以前書いた記事、『日本人はみんなに優しくていい顔するから友達になりにくい』はとても反響の多い記事でした。日本人にとって友達とは何なのか、欧米人とは違う“友達観”を日本人は持っているのではないかと、日本在住外国人の様々なブログを調べていたところ、面白い記事を見つけたので紹介します。
日本で暮らすアメリカ人男性のKenさんは、読者からの「日本人と友達になるのは難しいですか?」という質問に、「Yes&No」だと答えています。しかし、どちらか強いて言うなら、「日本人とは友達になりにくい」そうです。そこで今回は、彼のブログ記事「Making Friends in Japan(日本で友達をつくる)」を紹介します。
日本人の友達、今田さん
僕の日本でできた仲のいい友達といえば、今田さんだ。彼とは一緒に温泉にも行ったし、裸の仲だ。裸の仲というのは欧米にはない感覚だが、日本では裸になってさらけ出すことで「より一層仲良くなる」という意味があるらしい。
先日、今田さんと彼の奥さんに駅でばったり会った。今田さんの奥さんはアメリカ生活の経験もあって、英語を話すのが大好き。このときは彼女とこんな会話をした。
“Imada-san,how’s it going?”「今田さん、調子はどう?」
“I’m going shopping”「買い物に行くの。」
“Okay…What for?”「オケー。何の買い物?」
(困惑した様子で) “It’s my hobby.” 「買い物は趣味です。」
日本人はよく“hobby”って単語を使うけど、これって凄い違和感。ホビーが切手収集やプラモデル作りならまだわかるけど、買い物や散歩、食べること、寝ることってこれはもうホビーとは言えないから。生きていくために必要なことはホビーにはならない。…と、それはさておき。
今田さんの奥さんとはここで別れて、僕と今田さんと共通の友達のタヌキと3人でお寿司屋さんに行った。
お刺身の盛り合わせと、ビールと、仲のいい友達…。大いに盛り上って、お寿司の後は今田さんの奥さんも一緒にカラオケに行った。今田さんの奥さんは英語の歌も歌える。ビールをけっこう飲んで、枝豆とマルガリータピザを注文。カラオケの後はみんなよろめきながら駅まで歩いて、じゃあねと会釈しあいながら別れ、それぞれの電車に乗っていった。
今田さんもタヌキも、僕の大切な友人だ。しかし、彼らの下の名前は知らないし、タヌキの家には行ったことがあるけど、今田さんの家には行ったことも住所がどこなのかも知らない。欧米での友人関係と日本でのそれは少し違うようだ。
日本での孤独感
日本でもアメリカでも、僕は何度も引越しを経験してきた。どちらでも言えることだが、新しい場所では孤独になりやすい。今まで知っていたことや友達と離れて、新しいことをしようというのだから当然だ。
それでも友達をつくるというのは、簡単なことである。外に出て、買い物や散歩しながら人に話しかけてみるといい。言葉の壁なんて問題ではない。英語を外国人と話してみたいと思っている日本人はたくさんいるし、それは彼らにとっても新しい“ホビー”となるかもしれない。
しかし、ここに厄介なことがある。それは、あなたに友達が100人できても、「孤独」なのは変わらないということだ。“人に会う”ことは簡単なことだが、自分がいいと思う人と友達になるというのは難しい。あなたの考え方を聞いてくれて、夢を応援してくれたり、価値観を共有してくれるような友達を見つけるのは至難の業だ。周りとは違う“外人”になれる場所に行っても、この難しさは変わらない。

日本人を理解しよう
日本人ははっきり言って物事を深く考えるのが得意ではない。欧米の学生がするような冗談交じりのディベートや批評などをする機会が、子どものころから日本にはないからだ。日本人は親切ないい人たちだが、彼らがもしグーグルの面接試験を受けるとすれば、あまり合格できるとは思わない。なぜ日本人はこうなってしまうのか?それは、教育制度に原因がある。
