ウィキペディアの『日本の教育』ページの教育方法という項にはこのような記述がある。
“日本の教育では、しつけを含め、幼少期は自由奔放に育て、年齢が上昇すると規律を教え込む傾向があり、この傾向は欧米とは反対であると言われている。その反面、日本の教育は画一的で、児童・生徒を個人としてよりも集団として扱う傾向が強く、また子どもの批判的思考力を養成する機能が弱いと批判されることがあるが、それに対する反論もある。”
確かに日本の現在の教育では批判的思考力を育てるのは難しいのかもしれない。国立教育政策研究所 教育政策・評価研究部長の小松郁夫先生はベネッセのインタビュー[ これからの教育改革のあり方について ]で、このように語っている。
“日本を含めた先進諸国が直面しているのは「問題があることは間違いないが何が問題なのか特定できない」といった事態でしょう。そこで必要なのは問題を問題として浮かび上がらせる能力、つまり「問題発見力」ないしは「問題創造力」なのです。その上で、その問題をどう解決するか、というスキルが問われてくる。”
批判的思考能力や創造力、コミュニケーション能力が欧米諸国の教育システムに比べて養成されにくいと批判されることもしばしば。そんな日本の教育システムであるが、日本ではない欧米諸国で育った人は日本の教育を見てどう思うだろうか。何でも欧米化すれば良いというわけではないが、外から見る日本の教育に改革のヒントが隠されているかもしれない。
グローバル化する世界をリードしていけるような人材を育てる日本の教育には何が必要なのだろうか。
そこで今回は、日本在住の外国人による掲示板の「Japan’s education problems… is it the lack of critical thinking? (日本の教育問題…批判的思考力の欠如か?)」に寄せられた外国人の声を集めてみた。
アメリカ人、男性、29歳
日本の子どもはとても創造力豊かだけど、個人主義や個人主義的な考えを抑えられえるような教育システムにいるから。
日本在住15年アメリカ人、男性
日本では創造力が抑制されてしまうんだよ。そりゃ、子どもってのはロボットを組み立てるのには独創的なアイデアを持ってたりするもんだけど、オリジナルな考え方や創造力っていう一般的な話になると、日本はあまり得意な分野じゃないよね。日本のノーベル賞受賞者も認めてるけど、彼らは日本の学生に海外留学をして創造力を学べって勧めているし。
カナダ人、男性35歳
批判的思考力は客観性と論理的思考力が必要。僕はこの両方を手に入れるのにかなりの時間を要したし、今でもまだ難しい。カナダの学校の方が日本よりも批判的思考力を養成できるっていうのはその通りで、クラスメイトとホットなトピックについてディベートしたりするなかで自然と身についていくものだけど、ディベートの時でも自分の感情に左右されたり、自分の信じたいことが現実と思って議論する人も多い。
論理的思考に関しては、別に訓練しなくても論理的に考えられる人もいるが。
ここ日本でうまくやっていくには、大抵の人はお互いの考えや信念を主張しないんだよね。空気を乱したりするのが怖いから。たくさんの日本人に物議を醸すようなトピックについてどう思うか尋ねてみたら?大抵の人が「こう思う人もいる」だとか、「反対にこういう人もいるよ」とか、「これは難しい問題だね」とかいう答えで、自分の考えを明確に言葉にする人はあんまりいないから。
アメリカ人、男性
批判的思考力を学ぶというのが、論理的思考力や分析力、エバリュエーション、認知技能、客観性などを学ぶことだというのなら、それは日本で教えられるべき。
ディベートについて触れている人もいるけど、ディベートがクラス単位での批判的思考力を育てる場とするなら、それは効力に少し欠けると思う。
- ディベートは“AかBか?”、“正しいか間違えか”、“良いか悪いか”の2択になってしまうので、代替案がない。それらのカテゴリーに分類されない答えもあるわけで、それを考慮しないディベート方式は創造力の育成という観点を無視している。
