ホームつきあいカップル何で私ばっかり?と不公平感がある妻は夫が死ぬ想像をしてみろ

何で私ばっかり?と不公平感がある妻は夫が死ぬ想像をしてみろ

国際結婚して、海外に移住した妻は、心のなかにどこかしら“不公平感”があるのではないでしょうか。

実は筆者もずっとそうでした。22歳で結婚してフランスで生活を初めて以来ずっと、「私たちカップルは私ばかりがいつも損している」と思っていました。筆者の場合は大学を卒業して、就職活動して入社して、働いてこれからキャリアを築いていくという頃にプロポーズされてフランス行きを決めたので、フランスにきて数年は「あの時プロポーズを断っていたらどんな人生になっていたんだろう…」と空想することが多かったです。

家族もいない、友人もいない、言葉も通じないところで感じる孤独。旦那だけでは埋められない孤独感があるということを、フランスに来て初めて知りました。一方、旦那は自分の家族に会えるし、キャリアだって思いのまま。私のために頑張ってくれていることは頭ではわかっていましたが、どうしてもそれを認めたくありませんでした。

どうして私ばかりが、いつもこんなに苦しい思いをしなくちゃいけないんだ!

この感情が胸に常にあり、不公平感があまりにも強かったので、実を言うと、フランスに来て5年くらいは、心からフランスに適応したいとはどうしても思えませんでした。この頃は、フランス語だって話せるようにはなりたくなかった…。フランス語がペラペラに話せて、フランスでの生活が何不自由なく送れるようになってしまったら、それまで自分が日本で築いてきた経験や知識や可能性が全て無くなってしまうような気がしたからです。フランス人のなかに溶け込んでしまったら、もう日本に戻るという“最後の逃げ場”が永遠になくなってしまうのではないか…。

だから、フランス語の勉強も身に入りません。だって、心の奥底では「馴染みたくない」と思っているのですから。「フランスに慣れたら日本には帰れない」なんてのは思い込みで、全然論理的でないことはよくわかっていましたが、頭で考えることと心で感じることは違っていて、当時は“フランス生活に慣れないように必死だった”自分がいたと思います。

そんなある日。

筆者は当時、日本人夫婦が経営しているパリのレストランで働いていました。ある朝、いつも通りに出勤すると、お店のマスターが心臓発作で急死したという話を聞いたのです。

え?ウソでしょ?亡くなるってどういうこと?あんなに元気だったのに…。

人って急にいなくなるんですね。一時帰国をしていたマスターの奥さんが日本から戻った自宅で、冷たくなっている旦那さんを発見したそうです。旦那さんが喜ぶだろうからと日本からたくさんのお土産を買って帰ってきた奥さんは、スーツケースを開ける暇もなく、あれよあれよという間にお通夜やお葬式の段取りを決めていかなくてはいけません。

この時の奥さんの様子を、直視することはできませんでした。元々小柄な奥さんが、もっともっと小さくなりました。気が強いパリジェンヌの影響を受けていた勝気なおばさんが、たった一日で、弱くて、頼りないヨロヨロのおばあさんになってしまいました。一気に老け込んで、すっかりおばあさんになってしまった彼女は、涙を浮かべながら私の目を見て、こう言いました。

「旦那さんを大切にしてあげてね、本当に。」

これを聞いたとき、目の前にいるこのおばあさんは私なんだ、となぜだか直感しました。40年、50年後の私が目の前にいると、強烈にそう感じたのです。

それから数日たっても、彼女の言葉が耳から離れませんでした。何度もこの場面を思い出すうちに、それはいつしか「旦那が明日死んでしまったら…」という想像に変わっていました。来る日も来る日も、旦那が明日死んでしまうことをイメージしてみたんです。

旦那は明日死んで、いなくなってしまうから、もう話ができない。
喧嘩して、泣いて、怒って、笑いあう相手がいない。
ひとりで起きて、ひとりで寝て、ベットのなかで寝がえりをうっても、隣には彼がいない。
ひとりでテレビを見て、笑い声が私だけだということに気が付く。
2人分の量のご飯を作ってしまって、自分一人で食べる。
面白いものやおいしいものを見つけても、それを一緒にシェアしてきた人が隣にいない。
家のなかで何かが壊れても、自分でどうにかする。ちょっとしたときに頼る人がいない。
生活のなかで悩むことがあっても、聞いてくれる人がいない。

こんな想像を数日間やってみて、一番に感じたのは「後悔」です。

どうしていつも、彼の努力と私の努力を比べてしまっていたんだろう。どっちが得で、どっちが損という発想から抜け出せないでいた自分を恥ずかしく思いました。夫婦でいることで、大切なのはどっちが損しているかというバランスではないはずです。そんなの愛でもなんでもないのだと、この時になってやっと気が付きました。

それと同時に、彼がもし明日死んだら、「フランスで頑張る気になれなかった私」を幸せにできなかったと後悔するのではないか、と思いました。ひょっとしたら、死ぬ頃になって「プロポーズしないでいてあげればよかった」と思ってしまうかもしれません。

それだけは嫌だ。旦那が死ぬときは、「良い人生だった」と言って天国に行ってほしい。

この時から、私のなかで何かが変わったんだと思います。なんで私ばっかり?という不公平感は全く感じなくなりました。それどころか、私や将来の家族のために外で頑張って働いてきてくれる旦那に、心から感謝するようになりました。今思えば、「お前だけキャリアアップしやがって!」と妬んでいた自分が嘘のようです。それよりも、

一緒にいてくれて、ありがとう。
そばにいてくれて、ありがとう。

素直に、心からそう思えるようになったんです。

今現在、国際結婚&海外移住をして、どうしても夫婦の“不公平感”が拭えず、悶々とした日々を送っている方は、パートナーが明日死んでしまうという想像を本気でしてみるというのも、一つの解決策だと思います。

“なくなって初めて気が付く大切さ”では、悲しすぎる。未亡人になった女性はよくこう言います。

「時間がたつのは本当に早いわ。昨日結婚式をしたかと思ったら、今日にはもう旦那がいなくなっているんだから。」

夫婦でいられる時間は、永遠ではありません。すでに限られています。夫婦というのは、永遠ではなく、いつかは消えて無くなってしまうもの。だから、はかなく、いとおしく、美しいのです。

私も、パートナーも、夫婦も、家族という関係も、全てが諸行無常

それに気がついて毎日を生きるのと、そうでないのとでは見えてくるビジョンが違ってくるように思います。

全ては無常だからこそ、あなたはどう生きていきたいのですか。

 

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