ホームニュースパリ在住者が感じた「フランス人がテロを防げなかった理由」

パリ在住者が感じた「フランス人がテロを防げなかった理由」

先週金曜日の夜、パリで同時多発テロ事件が発生した。筆者も義父からの安全確認のための電話で事件を知ったが、それから今日に至るまで恐怖心がどこかにあるようで、何とも気が落ち着かない。

事件があった夜は、夜中の3時ごろまでテレビの中継に釘付けとなった。おそらくどのフランス家庭でも同じだっただろう。そうこうしているうちに、フェイスブックを通してアメリカ、日本、中国、台湾など世界中の友人から安否を確認する連絡があり、事の大きさを改めて思い知らされるようだった。

パリに住む友人のロシア人は、子どもの先生がバタクラン広場で亡くなったと知って、非常にショックを受けていた。事件現場から100mしか離れていないレストランで食事をしていた友人もいる。そんな話を聞くたびに、もしかしたら自分もテロの被害に遭っていたのかもしれないと思い、身の毛がよだつ恐ろしさを感じる。

昨日の正午は、ラ・デフォンス(パリ近郊のオフィス街)で、その場にいる人が全員1分間の黙祷をしているのを目撃した。街全体が大きな悲しみに包まれているのを目の当たりにしたようで、胸が締め付けられるように苦しかった。

大きなショッピングセンターに行ってみると、通行人一人ひとりの荷物検査が強化されていた。セキュリティマンも通行人も、みなどこか強張った表情で検査を受けていて、少し前のシャルリーエブド事件直後のパリジャンの様子を思い出した。

そうだ、あの時もパリジャンたちは、恐れ、怒り、やりきれない悲しみに苦しんでいたのだ。

しかし特筆すべきは、荷物検査が「実施」ではなく、「強化」されているという点である。今年1月のシャルリーエブド事件以降、フランスはテロ対策としてセキュリティを徹底的にしくようになったのだ。

写真:モンパルナス駅にて(les echos)
写真:モンパルナス駅にて(les echos)

駅などの人が集まるところで拳銃を抱えた警察や軍が配備されていたのはもちろん、過激派サイトや電子メールの監視強化やテロ対策チームを内務省が直接管轄できるようにするなどの、制度面の改革もなされていた。

それなのに、防げなかった。

これは「自爆テロ」という捨て身の攻撃にはどうにも打つ手がないという理由に加え、人間の“慣れ”も影響しているように思う。

筆者が住むラ・デフォンスはパリ近郊のオフィス街で、複数路線が乗り入れる駅であるため、いつも人ごみで溢れる場所である。人が多い場所だから警備も厳重で、駅近くのビルの出入り口にはいつも荷物検査をする警備員がいた。

しかし、シャルリーエブド事件の直後は通行人も荷物検査に協力的だったものの、ここ最近はそれもなあなあになりつつあった。荷物を検査する側もされる側も、「慣れ」の境地に達しており、テロから身を守るためという危機感は完全になくなっていたように思う。パリは今年に入って、何度もテロ未遂があったのにも関わらずだ。

こんな状態を見ていて感じるのだが、人間というのは、緊張状態をそこまで長く保つことはできないのではないだろうか。結局、人は信じたいことを信じやすい生き物なわけで、「テロなんて怖いものはもう存在しない」と信じたいからこそ、緊張感がだんだん緩んでいくのだ。

そう考えると、「日本は平和だ」という慢心は危険である。

過激派テロなんて日本にはやってこない。イスラムの問題は、日本から遠い遠い国の話だとどこかで思っていないだろうか。

もちろん、そうあってほしいと筆者も思うが、日本に住む日本人にも、今回のパリ同時多発テロ事件を自分のことのように考えてほしいと思う。日本は平和な国だから関係ないと妄信するのではなく、日本がこれから国際社会のなかでどのような立場をとり、どのように他国と“共存”していくべきなのか。

パリから遠く離れた日本の人たちにも、今回のテロをきっかけに「国際平和」について考えてもらえれば、テロで亡くなった人たちの死も少しは報われるのかもしれない。

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