- ディベートで競争心を煽れば、相手の欠点を探すことに意識が集中してしまう。例え相手に非がなくても、自分の立場を何が何でも守ろうとする人が出てくる。自分の意見に一貫性を持たせることだけに集中してしまうので、知的謙虚さや自己リフレクションの合理性という点では弱点となる。
3.合理形成がなされない。コンセンサスという点では日本の方が優れていると私は思う。古典的なディベートはすでに時代遅れ。それではなくて、日本では批判的思考力を育てるにはどういった方法がいいのかをゼロから考えるべきである。
アメリカ人、男性、22歳
アメリカの子どもはたるんでると思う。日本の教育システムは受験地獄があって厳しいし、バケーションも少ない。だから僕はアメリカの高校を卒業した学生の学業能力の低さを恥ずかしく思う。同時に、日本はもう少し学校での試験を簡単にしてあげてもいいのではないかと思う。僕は塾や試験地獄、周りの人の高い期待について愚痴る日本人のペンパルをたくさん知ってる。それに比べるとアメリカ人は怠けている。
アメリカの子どもは遠慮なく話して、心に従うように教育される。日本の子どもは集団の利のために耐え、自分を犠牲にすることを教えられる。教育の違いは文化の違いによるものだと責めることはできない。どちらの教育システムも完璧ではないけれど、最低でもないわけだし。
でも僕は日本の子どもが批判的思考力に欠けているなんて思わない。欧米の批判的思考力は失礼にあたることもあるし、本当は知識のない人同士が堂々巡りの議論を重ねているに過ぎないケースも多い。
教育に関しては、僕たち大人が子どもにあまりに早いうちから多くの情報を教えようとしすぎてるんじゃないかな。子どもの普段の生活に関係ないから、子どもの興味を持たない。これはどこの国でもあることじゃない?子どもには早いうちから学業の選択をさせるべき。そうすれば、学校に興味を持ち続けられると思う。
まぁでも、日本の試験制度はもう少し簡単にしてみるほうがいいのでは?
イギリス人、男性
日本でのディベートはボーリングみたいだ。1人が自分のことをして(話す)、その間他の人は静かに座り聞いている。そして、次の人の番になる。多くの場合、日本でのディベートは欧米人の観点でいう、ポイントVSカウンターポイントの議論ではない。
ごく稀にイキイキとしたディベートをするクラスもあるけど、ほとんどの場合、日本人は自分の議論や論点をどのように補強していくべきなのか、欧米人のように知らないのだ。日本の子どもはディベートのようなプラクティスにシャイになりがちで、特に他の人の論点を否定するのが苦手である。僕はクラス替えのない日本の高校でこのディベートをやってみたけど(先生として)、何年も同じクラスメイトのはずなのに、うまくいかなかった。
日本の子どもたちは深く浸みついた習慣や感情を破るにはかなりの訓練が必要になると思う。この点では大人も変わらないよ。
フランス人、男性
批判的思考力がないと批判されている日本人なわけだけど、僕はそういう点が日本人のいいところでもあるから今後も変わらないでほしいと思う。世界的に見たら、弁がたつ欧米人のいいようにされてしまう、弱い立場になってしまうのかもしれないけど。それでも相手の揚げ足を取って、自分はいかに正しくて偉いかを主張する無知な人間より、深みがあると思う。日本では“能ある鷹は爪を隠す”という言葉があるけれど、すぐに批判して相手の落ち度をつつくような人を僕は優秀だとは思わない。
ベルギー人
何でも批判できたらいいってものでもないけど、確かに日本人は素直すぎる。そこがいい点でもあるけど、同調ばかりするのはなく、反対意見を言う訓練も学校でさせるべきだ。自分のキャラクターや考えをうまく言葉にする能力はどこの国でも必要だと思うから。
日本人に創造力がなかったら、どうしてこれだけのものを作れるの?
