「インド人の性格にはびっくり!旅先で驚いたインド人の10の言動」という記事でも紹介したように、インド人の国民性は日本人の真逆にあると言えるほど、価値観や考え方が日本人の感覚とはかけ離れているうように感じた。「インド人、嘘つかない」とはよく言ったものだが、実際は嘘つきまくりのインド人。とにかくしゃべりたくて仕方がないようで、次から次へとあることないこと言いたい放題だ。
なかでも筆者が驚いたのは、インド人の「臆しなさ」である。インドの旅ではインド人との会話は全て英語だったのだが、インド人は英語がわからなくてもとにかく話し続ける。会話できるほどの英語のレベルがないおっさんも、怒涛のごとく話すのだ。
しっかり相手の言うことを理解しようと思って聞いてみると、“them”と言うべきところを“he”と言うので意味が取れなかったり、”not”を入れて否定するべきところで使わなかったりするので、話の辻褄が合わないことが多い。主語を間違えたり、notを入れないで話すような「文章を理解するのに必要不可欠な部分」を平気で間違えるので、聞いている側としては「このインド人は何を言おうとしているんだ?」と想像を膨らまさなければいけなかった。はっきり言って、話していて非常に疲れる相手である。
インドのおっさんが一生懸命熱弁してくれても、こちらが意味を理解できなくて、「ごめん、何言ってるかわからない…」と言って会話が終わることもしばしばだった。
アメリカ人やフランス人など、外国人との異文化コミュニケーションでこのような状況になったら、自然と互いにあまり話しかけないようになる。話したところで伝わらないし(伝わるかどうかわからない)、会話が滞ってきまずい雰囲気になるのは嫌だ…と、自然と口をつぐむようになる。
しかし、インド人の場合は、英語のミスなんて何のその!細かいことは気にしない。自分の言ったことが相手に理解されなくても、決してひるまない。理解されなかったら、少し残念そうな顔はするが、すぐに話題を変えて他のことを話し出す。「話したいことはいっぱいあるのだから、小さなことにいちいち構ってられない」といった感じだ。
おそらく、彼らのなかでは「会話のキャッチボールをする」というよりも、「自分の言いたいことを話す」ことのほうが重要なのだろう。だからインド人は、人の話をあまり聞いていないし、相手の反応も気にしない。
ここまでくると、不快を通りこして、逆に気持ちがいい。自己中心的なインドのおっさんたちの「図太さ」や、「アピール力」は見上げたものだと思う。決して理想的なコミュニケーションをする人たちだとは言えないが、いつも相手の反応を気にしてしまう真面目な日本人は、少しインド人を手本にしてみてもいいのではないだろうか。
インド人を見ていると、異文化コミュニケーションで大切なのは語学力ではないことがわかる。外国人との人間関係で本当に大切な要素は、「伝える熱意」だ。意味が伝わらなくても、熱意が伝われば、気持ちも伝わる。インド人との会話では、この図式を身をもって体験したように思う。話していて非常に疲れる相手ではあるが、不思議と嫌な気はしないし、相手に対して悪い印象にならない理由はここにある。
筆者もそうだが、日本人は海外へ行ったり、英語を話さなければならない場面に接すると、「正しい英語を話す」ことに、あまりにとらわれすぎてしまう。「あれ?こういう時何て言うのが正しいんだろう?」、「失敗した!こう言うべきだった!」と、まるで英語のテストを受けているかのように、間違えることを恐れ、正しいか正しくないかにこだわる。正誤にこだわるから、どんどん無口になっていく…。
ビジネスではなく、単なるおしゃべりでは、センテンスとして正しいかどうかなんて、本来ならどーだっていいことのはずだ。自分と相手が“互いに知り合う”ことが目的であり、文法的な間違いなどは取るに足らないことである。さらに言えば、間違いを気にしすぎて、「互いを知り合う機会=口数」が減ってしまうのなら、それこそ本末転倒だ。
「周りに気を配れる人が立派な人」という価値観が通用しない異文化コミュニケーションでは、日本人はもっともっと図太く、ずうずうしく、厚かましくなるべきだ。
日本人が持っている“生真面目さ”に、インド人の“鈍感力”が加われば、日本人は最強だなぁ…と、適当すぎるインド人のおっさんと話していて思った。
本当に痛感できる内容です、ありがとうございます。
私は台湾で駐在していますが、中華圏特有の自己中、人の意見を聞かない、マイペースにストレスを感じてたのですが、
結局自己主張をしないとビジネス上ただのオトナシイガイで終わってしまう気がしました。
確かに。相手に綺麗に伝えようとか考えて話す癖がついている日本人には到底真似できない。アメリカに留学している日本人、特に男性などは見習うべき。