「言語が変われば周りの世界も違って見える」という面白い記事を見つけた。記事によれば、まったく同じ出来事を目撃しても、その捉え方は各々が使う言語によって異なるらしい。
フランス語と日本語のバイリンガルである滝川クリステルさんも、話す言語によって性格も変わるようだと言っていたように、使う言語によって自分の人格が変わっているように感じる人は多い。そして実験の結果は、この感覚が正しいということを裏付けているようだ。
筆者は第2言語の英語と第3言語のフランス語を話すが、どちらも母国語レベルではないのでトリリンガルではない。しかし、何となくこの感覚がわかる気がする。使う言語によって話しているときの気分は確実に変わるし、それがまるで自分の性格まで変わってしまったかのように錯覚することもある。
そこで筆者が感じる、それぞれの言語を話している時の”気分”やイメージを書き出してみた。
【英語】
自信家、自慢げ、ポジティブ、オープン、大胆、行動的、明るい、速い、ハリウッドスター
【フランス語】
不平不満、ひねくれ、気品、怠慢、成熟、自立、自己主張、皮肉、人間臭さ
【日本語】
丁寧、大げさ、シャイ、曖昧、遠慮、尊敬、思いやり、偽善、低姿勢、純粋、ごまかし
これはあくまで筆者個人の感覚なので、ある言語を話してどう感じるかには個人差があるだろう。実際のところは、何語を話したところで人物そのものが変わるわけではないので、性格まで変わるとはいえないのかもしれない。しかし、自分がもつ“自己に対するイメージ”がちょっとだけ変わるように思う。
変わるのはイメージだけではない。声のトーンもそれぞれの言語で微妙に変わる。筆者の場合、日本語が一番高く、英語が一番低い声になっているが、高いトーンの声で英語を話せば何となくしっくりこない。逆に英語で話すような低いトーンで日本語を話すと、怒っているように思われそうだ。これら声のトーンの違いも言語の持つイメージに影響しているように思う。
また、日本語は英語やフランス語に比べて”ニュアンス”で会話する言語であり、他の言語で話すときに比べて「相手の気持ちを探りあう」感じがする。語尾だけを変えれば言いたいことを180度変えることもできるので、言いたいことを最初に言わなければならない英語やフランス語に比べ、相手の顔色を伺いながら会話するのに適した言語である。日本語は良いように使えば思いやりのある丁寧な言語だが、本音をごまかしやすく、曖昧でうやむやにしやすい言語でもあるように思う。
とまぁ、筆者はこのように感じているのだが、他の多言語話者は「話す言語によって性格が変わる」と感じているのだろうか。ネットの意見を調べてみた。
● 日本語以外の言葉で話す時は、はるかに攻撃的、直接的かつより論理的になります。言葉は単に単語が入れ替わるだけではないのです。言葉そのものが持つ「文化」も「習慣」もいっさいがっさい一体になりますので、「人が変わる」のです。(kakurekiriさん)
● 英語ですと松岡修三みたいになります。対して日本語ですと、鬼コーチ風になります。「頑張れ、頑張れ」 と連呼するみたいな。(mstk2さん)
● 日本から引っ越してきてまだ数年くらいの頃は,話す言語により自分の性格や考え方が変わると思っていました。それから長く経った今は,言語による差はあまりないように思えます。話す内容を組み立てていく論理などはある程度違いますが,性格など全体としては,そう変わらない気がします。(mideさん)
● 日本語は遠回しの表現が多く、英語他西欧系は白黒はっきりとした表現が多いので、自然と日本語の時は遠慮気味に、西欧系言語の時は大胆になっている自分をたまに感じます。(tidak_apa2さん)
● 日本語のときは日本人のような振る舞いですが、英語脳になっているときは欧米人のようにゼスチャーを良く使うようになりますし、考え方すら変わります。性格も異なるようにおもいます。(poyopoyo111さん)
どちらかというと、性格も変わると考えている人のほうが多いようだ。結局のところ、英語を話せば英語圏の人っぽくなり、中国語を話せば中国人っぽく、ドイツ語を話せば自然とドイツ人っぽくなるのだろう。上でkakurekiriさんが言っているように、言語とは「文化」や「習慣」を包括するもの。言語の習得を突き詰めれば、日本人以外の○○人っぽさを手に入れることであり、今までになかった新たな”自分”を知ることにも繋がる。
だから言語の習得は面白い。
多言語話者のみなさんは、どう思いますか?