寿司、茶の湯、ひらがな、かたかな、鎧、華道、武道、城、日本食、伝統芸能、まんが、アニメ、お琴、俳句、短歌、ウォークマン、CD、DVD、MD、テレビゲーム、遊戯王カード、ネイルアート、その他、数え上げたらきりがない。
アップルだって、機能とかはほとんど日本のコピーでしょ。
日本人に創造力がないって言ってる人は、1970年代で思考がストップしているか、もしくは、こういう人たちが言っていることを何の批判もせずに丸呑みしている人だと思う。
今に始まったことじゃなく、日本人は昔から個性も創造力も十分あった。
日本人が主張しないのは場の空気を乱したくないためであって、自分自身の意見は結構はっきり持ってるほうだと思う。
日本人は、相手に真っ向から批判したくないんだよ。
外国人だって、相手が自分の好きな人だったら、批判しないように細心の注意を払ってるよね。
あなたが並べた例って全部オリジナルは日本じゃないってのはあなた自信もよく知っていると思います
創造力と他人のものを少しだけ変えて改良するのは天と地のほど差がありますよ
あなたが言う「創造力」の産物とは「具体的に」何を指しますか?
現にあなたが使っている漢字やひらがな・カタカナを含む多くの伝統文化はその源流が古代中国にあり、それらの日本への輸入の過程すらも一度朝鮮半島を通っているものです。
もしやそれらが全て日本発祥という5ch等発の負け犬ネトウヨの主張をろ過もせずそのまま信じられているのなら、普段のネット生活を省みてみてはいかがでしょうか。
また、漫画やアニメなどは、フランスなどヨーロッパ各国で育った独自の絵画文化が日本に輸入し変形をなしたものということは周知の事実でしょう。
そして挙げ句の果てにはアップルは日本製品のパクりだ??
笑われなければ幸いって感じの謎理屈といったところでしょうか。ユーモアに富んでらっしゃる方と考えておきます。
いちいち例を挙げて説明する方が時間の無駄と思えるほどの…
まあ、笑いをとるために書いたコメントと考えておきます。
でなければただの「なにも知らないけどとりあえずぶってみよう」か「実は知ってるけど現実否定」かそれでもなければ単なる「5ch系見すぎの人」じゃないですか。そんな可愛そうな人いないでしょう。
英語のアルファベットだって源流は古代ギリシャローマにあるし、彼らが自ら発見したという科学技術の多くも古代エジプトやメソポタミア、ペルシャ、インドから伝わったものの応用ですけど‥何もないところからパッと出来る物なんて何にもないんですよ。現代社会で活用される便利な機器の全ては様々な国の人達が発見発明を積み重ねて来たものをブラッシュアップしてできているんです。集合知の結晶です。本当のオリジナリティーが有るものなんて原始的な石器とか土器とか位では。ちなみに世界最古級の土器の一つは実は日本産だったりするんですよ。だから何って感じですけど。
支那やヨーロッパの文化がそれ以前の他地域の文明・文化の影響を全く受けていないという立場でしょうか?私は本質的な意味でオリジナルな文化などないのでは?という立場。なので、いかにその風土で昇華し洗練させたかに興味がある。あなたが言うオリジナルは0→1という意味では?私はそういう文化が本当にあるのか非常に疑問に思っているから尋ねたのだが、それらしい解答がなかったので残念です。
この記事では、批判力があるかないかと、日本独特の「空気を読む」習慣が悪癖になっているのかどうなのかと、そもそも教師が授業で創造的な問題定義をしないのではという議論がごっちゃになってしまっている。
非常に興味深い。私はカナダ留学→日本帰国仕事組だが、経歴上現在でも海外のさまざまな国の方と接する機会がある。
果たして、ここでいう「創造性がない・批判的能力が少ない」ということが絶対的に「悪い」ことなのか?
