日本ほど便利な国はない。
24時間365日営業しているコンビニがそこらじゅうにある。毎日時間通りにやってくる電車に乗って、日本全国どこにでも行ける。宅急便の不在者届に書かれた携帯番号に電話をすれば、すぐに配達してくれる。日本の風習である年賀状も、スマホひとつで簡単に作れる。
これほど便利な国は世界中のどこを探しても他にないのではないだろうか。海外から来た人も日本生活の便利さに驚き、感動する。日本の便利さの背景には「頼んだことは必ずやってくれる」という安心感があるのだが、これは真面目に責任をもって働く勤勉な日本人労働者に支えられている部分が大きい。
日本の便利さ、日本人の勤勉さに気が付くのは、海外に行った時ではないだろうか。海外で生活していると、日本ではありえないような不便なことに幾度となく出くわす。
時間になっても電車やバスが来なかったり、届くはずの宅急便がトラブルで遅れて届くことも日常茶飯事だ。24時間365日営業している便利なお店なんてない。筆者が住んでいるのはフランスだが、途上国で暮らしている人は生活の不便さも比べ物にならないだろう。
例えば先週の金曜日は、ガスが突然止まった。マンションの前の道路工事の影響で、マンションの住人は一晩中温かいお湯が使えなくなってしまったのだ。(こういうことも日本に比べてよくある)
1週間の仕事の疲れを熱いシャワーで癒そうと楽しみにしていた私はとてもガッカリした。シャワーからは冷たい水しか出てこない。疲れを癒すどころか、一気にどっと疲れてしまった。どこにもぶつけようのない怒りと落胆、不自由さにうなだれつつも、温かいお湯が出てくるシャワーを渇望した。
翌朝。目が覚めて一番にお風呂場へ走り、水道の蛇口を左にひねった。
「あ、お湯が出てくる!」
この時の感動と言ったらない。シャワーから温かいお湯が出てくる喜び。温かいシャワーを浴びれることの幸せ。
これは前日にガスが止まるというトラブルがあって初めて感じることのできた感動だと思う。毎日の生活の中では、いちいちお湯の出る当たり前のシャワーについて考えたり、渇望することはないだろう。
人は失って初めて、「持っていたもの」に気が付く。失くして初めて「ある」に気が付き、それがどんなに日々の暮らしを快適にしてくれていたか理解ができる。
日本はとても便利な国だ。便利は不便よりはずっといい。
しかし、「便利」には代償があると私は思う。便利になりすぎているからこそ、それが当たり前になっているからこそ、気が付かない日常生活のありがたみ。日本人は便利さに甘やかされすぎているのかもしれない。
時には、不便さを感じることも大切だ。「便利になればなるほどいい」とは一概にも言えない。
電気がある、ガスがある、ネットが使える、平和な国日本に生まれた。
それだけでラッキー、丸儲けだ。