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帰国子女の悩み「ナショナリティーって一体何だろう?」

帰国子女。2カ国言語を流暢に話し、周りとはちょっと違った雰囲気をもつ特別な存在。

しかしそんな帰国子女には、帰国子女にしか理解できない悩みもあるようだ。

日本で中学生になるまで生活し、その後韓国で育ったキムさん(男性・25歳)は自分のナショナリティーについてこんな風に語っていた。

周りの人にしてみれば、僕は勉強せずして日本語も韓国語もペラペラに話せて、羨ましいかもしれない。でも僕は、どちらの国の言葉もマスターしているように思えない。韓国語は“語”の背景にあるものが掴めないし、日本語は今の流行の言葉がわからないから。

結局僕は韓国人でも日本人でもないのかな、と思ったりもします。韓国では、“日本人よりの人”。日本では、“日本人のような韓国人”。どっちをとっても100%にはなれない。

アメリカNY出身の人気歌手、宇多田ヒカルは最近twitterでこんなことをつぶやいていた。

米国人以外(日本人とか)とやりとりしてて微妙な気持ちを汲んであげられない時、自分の中の傲慢なアメリカ人が見えて恥ずかしくなる。幼少時の教育は根深い。「自分の考え」だと思ってたことが、実は色々な条件に影響されたものなんだと自覚できたらまず一歩かな〜。

その国ごとの国民性や文化にあった教育法が一番だよね。なんでもいい面と悪い面があるから。日本人には日本人に合った教育があると思う。私は日本の教育を一切受けていないので、どうしても日本人として不完全だという自覚はあります。残念っす。

結局は、日本人として不完全。じゃあ、もう1つの国の人としては完全か?と問われると、そうでもない。

しかし、“100%日本人”というのは一体どういうものか?と疑問に思う。持論だが、日本に生まれ日本で育ち、ずっと日本にあった教育をされてきた人であっても、必ずしも日本社会が自分にとって最適な社会だとは限らないのではないか。アメリカで育ったアメリカ人でも、「日本が僕にはとても合っている」言う人もいれば、日本で育った日本人でも、「私にはイギリスという国が一番あっている」と言う人もいる。

帰国子女に限らず、海外生活が長かった人が日本へ帰国すると、「もう自分はどこか日本人ではなくなってしまったのではないか?」という、不思議な感覚に包まれるという。

ある1つの国の、国籍や国民性、民族を示す、ナショナリティー。

それは、私たち人間に深く根付いているものであり、本当はものすごく曖昧なものなのかもしれない。

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