参照:教えて!goo
友達がこのサイドを教えた!そしてコメントをしたいと思う。私はカナダ人ですから、日本語はかんぺきないで、カナダで生まれて育ちましたが、ジブリの作品らと旅行による日本が好きになりましたから以後ずっと日本語を学ぶ、8年間。私は自分じしんをバイリンガルに思いますが、どちらかといえば日本語は時に苦手ですね、こまかい言い方はむずかしよ!だから礼儀がわるくてしまうに思う。でも、言うことはわかるのですから、バイリンガルと信じる。あなたはどう思いますか?
性格は、少し変わるように思いますよね、言語は考えることですからね!
思うのは、日本人は言語の話せるの決まりをするのがきびしくように思う、ただ。なぜなら、恥ずかしいだったり、かんぺきを求めるのですか?
好きな言葉は、おつかれさま。優しくなるのですね!
英語では本当にこの意味や思いをひとつの言葉に伝えにくいだから!
外国人が話す日本語では、たとえそれが礼儀が悪い言い方でも「気持ちは伝わる」と思っています。一生懸命に伝えようと思って言ったことは、意味が伝わらないことはあっても、「礼儀が悪い人だ」とは思われないと思います。
ところで、英語でのbilingualはどこからのレベルのことを言うのですか?2つの言語もネイティブと同じくらいのレベルという意味ではないのですか?
私も「おつかれさま」という言葉は好きです。私はフランスに住んでいますが、たまにフランス人に「おつかれさま」と声をかけたくなる時があります。あたたかくて、思いやりのある言葉ですよね!
使う言語によって性格が違ってくる・・というのは私もある。
英語とスペイン語と日本語で口調がかならい違ってくることに気づいたことがある。
ただ長年ペルーに住んできて、思考回路がペルー的になってきたせいか、タメ口の日本語がどうもスペイン語のようになってきたような気がする。
日本的ジョークよりペルー的なジョークが出てきたり・・。困るわ。
ペルー的なジョークというのがどういうものか、聞いてみたいものです。
ちなみにフランス的ジョークは日本のジョークより、かなりブラックです。皮肉を通り越して笑えないこともあります(汗)。
同意します。文化、週間の違いだと思いますが、日本ではシニカルな笑いは全く通用しませんね…mdr !!! 逆に怖がられます。(泣)
もっと第二言語のボキャブラリーが多ければ、表現も多様に会話できるのですが、限界があるので、その限度の中で相手に伝わるように会話しようとすると、ジョークめいた事を言ってしまうしかない場面が多く、面白い外国人だとよく言われますが、実際の私はジョークなんて飛ばすような性格ではありません。
例えば、携帯のバッテリーがそろそろ尽きそうになった時に、咄嗟に何て伝えればいいのか思い浮かばなくて、ゴメン、私の携帯電話がお腹空かせてると言ってしまったりとかです…。日本語では絶対にそんな事言いません。そんな表現ばかり使って誤魔化しているので、第二言語の私は変な人と思われているに違いありません。
ジョークを飛ばすという新しい人格のようですね。そう考えてみると、日本語というのは”ユーモア”という観点からは遠い言語なのかもしれません。
誰もが、別の人格を持っていると思います。外国語が上達してくるに從って、隠れていた「もう一人」の自分が姿を現すのではないでしょうか。
>外国語が上達してくるに從って、隠れていた「もう一人」の自分が姿を現す
面白い意見ですね!わかる気がします。
同感します!私は中国語日本語英語を話しますが、使う言葉が違うことによって、性格が変わるような気がします。
確かに…フランス語の時はブツブツブツと喋っていますが、イタリア語になると意識してテンション上げて喋らないと話せません。
Facebook の読者の方からこのサイトを教えてもらいました。私もずっと同じことを考えていて悩んでいました。なぜ、日本語で話すときは、自信がないね。などと言われるのか。英語を話すときは、本当の自分と感じます。中国語を話すときは、ずうずうさしくなるし、韓国語話すときは年上に気に入られたいような話し方になります。私は日本語も日本も好きですが、やっぱり外国語で話しているイキイキした自分が好きです。良い記事、ありがとうございまさした!