私がカナダにいたのは90年後半~2000年前半にかけて。まだ「メイドインジャパン」が今より
圧倒的に支持されていた時代である。
もし日本人に上記でいう「批判的能力」とかが庶民下々の人間までばっちり備わっていたなら、
ここまで信頼性の高い製品を送り出すことが出来ていたのだろうか??と思う。
工場でものを作るに当たっては、ラインにかかわる全ての人の緻密な注意や集中力が求められる。100人の内1人がだとオワリである。
さまざまな視点を上記各外国人が与えてくれており、どれが正しいと一口で言いづらい。
ただ、日本国内においては「批判的」「創造力」ということをエンファサイズされて教育された場合
その個人は、社会においては非常にやりづらくなる。それは、上記工場の例にとどまらない。
「欧米」と一口に言っても、工業が得意な国、農業、観光業、IT産業が得意な国、いろいろある。
それぞれが、それぞれの文化を下に経済発展を遂げているのである。日本がどうしてここまで発展しているのか?自らの国家の立ち位置や、他国との差異を見極め、自分自身や、自身の子供に広い視野で反映することが肝要ではないだろうか。
口先だけが立つ自己中心者には辟易します。ディベートが個人攻撃になることもままあります。
バブルの頃は「日本に学べ」だったのが経済効果が落ちると「日本はおかしい」となるのでしょうか。
日本人はパクリしかできない馬鹿
漫画やアニメだのゲームだのくだらないもんばっか
作ってる。低俗でヤンキー大好きな国
アップルのソフトウェア構築なんて日本人の頭じゃ
まるでついていけないよ
根性論だけが大好きで頭は悪いw
jqjwさんは
アップルのソフトウェア構築出来るの?
出来ないんだったら、
自分たちとおんなじ日本人の頭なのか?
違うだろ?
でもアップルをコピーしたという上記の人も
jqjwさんを怒らせた事に反省するべきだ。
日本人は、
相手が傷付くことを嫌う傾向がある。
理由としては、自分が傷付きたくないから。
極力我慢するような事に立ち向かわなくなっている。
日々我慢してるから。
だからこういった場所で憂さ晴らしよろしくたらたらと批判する。
匿名だからという点もあるだろう。
批判力がないんじゃなくて、抑えているだけなんだ。
我慢しているだけ。
恐らく怒らせたら凄まじい批判力を見ることが出来るよ。
あえて「思う」や「だろう」を使用しなかったけれど、
こんな感じでいいのか?
「思う」や「だろう」を使用するっつうのは、
いろんな人がいるのを分かっているからって言うのもあるよ。
たとえば、
批判すると記述したが、
批判しない人もいるだろう。
世には何十億以上の人がいる。
みんなが同じ意見を持つか?
持たないだろう?
宗教だって同じだろ?
理解する上で決め付けたりしてたんじゃ先に進まないと思う。
今の日本人大学生は「覚える」ことに重点を置いていて、
「知る」ことをしていない人が多い。
勉強していない。
恐らく見栄だと思うが、
変なプライドは捨てたほうがいいともつくづく思う。
日本人大学生
日本の国民性を作り出しているのは教育で間違いないでしょう
でも、欧米化するのは無理だと思います
なぜなら教員もまた、そういう環境で育ってきた日本人的日本人だからです
だから根性論や、反個人主義路線を拭い去る事は不可能に等しい。
ところで、>匿名希望さん
寿司、茶の湯、ひらがな、かたかな
は、むしろ2000年以上も歴史があるので言葉や独自の食事がいくつかあるのは当然と言えます
鎧、武道、城、日本食、伝統芸能
は、海外にもあります。鎖国をしていた特殊な国なので、柄などに独自性を持つのは当然
ほら、よく言うでしょガラパゴスって
まんが、アニメ
これは西洋の文化です。アニメ発祥はたしかフランスだったと思います
日本のものは、根性論など他の国と異なる倫理観を持っているために
できたもので、ビックリフィクションは世界に腐る程あります
お琴、俳句、短歌、華道
これは上に書いた伝統文化ですよね
ウォークマン、CD、DVD、MD、テレビゲーム、遊戯王カード
軽量化・コンパクト化は確かに日本の得意分野だと思います。零戦もそうでした
ゲーム、というより任天堂でしょう。ファミコンという独占規格のアドバンテージこそ持っていましたが
コンパクト化の巧さ(ファミコンはデータ数が少ないためかなり押さえる必要がある)などで
世界をリードしていたのは事実です
でもそれは過去の話。膨大なデータが必要とされる現環境では、日本のゲームはオワコン化しつつあります
遊戯王は海外のTCGがモデルなのをご存知ないのですか?