日本人は子どものころから受験戦争。高校ではただ授業に出席して、先生の話を聞き、ノートをとるだけだ。欧米の大学では入学が簡単で、卒業が難しいが、日本はその逆。大学に入学さえすれば、そこで教育は終了。大学の4年間は、たがをはずして遊びまくる2年と就職活動の2年で構成されている。意見や考え方を交換するような機会はなく、敷かれたレールの上だけを走ってきた人間は「自分の考えを構築できる力」が17歳のままでストップしてしまう。
だから、日本人の友達とはスポーツや食べ物、買い物の話をするのは簡単だが、アイデアを共有したり議論ができる相手を見つけるのは大変だ。人は何のために生きるのか?、私たち人間は宇宙の中のランダムなホコリに過ぎない存在なのか?、ウェイトレスの電話番号をゲットするにはどうしたらいいか?…こんな話は日本人とはできない。
こういう深い話をできる相手を見つけるのは、どこの国でも難しいけど、やっぱり日本では特に難しいと思う。
外人は「外人」でしかない
部屋の中に、大きくて、白くて、黒くて、茶色のゾウがいる。それが、日本での「外人」という存在だ。どう頑張っても、馴染めない。何をやっても浮いてしまう存在だ。ある日本人は僕にこんなことを聞いた。
「ポンカンの皮を剥くとき、皮をちぎらずにキレイに剥ける?」
僕は正直に「そんなこと考えたこともないよ」と答えたら、「それは君が日本人じゃないからだ」と言われてしまった。僕はこのとき、「あらあら、全く外人は情けないね、果物の皮もちゃんと剥けないなんて」…と言われたのだろうか?
日本のテレビカメラマンは、外国人に見える人に街頭インタビューをする。「日本の○○ってどう思いますか?」という質問をしてまわるのだ。こういった番組を見た日本人は「外国人は私たち日本人とはいかに違うのか」を学ぶ。最近はさらに、東京オリンピックに向けた外国人への“おもてなし”への意気込みのおかげで、ますますやりにくくなった。先日京都駅で、おじいさんに「日本へようこそ!」と叫ばれたときは、ビックリしてどう反応していいのかわからなかったよ。
見た目の違いに関わらず、どんな人でも“公平に扱う”というコンセプトは日本には全く通用しない。「見た目の違いがあっても公平に」というのは、外国のアイデアでしかないのだ。
友達になってください
それでも、日本には「外国人と友達なりたい人」がたくさんいる。外国人だったら誰でもいいから、友達になりたいのだ。彼らは外国人の箸使いに驚き、「わぉ!日本語うまいね」と褒める。
「えぇ?お寿司好きなの?」、「へぇ~、焼酎飲めるの?」、「わぁ!今度私たちの英語教室でお花見があるんだけど、あなたも良かったら来ない?みんな本物の外人に会いたいと思うの。」、「あなたの国のことを聞かせて。」、「日本で一番驚いたことは何?」、「日本の家って小さくない?」、「日本のトイレって変でしょう?」、「フェイスブックの友達になろうよ」…
日本人と友達なれるか、という質問には2つの要素がある。1つは、日本人があなたを受け入れてくれるか。そしてもう1つは、あなたがこういった日本人を受け入れられるかだ。動物園にいる見世物のような気分になっても、それは仕方ないと受け入れられるかどうかで、日本人と友達になれるかどうかが分かれるのだと思う。
「友達」の定義を考え直してみよう
今田さん夫婦とタヌキと駅で別れた後、何となく真っ直ぐ家に帰る気持ちになれず、コンビニでまたビールを買って飲みながら、公園のシーソーにまたがった。東京の空を見上げて、神様に聞いてみた。
「神様、本当にそこにいるの?人間は宇宙の中のランダムなホコリのようなものなのかな…。」
すると、神様が僕に答えてくれるかのように、今田さんからメールが来た。
「今夜は楽しかったよ。ありがとう。明日ハイキングに行かない?7時に迎えに行くよ。」
本当に彼はいい奴だ。知的な会話や深い話はできないけど、彼は英語で話そうと無理強いはしてこないし、僕が白人だってことを強調したりはしない。それに、お互いビールが好きだ。
友達ってのは必ずしも自分が理想とする、求めている友達とは違うこともある。でも、それでいいんだよ。
彼とは深い話ができない。
でも、誰が彼のそんなところを批判できるだろうか。それこそ、「何様だ」という話である。
参照:Japanese Rule of 7、写真:呉 松本