先日、筆者が通っているパリのフランス語学校でこのような議題があがった。
フランス人の行動のなかで、自分の国とは違って驚いたことは何ですか?
そのクラスには、モロッコ人、エジプト人、ポーランド人、ロシア人、韓国人、中国人がいる。その中の一人がこの質問に、「フランス人の人間関係が希薄なことです」と答えた。すると、これらの外国人はみんな「うん、そうそう。私もそう思う。」、「確かにフランス人の関係って冷たいよね」と同調する。
これには正直、驚いた。フランス人は人懐っこい人たちだとはお世辞にも言えないし、確かに冷たい印象を与えてしまうのも、うなづける。しかし、街中や近所でのスモールトークはアメリカ人ほどではないが、日本よりは多いし、話しかけて知り合いになったら愛想良くあいさつをしてくれる人がほとんどである。何より、家族や友人との結びつきが強く、毎週両親や兄弟に会って食事をする習慣がある人も少なくない。筆者の感覚では、フランス人の人間関係は“希薄”からは遠いものだし、むしろ、気心の知れた人に対する関係はどちらかというと“濃い”ものだと思っていた。
しかし、フランスに住む日本人以外の外国人の意見は違う。彼らに言わせると、「フランス人の人間関係は希薄すぎて、寂しく感じる」らしい。具体的に彼らの言い分を聞いてみた。
「フランスでは自分の親の家に行くのにも、事前に連絡しなくちゃいけない。親と子なんだから、わざわざ連絡してアポを取ってから会いに行くなんておかしい。親子なんだから、別にいつ来てもいいでしょう?」(韓国人)
「フランスでは隣人のあいさつも、“ボンジュール”と言い合うだけでそれで終わり。ポーランドでは隣の人がうちのなかにベルを鳴らさずに入ってきておしゃべりしたり、食事したりすることもあるのに。」(ポーランド人)
「家族はいつでもウェルカム。エジプトではもっと家族の結びつきが強い。」(エジプト人)
ポーランド人の話を聞いたときに「隣人が勝手に入ってくる?迷惑じゃないの?」と聞いたら、「全然!お互い様よ!」と言っていた。とはいえ、アポなしで勝手に来られたら、予定もあるだろうし、いろいろと不都合なことが多そうだ。いや、そもそもなぜ隣人とそこまで仲良くならなくてはいけないのか。その必要性がよくわからない。
この話を今度はフランス人にしてみた。
「私もそういう経験あるよ!イタリアのおばあちゃんちで食事していたとき、隣人が勝手におばあちゃんの家に入ってきて、私の隣の椅子に普通に座ったのを見てすごく驚いた!おばあちゃんも何事もなく、”なんか食べる?”とその隣人に聞いて、食事を出して、隣人は食べておしゃべりが終わったら帰っていった。何だか不思議な光景だったな。」
しかし、よくよく考えてみると、筆者もこれに近い経験がある。大学生の頃、留学生用の学生寮で生活していた時のことだ。寮生の部屋をアポなしでノックして遊びに行ったり、友人と食事していると、他の寮生がやって来てそのまま一緒に食べたり、ご飯を作りすぎたときは隣の寮生におすそ分けしたり、ドアをノックされて「今、○○の部屋で飲んでるから来ない?」と、誘われることも日常的にあった。
きっとこんな感覚で、イタリア人もポールランド人もご近所づきあいをしているのだろう。隣の人といい関係ができていれば、学生寮のようなご近所づきあいも楽しいのかもしれない。何かあったときにも心強いし、何より孤独感を感じることも少ないだろう。
しかし、このように隣人や家族と付き合っていくには、自分の時間がたくさんある状態でなくてはならない。「いつでも来ていいよ」と人に言うのは、「いつでも時間あるよ」と言うのと同じことで、ある程度、時間と心に余裕がなければできないことである。
そう考えると、やはり日本でこのような濃密な人間関係、家族づきあいしていくのは不可能なように思う。余暇が貴重な忙しい日本人は、結局のところ人間関係が希薄になっていく運命にあるのかもしれない。
それを悪いことだとは思わないし、ポーランドやイタリアのような人間関係のほうが優れているというわけではないが、面倒な人間関係は最初から避けようとすることが多い筆者にはハッとさせられる話だった。そんなカタチの人づきあいも悪くはない。
人間関係を面倒くさがるのをやめてみようか。迷惑をかけあうのが人間なんだから。
写真:lilie Mélo