人間ってさ、歴史上、常にどこからかコピーしてるもんなんだよ。
それは物だけじゃなく、思想、物語にいたるまでだ。
最初はそのままコピーしたとしても、結局自分たちの好みや使い勝手がいいように改良していくから、それぞれの地で微妙に違うようになるんだよ。
似たような物の元をたどっていけば結局、歴史の古い国や文明に行き着くわけだし。
日本人全般が尊敬する欧米(あえてアメリカもヨーロッパも一緒で)文化でさえも他の文化圏のコピーもじゃんじゃんやってるし。
一部の欧米人は韓国人みたいに起源を主張したり、歴史を改ざんしたり、その自分たちがコピーしたオリジナルを消し去ろうとしたりもしてるよ。
こうやって古今東西お互い面白いものを作ってコピーして歴史が流れてきてるんだから、自分の同胞の日本人がコピーしたことがあるからってどうだっていうんだ?
大好きな欧米人がどっかのコピーしたって怒らないくせに、同胞の日本人がコピーしたら目くじらたてるなんて、いったい何人でどこに暮らさせてもらってんだよ。
問題はこの記事の中で日本人が、”日本人には創造力がない。”と言ってる部分だな。
これは日本社会で、マスコミと学校がさんざん日本人を洗脳してきた結果だよ。
海外では、日本人の印象は一般的に、”創造力があって、個性がある(見た目ではない。)。”だぞ。
もういい加減、日本を貶めて欧米を崇拝させようとする政府やマスコミの呪縛から逃れろよ。
自分が日本人である、という事実は消せないんだから、もっと自分自身や自分の国を肯定しろよ。
論点からズレますが、
じぶんはなんだかんだで日本がすきです。
一昔前のですが…。
今はメディアやら宗教やらで思想がおかしくなってる。
例えば、男女平等。
「痴漢で捕まるのってひどいだろう。」
「男も痴漢されたら女を捕まえてくれよ。」
「男女平等っつっても全然平等じゃないよな。」
とか…。
ぜんっぜん違う。
着眼点がてっぺんだけだから文句ばっか。
大体、
男は女よりも体格が良く、力が強い傾向がある。
女はコミュニケーション能力が男より高い傾向がある。
ここから考えるとどうしたって男女平等にはならない。
男が痴漢された所で精神的ダメージぐらいのもん。
そんなの男なら将来女性守ってやりたいって思っているなら、(結婚する気なら)
乗り越えないとマズイと思う。
(これは自分の勝手な解釈だけど)
女は痴漢されたら妊娠の恐怖も精神的なダメージも受ける。
男と体のつくりも違うから逃げられない可能性もある。
ここで平等にするために法律で痴漢は重罪になった。
これが間違い。
だから痴漢と言えばいい。と考える人がいるだろうが、
痴漢されたときになされるままになってしまう人もいるだろうし解決しない。
逆に男は理不尽と考えるようになる。
「ばか」な女はそれはそれはおいしいモノなのでこの法律を決して消そうとしないだろうけど。
そこで男女差別発生して派閥が出来る。
一番っていうのは、
痴漢されているのを目撃したら、
有無を言わずに助けてあげるっていう心だろ。
法律っていうルールじゃなくて。
その心を作ることが大切なんだよ。
男女差別だって最初にいいだした女性は、
仕事がしたかっただけだろ。
仕事だけ作ればよかったんだよ。
それも男性と同じくらいの給料で。
その代り、男性に適した、女性に適した仕事って分けるべき。
別に男性に適した仕事を女性がやったらダメとかそういうのはなしで。
男性が出来ない部分を女性がカバーしてくれているから、
女性が苦しんでいる時は男性がカバーするんだよ。
料理、皿洗い、洗濯やってくれてスゲー感謝してる…。
俺は力仕事、仕事やるから。
女に重い物は持たせちゃいけねー。
っていう心の男は少なくなったような気がするし、
