ホームジャパン【ニッポンの学校教育】 将来の子どもたちに必要な国語力は「意見を言う力」だ! 

【ニッポンの学校教育】 将来の子どもたちに必要な国語力は「意見を言う力」だ! 

「で、あなたはどう思うの?」

ここフランスで暮らしていると、日本にいた頃に比べてよく自分の意見を求められるような気がする。フランス人との会話で、どんなトピックになっても「それであなたはどう思うの?」と聞かれることが多い。ただ単に「あれこれこんなことがあった」とか「誰々が~と言っていた」という事実だけでは物足りないらしく、話の“オチ”のように最後には自分の意見を述べるのが欧米流の会話と言える。

はっきり言って私はこの欧米流の会話が少し苦手である。いきなり「どう思うの?」と聞かれても、すぐに自分の考えを言葉にまとめられなかったり、そもそも「それを受けてどう思うか」なんて考えてもいなかったということも多々ある。そんなこんなで私は欧米人との会話で即座に自分の考えを言葉にまとめるのが得意な方ではないが、他の日本人もそういった一面が見受けられ、どうやらこう感じているのは私だけではないのではないかと感じる。もちろん自分の考えを自分の言葉でうまく説明できる人もいるが、私が思うに日本人は自分の意見を言葉にすることが欧米人に比べ苦手なようである。

反対にフランス人たちは何人かで集まると、誰かが「私はこう思う」と言い、必ず「いや、私はそうは思わない。なぜなら・・・」とひとりひとりが違う意見を言って大討論会になる。自分の主張の根拠を論理的に説明する彼らの話を聞いていると、「なるほどそういう見方もあるのか」という新たな発見になったりしておもしろい。フランスはよく「個人主義の国」と言われるが、物事の捉え方も「人は人、自分は自分」という感じで、「一般的にどうこう」と言う話は好まない。相手が「どうやってその結論に至ったか」という点を注意して話を聞き、その人柄を知ろうとする。意見のぶつけあいのような大討論会をするうちに、自分と同じ意見である人もそうでない人も、互いをより深く知りあうというのがフランス流のコミュニケーションだ。

そんな彼らは子どもの頃から学校教育で自分の意見や考えを述べるように鍛えられきたらしい。フランスの教師は教科書をその通りに追う授業はほとんどしていないそうだ。日本の学校を見ると、教科書の章の順に内容を教えるといった方法が主流であるが、フランスでは違う。質疑応答はもちろんのこと、ディスカッションになることも頻繁で、積極的に自分の意見を述べたり、反論を投げ返したりする。フランスでは「あなたはどう考えるのか」という発想が教育全体を支配していて、生徒達は意見をつくり上げることを覚えていくそうだ。(東京外国語大学 欧米第2過程フランス語専攻「日本とフランスの教育制度」から一部抜粋)

ここではフランスを例に挙げているが、一般に日本から一歩出て海外に行くと「自分の意見を言葉にする力」が求められると言われている。海外へ行くとまずは言葉の壁にぶつかるが、日本人が海外で馴染むためにはこういったコミュニケーションのギャップにも対応していく必要がある。空気を読んで相手の意見に賛同するだけでは、現地の誰にも相手にされなくなってしまうかもしれない。グローバル化が進む世界で日本が国際的に優位な立場につくためには、「意見を言う力」を子どものうちから鍛えることが重要である。

 

しかし、今の日本の国語教育では「意見を言う力」が育たないのではないのかと心配にならざるを得ない。

これまで数々の賞を受賞している現代人気小説家の宮部みゆきさんは著書「ステップファザー・ステップ」のなかで、主人公になりかわりこんな意見を書いている。以下一部抜粋。

俺にはどうも、現代国語という科目が滑稽に思えて仕方がない。少なくとも、詩や小説を題材にして教えるということに関しては、絶対におかしい。どうかしている。

先生が書き出した質問には

「次の部分のオッペルの気持ちを説明してみよう」

「これらの言葉にはどんな感情が込められているか考えてみよう」

ちゃんちゃらおかしいではないか。

・・・・

今の教科書には「いっしょに考えてみよう」などと、猫なで声を出している。だが、どっちにしろ、最後に「テスト」というものが待っていることを考えたら、出口はひとつ、結果は同じだ。自由に解釈し、自由に感動することは許されない。子どもたちは皆、テストで丸をもらえそうな答えを探すだけだ。・・・こういうやり方を教育亡国という。

 

彼女の意見は物語を書く側としての視点が窺えておもしろい。そして、この主張こそが現代の日本の国語教育を変革するためのキーになるような気がしてならない。小説や詩などの文学もそうだが、日ごろ私たちがおしゃべりするトピックも自由に解釈して自由に意見が言える状態であるべきだ。丸がもらえる解釈を探すという作業自体、馬鹿げているような気がする。

だが確かに、読解力は必要だ。しかしそれを読んで(聞いて)どう感じるかは自由で、人とは違う意見を言ってもいい。必ずしも賛同しなくてもいいわけだ。読解ばかりに集中した国語教育では、日本の子どもたちに「こう考えるべき」、「こう感じるべき」という押し付けになってしまう。そんな受け身授業よりも、それを受けて自分がどう感じるか?どう思うか?の部分の方が大切だと思う。

読んだり聞いたりすることをそのまま受け止め賛同する力を育てるのではなく、自分の考えを構築する力、論理的に説明できる力、うまく批判する力など、より主体的な力を育てていくべきである。実際に自分の人生を選択していくうえでは「自分がどう思うか?」をしっかり認識する力の方が大切だと思うからだ。

 

日本人は賛成の仕方は上手いが、意見の伝え方が下手だと言われる。だからこそ、国際社会にたつ将来の子どもには自分の意見をうまく言葉にして説明する教育が必要なのではないかと思う。子どもの英語教育に力を入れるのもいいが、まずは母国語の日本語で考えをうまく言葉にする練習をしてみてはどうだろうか。少なくとも国語教育においては、一方的で押し付けがましい“受け身教育”はやめるべきだ。

関連記事

10 コメント

人気記事

最新のコメント