みなさんは、「帰国子女」と聞いてどんなイメージを思い浮かべるだろうか?
筆者は、小学生の頃に2週間だけ同じ日本に来ていた同級生の男の子のことを思い出す。見た目は同じ日本人なのに「アメリカから来た」というだけで物珍しくて、何だか近寄りがたくて、みんなの注目の的だった彼。何をしていても、どこにいてもみんなから”浮いて”しまっていて、教室の隅でいつもつまらなそうな顔をしていた。
今では筆者も海外で暮らすようになったが、それでも帰国子女を「特別」だと思ってしまう感覚や、「何となくムカつく」と思う気持ちもわからないわけではない。
帰国子女は珍しいから、周りに理解されにくい。理解されにくいから、変な誤解をされたり、ステレオタイプに当てはめられたりする。国籍が日本でありながら、誰にも理解されず、居心地悪く感じている人も多いのではないだろうか。それなら、帰国子女とは何なのかを私たち「日本育ちの日本人」がもっと理解するように努めるべきだ。
そこで今回はある帰国子女の女性をインタビューした海外ブログの記事を紹介する。8歳までアメリカに住み、その後6年間オランダで暮らした後で日本に帰国したマユさんが、日本で感じた”葛藤”とはどんなものだったのだろうか。
帰国子女とは何か?マユさんのストーリー
マユさん: アメリカにはたくさんの州があるだけで、車でどこまで行っても、アメリカはアメリカなんですよ。8歳までは、私には”国籍”というのがどういうものなのかもよくわかっていませんでしたね。
それからオランダで暮らすようになって、虹色のように多様な人のなかで育ちました。違った言葉を話す、違った宗教の、違った国の人が周りにたくさんいました。毎日が新しい文化を学ぶ日々でした。それでいて、みんな同じ学校に通っていたので、それぞれが違ったバッググラウンドを持っていたにも拘わらず、価値観は共通していたように思います。
日本に帰国…学校生活で感じた違和感
日本に帰国したら、私は普通の公立学校に通いました。そこには、海外で暮らしたことのある生徒や2か国語を話す生徒なんていませんでした。もちろん私は見た目は同じ日本人なのですが、中身が欧米人だったんだと思います。日本人の同い年の子たちからしたら、私の存在は「赤の他人」という感じでした。
アメリカやヨーロッパに住んでいた時は、日本語を学ぶために毎週土曜日、日本語の特別クラスに通っていたし、両親と会話するときはもちろん日本語でしたから、日本のことはきちんと理解しているつもりだったんです。しかし、実際に日本語を使って日本人とコミュニケーションをし、人間関係を構築するとなると、現実は全く違いましたね。
例えば、欧米文化では自分の意見をはっきり主張することが大切ですよね。何かわからないことがあれば、質問する。しかし、日本では「聞かないこと」が求められているんです。ただ言われたことを理解するだけでいい。英語にこういった言い回しがあるのかわかりませんが、日本ではこれを「空気を読む」と言います。意見を言ったり、質問するのではなく、行間を読んで理解することが求められるという意味です。
日本の学校では、先生が「今日の授業で質問がある人はいますか?」と聞かれたときは誰も手をあげたりしないんですよ。先生がこう聞いたときは、「これで今日の授業は終わりです」という意味なんです。だから私が「はい、先生。ここがわかりません。」と言って手を挙げたときなんか、周りの生徒はみんな「何、あのこー!何か言うことでもあるの???」って感じの反応でした。
最初はかなり変わった子だと思われていたと思います。しかし、そのうちにこれが私だし、こうやって育てられたわけだし、学びたいから質問して何が悪いの?と思うようになりました。周りの子と同じように押し黙るのをやめて、私は私の道を行く!と振る舞いを変えたんです。
いじめを打ち明けたときの母からの言葉
どこに行っても「批判されている空気」を感じていました。下校途中の廊下を歩いている時ですら、同級生から「見てあの転校生!チョー変わってんの。海外に暮らしていたから何言ってもいいと思ってんだよ。」と陰口を言われているのを耳にすることもありました。最初はとても悲しかったです。
いじめは辛かったけど、私はいつも自分に言い聞かせていました。「大丈夫。もっと強くなって耐えるんだ!」と。当時は、周りに個人として認められないことにかなり困惑していましたね。当時、私は14-15歳。一番多感な時期です。しかし、この辛かったときこそ、家族の役割が私にとってとても大切でした。学校から家に帰って、私は何事もなかったように振る舞っていたのですが、それでも親には全部バレていたみたいで…。特に母からは「どうしたの、何があったの?」と聞かれました。
すると涙がボロボロ出てきて、学校で無視されていること、いじめられていること、もう学校なんか行きたくないと思っていることを話しました。
すると母は言いました。
「マユ、何を言っているの。自分に自信を持ちなさい。あなたの経験はとても貴重なものなのよ。あなたがしてきたことをやってのける人はそんなにいないんだから。あなたの周りにいる子だって、あなたのしてきた経験をしたことはないのよ。それなのに、どうしてそんなに自分を劣っているように感じているの?あなたのことを理解してくれないのなら、それはその人の問題よ。」