男ってこういうもんだとは言わないけど、
女性側から見たら頼りになるし安心するよねたぶん。
料理を作れる女性も減った。
これもおんなじ。
するのが当たり前なんじゃなくて、
それがお互いに助け合えるから必要なんだって事にもっと危機感を持ってほしいって思う。
年配の人はそれが当然って言い方をするから、
今の人反発するんだと思う。
なんにも出来ないのに、理想は高いってどうよ…。
なんでもこなせて、結婚相手はいらないってどうよ…。
わがままってこと。
そんな心の人が増えてる。
大切なのは規則じゃなくて、道徳だと思う。
大切なことは、
「なんでわがままになってしまったか」を考えることだと思う。
逆に女性が男性を守れなくてどうするって考える人もいるだろうし、
何もできない男と付き合いたい女性もいるかもしれないだろうし、
自分はこの事に関して結構古風な考えだなと思う。
YYYさんはこういうのを話せる人だと思ったから投稿しました。
持論です。
こういうテーマの話をすると,
かならず否定的コメントを出してくる人間がおり,
そしてそういう人間に限って感情的であったりする。
この点が,日本人に「(論理的な)批判力」が
育っていない傾向がある確たる証左だ。
子どもたちに「論理的批判力」「論理的思考力」「論理的想像力」が
育たない大きな原因は,子どもの周りにいる
大人たち(教師も親も,メディアも多くの社会人も)自身に
それが育っていないことが大きい。
大人たちの意見こそが感情的になりがちだし,
批判をできないし,情緒的なものを鵜呑みにしやすい。
(情緒的なコメントの方に「イイネ」がつくのもそういう,類が類を呼ぶからだ)
確かに日本人は「(論理的な)批判力」がないかもね。
でも世界中どこに行ってもマジョリティはそんなもんだよ。
一般的な日本人は世界的に見てもかなり冷静な部類で、客観的に物事を捉え、感情的ではなく、欲も少なく、ノリも悪い。
もちろん個人レベルでは欧米にもそういう人はいるし、欧米以外にもいたりするけど。
問題はマジョリティなんだよ。
各国の少数エリートはもちろん「論理的批判力」も「論理的思考力」も「論理的想像力」もある人はいる。
でも日本以外の各国(アジア諸国も、欧米諸国も、中東諸国も、アフリカ諸国も)のマジョリティは、もちろん各国多少の違いはあっても、もっと感情的で、主観的で、自国に対する批判は皆無で、他国に対してしか批判しないで、欲が深く、非論理的で、幼稚だ。
そして不思議なことに、そういう人間の方が皆に好かれ、味方が増えてたりするのだ。
海外での居住経験者が少なかった一昔前の日本では、こういうテーマの話でも鵜呑みにするしかなかったが、今の日本人は海外の一般人とがんがん交流してるわけで、だからこそ批判意見が出てくるのも当然なんだよ。
日本人がこの先もっと「(論理的な)批判力」をつけていくのは一向にかまわないけど、それで「亡国」になるんだったら、何のためにがんばるんだよ。
日本人一般は、既に、世界でもかなり冷静で無感情で客観的な国民性の部類に属しているんだ。
そしていつも、冷静で無感情で客観的な人(要するに日本人)は、反対の性質の熱くて感情的で主観的で幼稚な人に負ける。
理由はいろいろあるだろうけど、熱くて感情的で主観的で幼稚な人の方が人気があって、味方も多く、冷静で無感情で客観的な人は、他人から感情移入されにくく、完璧っぽく見られるため(助けを必要としていないように見える)、味方もつかず孤立しやすいっていうのもあるんじゃないかな。
要するに可愛げがないっていうか。
だって普通にその辺にいる「(論理的な)批判力」に長けた奴って、なんか嫌味な奴じゃないか。
興味深い記事でした。
