2016年、アメリカの食トレンドとして、チップの廃止がNO.2にランクインした。チップ文化が深く根付いたアメリカで、このような流れになっているのだから、今後は世界的にサービス業がチップ不在の文化へとシフトしていくのかもしれない。
筆者も海外旅行するたびに思うが、“ほぼ強制的”に払わなくてはいけないチップが不快で、どちらかというと苦手だ。最低賃金からベース分を除く差額分をチップで稼がなくてはいけないというシステムも何だか可哀想だし、財布の中にいつも小銭を用意しておかなければならないのも面倒臭い。
今後、アメリカはメニューにチップ分を上乗せし、サーバーとキッチンスタッフのチームワークを強めようという動きになっているそうだが、チップの制度が全くなくなってしまうのも何だか寂しい気がする。そう思うのは、以前紹介した桐山秀樹著の「じつはおもてなしがなっていない日本のホテル」に書かれていた、この部分を読んでからだ。(以下、本文の抜粋)
日本のホテルはサービスらしいサービスもしていないのに、サービス料として10%を黙って徴収している。ベテランスタッフ、新人スタッフ、どちらが担当しようと、運ぶ途中にカップをひっくり返そうとも、一律10%、黙って徴収している。 しかも、その一律10%で徴収したサービス料は企業側が全て徴収し、現場のスタッフに払われることはないのだ。現場スタッフに直接支払われれば、将来への励まし料として考えることもできるが、それすらもホテル側は会社の収入として計上してしまっている。 サービス料をめぐるホテル業界の悪しき習慣は、サービスする側のみならず、される側の顧客にも大きな誤解と錯覚を与えてしまっている。 アメリカやヨーロッパなどでは、サービスを受けた対価として、受けた側がその費用を支払うのが当たり前だ。ところがチップ制度が発達していない日本では、対価を支払ってもいないのに、いいサービスを受けるのが当然だと思っている。これはある意味、「職人軽視」の発想である。こんな状況ではいい職人は育たない。サービスする側も見返りを期待していないから、コストダウンの結果、ゲストから大量のチップをもらえるような熟練サービススタッフを必要としなくなった。 日本では、サービスする側が見返りを求めないという伝統的なホスピタリティー文化が発達し、サービスを受けた対価を支払うという習慣がなかなか根付いていない。 つまり、現状ではサービスする側、それも企業ではなくホテルマン個人の収入の犠牲の上に、「おもてなしの文化」が成り立っているともいえるのだ。 |
これは一理あると思う。アメリカのようにチップで生計を立てるような制度は厳しすぎるし、メニューに最低賃金に満たない差額分のチップを上乗せするのには賛成だ。しかし、アメリカとは逆で、日本はもう少しチップを渡す客が増えてもいいのではないか、と思う。
チップは日本の文化ではないから広まらなくて当たり前だと言われてしまったらそれまでだが、人件費をギリギリまでコストダウンして、安い給料で社員やアルバイトをこき使い、「お客様は神様だ」というスローガンの元、常に笑顔で接客しなくてはならないなんて、従業員の負担があまりにも大きすぎるのではないだろうか。
ファミリーレストランで500円のランチを食べるサラリーマンが「このハンバーグは焼きすぎだ」だと文句を言ったり、1000円にも満たない食事をしておきながら「あの店員は笑顔がなくて感じ悪い」とクレームを言うのは、根本的に間違っているように思う。千円以下しか支払っていないのに、一体何を期待しているんだと叱りたい気持ちにもなる。デフレとコストダウンが根付いてしまった日本のサービス業ではもはや、客側の「安いのだからしょうがない」という感覚はなくなってしまっている。
日本のサービス業は、客が支払う額と、店員の仕事量と、客の期待するサービスのレベルのどれも釣り合っていない。企業側と消費者が一緒になって、従業員をいじめているような感じもするし、行きすぎた“おもてなし”にはむしろ不快感すら感じる。
だから、「日本はチップなしで素晴らしいサービスを受けられる国です」という自慢はむしろ、雇われ労働者をいくらこき使ってもお返しなんてしないケチな国民という誹謗中傷に言い換えることもできるのではないか。
そう考えると、チップが根付かないおもてなし文化いうのは、恥ずべき一面ということもできる。
少なくとも、「日本って本当にサービスがいいのよー」と高らかに笑い、ファミレスで300円のケーキを食べて不味いとクレームをだすようなおばさんにはなりたくない。
チップ制度はネガティブな点だけではなく、いいところもたくさんある。
「いいサービスを受けたらチップでお返ししよう」という意識と余裕を持った人が増えれば、日本はもう少し余裕のある国になれるような気がする。
記事、有り難うございます。
チップ文化の記事を興味深く読ませて頂きました。そして、ここら辺の切り口から、おもてなしなるものが崩れていくようにも思いました。
全く知らないけれどお金を払ってくれる相手を、お客様と言うのなら、そこでどうしたら喜んでもらえるか、他のお店よりも我が店を選んで貰えるか、そこの探求心は、ある意味自己満足な部分の多いセンスです。
そのセンスが外国の方から目新しく映るとするなら、それは海外のサービスとは考えの根底が違うからです。
サービスの意味そのものを、海外の標準的な対価センスで測り直す事にどれ程の意味が有りましょうか。そもそも日本で、カップをひっくり返して提供するなんて見たことが有りません。マダムは何処で見たのでしょうか?
本文中に、
桐山秀樹著の「じつはおもてなしがなっていない日本のホテル」に書かれていた、この部分を読んでからだ。(以下、本文の抜粋)
と書いていますので、カップをひっくり返して…という話は私が書いたことではなく、著者である桐山氏が経験されたことだということがわかるはずです。
しかもここでは、「運ぶ途中にカップをひっくり返そうとも」としか書かれていないので、ひっくり返ったカップをそのまま提供したと読解するのは間違っていると思います。
確かに、あなたのおっしゃられるように、おもてなしが「顧客満足への探求心を元にした”自己満足”」なら、別にわざわざチップなんてあげる必要はないですよね。
私が言いたいのはそういうことではありません。根本的にいろいろと勘違いされているようです。
1000000%同感です。
クリスマスやハロウィーンばっかり真似しないで、チップ制度も真似るべきです。
残念ながらイギリスのレストランではチップ込みを最初から払わされるお店が増えてきました。しかも給料にはあんまり反映されないし、店側が大半持ってくしチップからも税金が引かれます。