「あなたはどこの国の方ですか?」
「日本人です。」
私はここで、フランス人に国籍を尋ねられると、いつも胸を張って日本人であると言える。これはとてもありがたいことで、これまでの日本人と今の日本人に心から感謝している。
現代では、昔の黒人差別や部落差別のようなはっきりとした差別はない。しかし、何となく心の中で「○○の国の人はちょっと・・・」という曖昧な差別心をもつ人は多いのではないかと思う。
私の知り合いのフランス人男性は2度、アラビア人にリンチ&恐喝の被害にあっている。彼がパーティーから帰宅していると、アラビア人男性4~5人に道を尋ねられた。彼が道を教えると、「この辺りはよく知らないので、近くまでついてきてくれないか?」と頼まれ、1度は断るも、「じゃ、○○までなら・・・」という話になり、連れて行ったそうだ。すると、どんどん人通りと街頭の少ない道に連れて行かれ、そこで暴力を振るわれ、お金を巻き上げられた。
彼は語る。
「僕にもアラビア人の友達がいるし、そいつはとてもいい奴で、努力家で勉強熱心で。アラビア人は○○だと決めつけるような差別は嫌い。でも、僕の父親もアラビア人に襲われたこともあるし、頭では“決めつけ”は良くないと理解しつつも、心のどこかでアラビア人は危険なんじゃないか?と思ってしまう。僕のアラビア人の友人に対して、悪いなぁって思うだけど。」
この話を聞いたとき、排外主義やナショナリスト、そして人種差別というのはこういったところから生まれるのかもしれないと思った。もちろん、「○○人はちょっと苦手・・・」という意識の原因は他にもいろいろとあるだろうが、もともと差別心を嫌っていた人間でも、犯罪被害にあうと否応なしに苦手意識が生まれてしまうのも否めないであろう。これはレイプにあった女性が男性恐怖症になるのと同じようなことに思える。当然、真面目に生きるアラビア人からすれば堪ったもんじゃない。はた迷惑もいいところだ。
しかしもし、私たち日本人が外国でしょっちゅう犯罪を犯していたらどうなるだろう?ヨーロッパやアメリカなどで恐喝や窃盗、強姦や暴力事件を起こしていたら、世界の人は日本人をどう思うだろう?
海外在住の日本人が「私は日本人です」と胸を張って語れるのも、そういった犯罪を起こさない日本人たちのおかげであるわけで、私はこの事実を心からありがたいと思う。
写真:Nathan
同意。国歌や国旗、国を放棄するように求める奇妙な集団が居たり、
堀江貴文被告の様に「国へ果たす義務なんてないでしょ」「国なんていらない」
「国を守る必要はない」「尖閣諸島はくれてやればいい」「国歌も国旗も要らない」
東京大学を出てもこの程度の人間がTVに出て平然と意見を言える日本は本当に
自由の国だと思います。平和です。
日本という国に生れたことを心から感謝するときがそのうちきっと来ると思っています。
堀江貴文は国外追放すべきだと思いましたが・・(朝まで生テレビでの発言より)