母は他の子を批判するわけでもなく、ただ単純に「自分らしく生きなさい」、「変わらなくていいのよ」と言ってくれました。劣等感を持たず、自分に誇りを持つこと!と。この時初めて、「貴重な体験ができたこと」に感謝する気持ちを忘れていたんだと気が付きました。日本の学校生活に馴染むために、海外経験なんてない振りをし続けていましたから。
母に話をしたこの日が、私にとってはターニングポイントでした。学校の友達や教師を恐れることがなくなりましたから。卒業するころには、誰も私をいじめる人なんかいなくなりましたし、教師にも好かれていました。
今振り返ってみると、この学校生活は「どんな日本人になれるのかを学ぶ時期」だったように思います。
個人主義のヨーロッパから、集団主義の日本へ
ヨーロッパから日本への移住は、私にとっては大きなトランジションでしたね。「私」という人間が認めてもらえなかったという経験を初めてした時期です。この時期は私の人生の中で最もつらい時期でした。でもそのおかげで、困難にもへこたれない、立ち直りの早い人になれたようにも感じます。自分を理解されないことがあっても、なぜその人が理解できないのかわかるようになりました。
ヨーロッパではみんながみんな違っていたので、周りが個人を変えようとするような圧力はありませんでした。私が思うに、人々が同質化した社会では「異」が際立って、のけ者にしようとする感覚が強くなるんだと思います。
いずれにせよ、日本での経験は私にとってはプラスでした。この経験のおかげで、「自分とは何なのか」を改めて知るきっかけになったし、より柔軟になったと思います。個人主義でも、集団主義でもどちらでも対応できるようになりました。私の性格はどちらかというと個人主義ですが、どちらの文化圏にいても困ることはありません。
マユさんにとっての「ホーム」はどこか
この質問はよく聞かれるんですが、私にとって「ホーム」に当てはまる場所はありませんね。日本には14年間住んでいますし、家族もいて、居心地もいいんですが、やはりどこか「完全に馴染めていない」気がします。それに、私自身は日本文化に馴染めているつもりでも、周りの人に「えー、マユは全然日本人っぽくないよ。やっぱり違うよ。」と言われることもあるので…。こう言われても、今では全然気にしません。違うって思われたなら、まぁそれでいいかなーって。
オランダに行ってもオランダ語を話せるわけでもないし、オランダ人のコミュニティに馴染めるわけでもない。アメリカに行っても、私自身自分をアメリカ人だと思っていない。アメリカ人と話してみても、特にアメリカから一歩も出たことない人なんかとはやっぱり違うなと思います。だから、私には「ホーム」と思える”国”はありません。ただ、家族や親友がいる場所が私にとってのホームなんです。
帰国子女とは何なのか
私が帰国子女だと知ったとたんにレッテルを張る人はたくさんいます。「帰国子女」にある一定のイメージや偏見を抱いている人が多いからでしょう。特に多いのが、
- 見た目はアジア人だけど、あまりにも欧米化され過ぎていて日本文化を理解していない
- 日本のことを何も知らない。日本の歴史や空気を読む文化などが理解できない
の2つです。
帰国子女と聞くと、「子どものときに国をまたいだ引っ越しを経験するなんて、馴染むのが大変だったでしょう?」と言う人もいますし、「2つの言葉を話せてイイわね!」という人もいます。結局は、良いところも悪いところもあるわけで、捉え方の問題なんですよね。
これは私の個人的な考えですが、日本はほぼ「同一民族」の国だから帰国子女が特別視されるんだと思います。アメリカでは、例えアメリカ人であっても、スペイン系とか、イタリア系という風にオリジンが違いますし。ヨーロッパでは本当に混ざっているわけで。
日本にも中華系とか朝鮮系日本人がいますが、それでも人口における比ではごく少数派です。だから日本人は、自分たちの範疇のなかでの”違い”にレッテルを張りたがるんじゃないかなと。だから日本には、「帰国子女」という特別な言い方まで存在するんですよ。
おわりに
筆者は帰国子女ではないが、マユさんの言っていることがよくわかる。海外生活が長くなると、たまに日本に住む海外経験の少ない日本人から聞く言葉でギョッとすることがあるが、そういう人に共通しているのは、日本人、外国人、帰国子女、海外在住者、国際結婚した人などを全くの「別物」として捉えているという点だ。
世の中は、「日本人」と「外国人」の2種類にわけられるわけではなく、その間に色んなニュアンスの人があるし、全く別の世界の人というわけではない。
どのカテゴリの人であっても、同じ「人間」だ。
多様性に寛容になるとはこれを理解することなのではないか、と筆者は思う。そしてマユさんの言う通り、自分たち(日本人)たちのなかでの違いを強調することがなくなれば、帰国子女を特別扱いしたり、偏見の目で見ることもなくなっていくのではないだろうか。
ま、でも、やっぱり集団主義社会ではそれも無理か。
となると、日本は「日本生まれ日本育ち、生粋の日本人から生まれた人」しか受け入れられない国ということになる。それもそれでつまらないなぁ、と思うのは筆者だけだろうか…。