筆者はこれまでたくさんの”海外の反応系”記事を書いてきた。外から見た日本の観察は書いていても面白いし、海外の反応の記事は読者の反応が大きいからだ。しかし、これらの記事を書きながら、実は常々胸に思うことがある。
それは、「何で日本人は、海外の反応をそんなに気にしなくちゃいけないんだろうか?」ということ。
東日本大震災以降、「日本の○○に対する外国人の反応」、「外国人が思う日本の○○」などの記事を目にすることが多くなった。多くは英語の記事やYOUTUBEのコメントを元に書かれたものだ。
ひとつ、海外の反応系記事を読む人が注意しなくてはいけないのは、これらのコメントを残す外国人は、外国人のなかでも“特に日本に興味を持っている人たち”であって、外国人の総意ではないということである。
日本のウォシュレットがすごい!と言っているのは日本に来てウォシュレットを体験したことのある人の意見であって、実際は世界のほとんどの人がウォシュレットと聞いて、それが何なのかわからないだろう。日本人のこういうところが嫌だという意見があっても、それは外国人みんながそう思っていると言うわけではなく、外国人のなかの、少数派の、日本に興味がある人のたった一つの意見に過ぎない。実際には、日本と中国の違いがよくわからない外国人があまりにも多いというのが現実だ。
さすがに東日本大震災のような大きなニュースの場合は、日本に興味のある人もない人も、色んな人の興味をひきつけたので、”総意”に近い意見だったが、それ以外の”海外の反応”は外国人全体の意見とは別物として考えるべきだと思う。
というか、そもそもなぜそんなに海外の意見に興味があるのだろうか。
例えば日本についてネットであれこれ言っているアメリカ人がいたとして、果たしてこのアメリカ人は日本人のように「他の国がアメリカをどう思っているか」を気にするのか疑わしい。実際に英語の記事などでも、”逆”海外の反応の記事は非常に少ない。結局のところ、よその人が何をどう思おうがさして気にしていないのである。
日本人もこのスタンスでいいのではないだろうか。外の人が日本のことをどう思うのか全く気にしなくていい…とまでは言わないが、少々周りの目を気にしすぎなところがあるように思う。
さらに言えば、周りにどう思われているのか知りたいという好奇心、探究心が実際の日本の実像を曇らせているようにも感じる。海外の反応系の記事やテレビ番組などを見ていると、まるで世界のみんなが日本に注目しているかのような気がしてくるが、これこそが虚像である。
日本は世界の中心ではないし、そもそも世界の中心にある国なんてない。日本に興味がある人もいれば、ない人もいる。日本が世界の真ん中にあると思う外国人もいれば、端っこにあると思う外国人もいる。外国人の反応を知ったところで、何にもあまり意味がない。
だから、日本人は海外の反応なんて、気にしなくていい。
周りが良いと認めることをしなくちゃいけないわけでもない。それに、周りが良いといったものが本当にいいとは限らない。
日本は海外の国ではなく、日本が良いと思ったことをすればいいんじゃない?と思う今日この頃です。