「批判力が育たないニッポンの教育」とありますが、教育の事を言う前に、日本の社会の仕組みや文化自体が批判的思考力を排除しようとしているのではと思うことがあります。確かに批判的思考は嫌がられる場合がとても多いです。
自分事になりますが地方在住です。地域の集まりでは理論的な返答をしても提案をしても確かに無駄でした。しかし、その地域に住むということはその地域の文化を受け入れるということですし、自分で選んで住んでいるので、地域の邪魔にならないように、集まりでは客観的な意見や独創的な案は一切だしません。何も考えず、何も言わず、今の生活穏やかです。こういった地域は日本にはとても多いのではないでしょうか。
批判的思考をする、しないがあって良いと思います。
自分で考えず、社会から言われるままに人生を歩む人(思考する手間が省けますが、個というものは捨てます。大きな夢も捨てた方がよいです。でも失敗もありませんし、不幸な時も社会が原因なので自分に責任はありません)。
そして、自分で考えて人生を歩む人(思考するので手間はかかりますが、判断して生きているという充実感があります。夢にもチャレンジします。しかし、失敗した場合は明らかに自分の能力不足ですので、誰にも責任転嫁はできません。)。
最後に、日本人同士でのコミュニケーション能力は高いと思います。ほとんど話をしないで空気を読んですませます。その上、批判的思考力も低いとすれば、不満や反対意見があってもなにも言わずに忘れようとします。コミュニケーションをしないコミュニケーション能力です。ただし、日本人以外とではうまくいきません。
どんな人と関わっていく人生かを選択することによって、問われる能力が変わります。
面白いご意見ですね。
特に、「コミュニケーションをしないコミュニケーション能力」というのには納得です。確かに、日本の多くの場では批判的思考力よりも、「言われたことを素直に実行にうつせる人」のほうが重宝されることが多いでしょう。
自分で考えて生きるにせよ、どちらの場合も”適度”であることが大切で、批判ばかりで疑ってばかりの人になってはいけないし、周りに合わせてばかりで「自分の本当の意見が何なのかわからなくなる」ようでは生きづらくなってしまうのではないかと懸念しています。
どんな人と関わっていく人生かを選択することによって、問われる能力が変わるというのはその通りです。
しかし、日本で暮らしていて、自分があまりにも”人に合わせる寄り”になっていると感じる方は、新しいバランス感覚を身につけていくのも一つの手かなぁと感じています。
ううん、批判的思考力というのは具体的にどういったものを指すのでしょうか。反抗期の少年少女みたいなものですか。大人なら批判を無為に考えたりいい放ったりしないで人を巻き込んで改善策の提案、実現へとフローを立て行動するもの。それができないなら黙っとくべきです。口だけの人間が日本社会では一番嫌われます。
捉え方に個人差はあると思いますが、私は「批判的思考力」は多面的に捉える思考力ではないかと思います。例えば、「トマトが癌に効く」というニュースを見たとして、その情報を飲み込み、すぐにトマトを買いに行くような人は批判的思考力が足りないのではないかと思います。
そこで、トマトの何の要素がいいのか、学術的に信ぴょう性はあるのか、このニュースで得する会社はどこか、なぜこの研究が始まったのか、などと思考を広げ、「トマトが癌に効く」という単純な結論に飛びつかない思考力が批判的思考力なのかなぁと思っています。そういった意味では、やはり日本の今の教育では批判的思考力は育たないように感じます。
>人を巻き込んで改善策の提案、実現へとフローを立て行動する
これは別次元の話だと思います。
