のなさそうなボランティア活動には参加しない。

参照:Tofugu

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12 コメント

  1. 寄付の少なさは、社会に対する責任感を計る指数とは少し違うと思う

    海外の富裕層が多く寄付を行い、その莫大な寄付金で社会の救済システムを昨日させている欧米に比べ、格差の少ない日本では、「富裕層に一端冨を集中させて、それを富裕層の自由意志で手放させる」ルートではなく、「一端国が全ての冨を取り上げ、海外では富裕層が寄付金として輩出する金額を予め国が税金として集金し、政治のシステムによって運営する」というルートで弱者救済システムを運営している違いの為だと思う

    莫大な寄付ができるという事は、それだけ格差が大きいバカみたいな富豪が沢山いるという事の裏返しだと思う

    若者の投票率の低さも、「社会に対する責任感の無さ」とは少し違う
    日本では戦後のベビーブームで団塊の世代が若者として日本社会の中で圧倒的多数派として積極的に政治に参加し、学生運動・日本赤軍・浅間山荘事件とそりゃあ色々やらかした。あの時代の若者達は確かに積極的に政治に参加していたし、自分たちが政治に参加する事で世の中が変えられると本気で信じていた。

    でもあの事件があって、いわば若者は団塊の世代ですらできないという事を強烈に植え付けられて、トラウマになってしまった。

    今や日本は高齢化社会で、若者は全人口の中で圧倒的少数派として産まれた時から生きている。「責任感が無い」のではなく「責任を果たしたくても果たす場がもはや無い」という絶望によるものだと思う

    それが良いとは思っていないけれど、これらの数字を責任感を比較する指数に選ぶのはあまり適していないと感じる

    • 海外の富裕層が多く寄付を行い>残念ながら、日本社会ではノブレス・オブリージュ(noblesse oblige)という概念はない。また一般社会では教育されていない。付け加えれば、そういう概念があるという事すら知らないし、知ろうともしない。

      • 寄付することは他人を信頼してお金を渡す事。信頼できない詐欺ボランティア団体が多過ぎる!
        取締りも追いついていないし本当に善意の団体と区別がつかない!
        日本の富裕層は信用できない他人に寄付する位なら自分で実行かふるさと納税してしまうんだと思う。

      • 税金対策や政治的意図からの場合も少なくないこともお忘れなく。清い利他心だけで寄付していると考えているならナイーブ過ぎる。

  2. 年功序列、終身雇用も責任感なのかな?
    じゃあホリエモンは責任感無い人間なの
    だろうか?
    日本人は終身雇用と経済成長神話が崩壊
    してからは昔程勤勉では無くなり、女性
    へのアンケートでも貞操観念が先進国で
    低くなったと言われているね。
    核家族は間違っていたのか?でも、大家
    族には離婚したり家庭崩壊するのも多い
    しどっちが良いと白黒言えるもんなのかね?。
    ならば昔に戻ったら昔みたく日本一人勝
    ちの世界となってまた日本車を叩き壊さ
    れる様になるんだろうか?

  3. ゴミのポイ捨て、治安の良さ等、日本人の責任感とは全く無関係だと思います。
    友人の英国人が新宿駅のホームに立って「あんなに綺麗に整列して並ぶのは、英国人だったらトイレに行く時だけ…」とジョークを飛ばしたのを今でもホームに立つと思い出します。

    来日するフランス人の殆どが日本を評してOrganisé(組織化された)或はContorolé(管理された)と言います。個人主義の欧米人にとっては異質に映るのかも知れません。
    長年培った社会環境や慣習によって染み付いた結果、日本人にとって無意識のうちに管理されたり、組織化される事は楽で、心地よく感じるのかも知れません。

    人口学者エマニュエル・トッド氏の「世界の多様性」の分析で、直系家族である日本人の基本的価値は権威と平等であり、秩序と安定を好むと….

    • [用法]なおざり・[用法]ないがしろ――「学業をなおざり(ないがしろ)にする」のように、いいかげんにする意では相通じて用いられる。◇「なおざり」は、きちんとすべきことを手を抜いていいかげんにするさまをいう。「なおざりに聞き流す」「なおざりにできない問題」◇「ないがしろ」は大切にすべきものを粗略に扱う、また無視するさまをいう。「親をないがしろにする」のように用いる。◇類似の語「ゆるがせ」は「なおざり」と同じく、手を抜いておろそかにするさま。「一刻もゆるがせにできない」のように用いる。

  4. 国としてありえない額の援助などを様々な国にしている。これは国民のお金なので寄付に参加していると言える。
    普段からボランティア精神に溢れている国なのでボランティアに何時間参加したとか名目的なことは誰も考えていない。普段からダラシない国の人たちがボランティアをする事に意味がある。何故ならその時位しか彼らは国に尽くす機会がないから。日本人は普段からポイ捨てしたりしないし親切にしているからボランティアという目に見える形でアピールする必要はない。

  5. 日本人がポイ捨て等をせずに社会の規律を守ることは「社会に貢献する責任」とは呼べない一方で、欧米人の団体への寄付は「個人に対する責任」を果たしていることになるのですか? どうも恣意的な色分けに見えてなりません。

    また、欧米人は商品やサービスへの苦情を誰にするのですか。店員でなければ誰に?

  6. 責任感とは別の話だけど、日本人は間違いをしてきする異常なほどの几帳面さがあるように思う。か。この記事への日本人達のコメントを見ていてそう確信した。この揚げ足取りや粗探しとも言える正解主義、減点主義がかつての競争力に繋がっていた。

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