Agree=そのどおりです。
全く同感です。私は日本語ならほぼバイリンガルだと自分思いますが、英語はちょっと自信のないぐらいですかね。デモやはり英語を話す時と日本語を話す時とまたネイティヴの韓国語を話す時とは色々と変わってきますね。おっしゃる通りに韓国語も日本語も出来事を後で述べる形なので顔色を伺いやすいと言えますかね。声のトーンもさすがちと変わるのを感じます。
面白いのは、言語は文化を栄養素にしていると言えるのではないでしょうか。
永年の文化を土壌にして変わり育てられた寄生獣かも知りませんね。
言語によって性格が変わるってのはあるでしょうね。言語の習得具合も関係あるでしょうが、その言語の性質や文化的背景も影響してると思います。
以前、栗原類がテレビに良く出てた時に英語を喋ってたのを見て思ったのですが、日本語を喋ってる時はネガティブという以前に精神に何らかの異常を抱えてるように感じましたが、英語で話をしてる時は饒舌になって普段のキャラとは随分違う印象を受けました。
また、母語だと恥ずかしくて言えない言葉も、他の言語でなら言えるって場合もあります。言われた側(理解できる前提)も他の言語で言われたら気楽に受け取れる物でも、母語で言われたらずっしりくる事もあるように思います。
よく考えてみればそうですね。私も3ヶ国語話せますがその国によって礼儀や話すトーンとかいろいろ違ってきてまずどのような振る舞いをすれば相手に失礼にならないのかを考えて行動しますね。オーストラリアではジョークで皮肉を言う人が多いので私はあまり深読みはしないようにしてます(笑)みんなフレンドリーだからいいやみたいな感じで。こういう自分に共通点のある記事を読むのは面白くて好きです( ´ ▽ ` )ノ
Sapir-Whorf というアメリカの文化人類学学者が言語によって物の捉え方が違うと言っているのを思い出しました。故に言語が私達の現実世界の認識さえも規定してしまう、と。
そうするとどうやったら翻訳は成り立つのでしょうかね…????
私は日本語話者で英国住まいですが、日本語には日本の文化が反映されてると思うし、英語もそうかなぁと。ただ、それを英語を喋ってるからって自分の性格が変わるとは思いません。ただ、表現の仕方が違うだけで。
英国にいることで、アイデンティティはかわっていくでしょうが。そもそも性格って何なんでしょうね。
言語で性格が変わるっていうのは多元論者の怠惰に少し聞こえてしまいます。
英語を海外生活で話すようになってから結構経ちますが、私も日本語と英語を話している時の気分の違いは感じます。しかしそれが人格の破綻、分裂を引き起こしているのではないかと意識しています。決して外国語を話すことによって生まれる気分の違いを認識して、外国語を学ぶことを面白いとは思えません。
I’m feeling the different to feel when I speak the different languages. I’m worry about myself and my personality to be divided or broken because of speaking english (i speak japanese as native language). So i never think to learn other, foreign languages to be exiting or fantastic.
私もハンガリー語を話すようになってしばらく経ちますが、確かに性格が変わる気がします。
日本語だったら言うのを引っ込めてるであろう瞬間でも、口をついて出てしまうような感覚があったりします。
言語の性格としては、皮肉・自虐的・おおざっぱ・深く考えない・その割にクヨクヨする・大人しい・逆境に強い・悟ってる…みたいな感じでしょうか。言語というよりよくいるハンガリー人の性格ですがw
ちなみに汚い言葉だけで10分間しゃべり続けることができる言語だそうで、汚い表現のストックがいっぱいできてしまい、一時帰国中でも腹が立つことがあると、ついハンガリー語で毒付いています。日本語だとモヤモヤするだけの感情でも表現できてしまうからかもしれません。
英語で読む本と、その翻訳された本を読む際も自己に対する意識の変化があるのかもしれませんね。ジェスチャーなどを使わない分、自己に対する変化が少ないかもしれませんが。
性格が変わるというのはあると思います。
私は昔からアメリカ英語だけをまなんできたのですが、私の性格がshyなので、どうもしっくりこないんですね。
先日、英会話学校に体験レッスンにいったら、インストラクターが英国ヨークシャー出身の男性でした。発音やアクセントが妙に自分にあっているので、この際、イギリス英語にコンバートしてしまおうかと考えています。
声の低さも、英語の場合は低くなりますね。これは英語がstress-time つまり、強弱と抑揚を重視する言語だからだと思います。日本語はフラットですから、そこから人格の変貌が生じるのではないかと思います。