批判的思考の定義について解説いただきありがとうございます。分かりやすかったです。理系学部を卒業した自分にとっては当たり前のようにやってることだったので思い至りませんでした。リリーさんのお話より批判的思考力の形成には情報の引出しの多さがネックになると推察しました。基本的に情報は信頼度順に自分の複数回の体験・実験>信頼出来るN数を集めた論文>>マスメディア>>ネットだと思っておいた方がいいです。情報の真偽を問う場合これらを信頼性の高いもの同士クロスして収集することをオススメしたいです。話は変わりますが批判的思考力がある欧米でなんでキリスト教が流行ってたのか謎ですねw。処女受胎とか、復活とか天動説とかどう考えても有り得ないのに…。宗教には思考停止しちゃうのでしょうか。
まぁ確かにそうですね。宗教は私にもよくわかりません。欧米、と一括りにしてもどれだけ信仰心が強いかは国によって結構違うみたいですし。
あ、そういえば「改善策の提案、実現へとフローを立て行動する」が別次元だと言いましたが、
ひょっとしたらこれを含めて批判的思考力なのかもしれません。多面的に捉えて、独自の答えを出すのが批判的思考力なのかも。
批判力はあるけど外国人のように無暗やたらと行使しないだけ。和のために。絶対善、絶対正義がないこと、自我が苦しみの根拠だと教える仏教が社会常識として浸透しているから。日本人は和を重んじるために、他国の非礼な主張にも始めは比較的寛容。しかし、相手が他者の気持ちになって考えることもせず、傲慢に自己主張し続けて一線を越えた時に爆発する。忠臣蔵しかり、大塩平八郎の乱しかり、大東亜戦争しかり。我慢→爆発。よって、察しと思いやりがない人とは一線を引いて共存しようとする。価値観の合わない人と共存して平和的に生活していくためにはそれしか方法がないことを知り抜いているから。他に方法があるとすれば、世界中の人を同じ価値観に洗脳して統一するしかない。クリスチャンやムスリムの一部、共産主義者などはそれを目的として行動している。そして、彼らが世界中から嫌われていることは皆さんご存知の通り。
私は欧米がいう意味での「批判力」は日本に不要だと思っている。外国は外国の独自の路線を進めばいいし、日本は日本の路線で行けばいい。それが左翼が好む多様性の本来の意味に沿うのではないでしょうか?また、仮に、世界の画一化ではなく、私の意図する多様性を維持したまま未来に突き進んだ場合、日本が正しかったことが証明されることを確信している。もう大分前からその兆候があらわれているし、それに気づいている欧米人は大勢いる。筆者が進んで読みたがらない類の資料も取り上げて、賛同できない部分をその「批判的思考力」で考察してみてはいかがでしょう?自分と同じ意見や都合の良い資料ばかり取り上げて「批判的思考力」も何もないだろうと、と個人的に思うのだが。
個人的には親密度や上下関係が重要になってくると思うな。親友にたいしては気兼ねなく、「それは違うと思うで」って言えるが、あまり知らない人や階級が上の人には相当躊躇します。なぜなら嫌われたら、自分の立場が危うくなるんじゃないかと思うからです。
大多数の日本人は僕と同じような考えなんじゃないでしょうか。自分の立場を悪くするリスクと、自分の意見を主張するメリットを天秤にかけるのです。
これって確かにイノベーションという点では少なくとも良い方向には働かないでしょうね。偉い人の意見だけで、商品やサービスを作ることになります。階級の固定化にもつながります。
もう個人的には移民をどんどん入れて、偉い人にはとりあえず困惑してほしいですね。部下が簡単には言うことを聞かなくなる、難しさをわかってほしい。それを克服できるか否かで器量がはっきりとしてくるでしょう。