日本人は学校で6年も英語を習っているのに、話せる人がこんなに少ないのはなぜか?
これは日本で英語を教えている外国人共通の疑問であり、飲みの席でよく盛り上がる話題だと筆者のアメリカ人の友人(元日本在住英語教師)が言っていました。日本人はなぜ英語が苦手なのか?これには色々な仮説があります。
例えば、「日本語を英語に置き換えるから」とか、「日本人はシャイだから」とか、「そもそも必要ない」とか…。今回は、これらの通説を否定した日本在住外国人Ken Seeroiさんのブログが面白かったので、ここで紹介したいと思います。みなさんは、彼の分析をどう思いますか?
Why are Japanese so Bad at English?
「日本人が英語を話せない理由」のウソ
1. 日本語を英語に置き換えようとするから話せない
これはウソ。日本語をそのまま英語に直して置き換えても、意味は通ることが多いから。
Ex.) 英語が出来ません (I Can’t Do English)
2. 日本人は英語を知らないから話せない
これもウソ。実際に日本人と話してみると、日本人は多くの英語を知っていて驚く。日本人は本当は英語をよく知っている人たちだ。
Kenさんが田舎のそば屋で、年寄りの農家の人たちと会話した時のこと。彼らは知っている英単語を片っ端から言っていたのだが、数字や色の名前、動物、食べ物、乗り物、家電の名前の他に、“straight,” “curve,” “hot,” “cold,” “big,” “small”などの単語も知っていた。田舎の年寄りでさえ、“mania” や “fantastic”なんて英語を知っているんだから驚きだ。若者なら当然、もっと知っている。高校を卒業するころには、十分に会話が成立できるくらいの単語を誰もが知っている。
3. 日本人はシャイだから話せない
これは言い訳でしかない。僕は多くの日本人上司がいるが、日本人は望むなら恐れるほどの自己主張の強さを発揮できる人がいる。なかには、バカっぽく思われたくないから英語を話せないと理由づける人もいるが、それはなにも日本に限った話ではないだろう。いやむしろ、アメリカなんかで英語を話してみるより、日本でチャレンジしたほうがよほど気が楽だ。アメリカのように「英語で話せよ!」と怒られることもないんだから。
日本人が英語を話せない本当の理由5つ
教育カリキュラム要因1:授業補強時間の少なさ
英語⇔日本語置き換えメソッドが通用しないというわけではなく、授業で習ったことをバックアップするための時間が日本の英語教育では足りていない。日本の学生は週に1-2時間の英語の授業で、文法や語彙を学ぶ。そして、それで「学習」は終わりであるため、その後すぐにシベリアに投げ出されるような状態になってしまっている。
日本の子供たちはたくさんの英語の言葉を知っているし、文法的知識も豊富なのに、それを実際にどのように使うのかを学ぶ場がない。要は習ったことを補強するための時間が不足しているのだ。英語での読書計画や、会話やディベート、プレゼンテーション、英語での映画鑑賞などに充てる時間が全くない。一人でも学べる「座学」で終始してしまっているのが残念だ。
教育カリキュラム要因2:学級”管理”を重視
先生が黒板の前の教卓に立ち、生徒たちはみんな静かに先生の言うことを聴く…。こんな昔ながらの授業風景から脱することができていないのが、英語を学ぶ環境としてマイナスになっている。「学級管理」と、教室が牢屋と化する境目というのは実は非常にあいまいだと思う。
生徒側からすると、自分だけが目立つことなく、早く授業が終わることだけを祈っている。先生だけが一人で話し、それをみんな良い子になって静かに聞いているのだが、実際に先生の話を真剣に聞いている人はあまりいなかったりする。日本での英語の授業風景は、「泳ぎ方」を毎週教室でレクチャーするようなものだ。
教育カリキュラム要因3:練習時間の少なさ
日本の学生はたくさんのことを学ぶが、その知識を実践することができない。持論だが、スピーキングに必要なのは情報ではなく、スキルだ。正しいやり方を知っていても、実際にやってみたら「できない」という経験は誰もがしたことがあるだろう(サッカーのテレビゲームは上手いのに、サッカーはできないとか)。英会話というのはまさにこれと同じで、実際に会話してみることが何よりも重要なのだ。知識の詰込みだけではあまり意味がない。
文化的要因1:無言による「応答」が許される文化
日本は無言でやり通すことが許される文化だ。というより、実際は「話さない」ことを求められる。「波風を立てない」ことをベースに、社会が成り立っているのだ。心の中で本当に思っていることを言葉にする…なんてことをしてほしいと思っている人はいない。まるで人々が本音で話して自由にさせたら、みんなが酒屋を襲う~みたいなことを想像しているみたいだ。これは子どもの頃から刷り込まれること。
僕が日本のある小学校に赴任していた時は、野球コーチが子どもの頭をバットで軽くたたいたり、歴史の先生が子どもの胸をパンチしたり、散髪してこなかった生徒にボディースラムしているのを見た。しかもこれが、「良いしつけ」とされていたから驚きだ。
日本人は自分が権力のある立場なら、シャイになるなんてことはありえない。こういったことを通して、生徒はふざけたり、良くないタイミングで話したり、やりすぎな行動に出ると、大人たちから激怒されることを学ぶのだ。この環境で何年か過ごせば、アウトプットから逃げようとするようになるのも理解できる。
文化的要因2:英語が「必要不可欠」だと思っていない
日本人はそもそも、英語は「選択肢」だと思っている。「必要不可欠」だと感じている人は少ない。日本では、どこもかしこも全てが「日本語表記」だからだ。日本にいるほとんどの人が「日本人」に見える。それはまるで、日本以外に他の国が存在しないかのようだ(テレビ以外では)。日本人が英語を使わなくちゃいけない機会に接する確率は、日本でそろばんが必要になる確率と同じ…だと思っているようである。
僕は最近、大学で英語を専攻したいといっている学生と話す機会があった。英語を学んでどう使いたいのかを尋ねたところ、「英語を使う仕事はしない」とか、「外国人の友達が欲しい」程度の理由でしかなくて、薄っぺらい理由しか持っていないようだった。これではまるで、穏やかで面白い趣味である。
これは母国のバーで出会った日本人しか知らない外国人には想像できないだろう。「英語を学ぶ」ことを選択して海外にいる日本人とは違って、大抵の日本人にとって「英語は必要ないモノ」なわけだ。
毎日洗濯すること?これのほうが優先事項で、英語なんていつでも後で学べると思っているのである。
終わりに
いかがでしょうか。さすがに学校の体罰のくだりは、そんなバカなwと思いましたが、彼の言いたいこともわかるような気がします。要するに、「出る杭は打たれる」が言いたいのかなと。
持論では、日本人が英語を喋れない理由として、英語を学ぶこと自体が日本の文化に合っていないのではないかと思います。実際に英語が話せたり、英語が好き!という人は海外に行ってしまう人が多いわけで、そのなかには「日本が合わない」、「日本が窮屈だ」という理由があったりもするのかと…。
要するに、英語を本当に話せるようになった人は変わった人が多い。ある意味で、“日本のスタンダード”からズレちゃっている人が多いような気がします。そうなると、日本で当たり前に、普通に周りに合わせられて、周りと同じようにして生きていられる人が「英語なんて必要ない」と思うのはすごく自然なこと。これを無理矢理「英語は必要」だとか、国際化だなんだと言って、英語を話せるように強制することに違和感を感じます。
さて、あなたはなぜ日本人は英語が喋れないと思いますか?コメント欄で教えてください。