南海電鉄の40代の男性車掌が日本語で「本日は外国人のお客さまが多く乗車し、ご不便をお掛けしております」との車内アナウンスをしていたことが10日、同社への取材で分かった。車掌は「差別の意図はなかった」と釈明。同社は「客を区別するのは不適切」と車掌を口頭で注意した。
これに対するネットでの反応は、男性車掌を擁護する意見が多かった。
- おそらく車掌さんは本当に差別などの意図はなく、単に「外国人に対して鉄道側が的確な案内・対応を取れず、ご不便を…」という意味で、言葉足らずだったのではないでしょうか。
- その電車に乗っていた客のほとんどはアナウンスに納得してたやろな…俺が乗った電車がもしそうなら次の電車に乗り換えるぞ
- 何か問題あるか?最近、ちょっとした言い違いや言葉のチョイスを誤っただけで騒ぎすぎ。
- 迷惑な外国人がいるのは事実
- 言いたくなる気持ち、わかるほどきっとひどかったのだろう。その外国人、大体想像できる。
確かに、これらの意見もよく理解できる。日本でのマナーをよく知らずに(調べずに)、自分の国のルールと同じように観光している外国人は、実際に多い。
事実、日本に生活する外国人が作成したYOUTUBE動画(英語&仏語)を見ていると、日本で注意するべきこととして、「電車のなかではヒソヒソ声で話すように」と紹介しているものが少なくない。日本に来る外国人はこういった動画を見て下調べをして来ている人ばかりではないので、マナーの悪い迷惑な観光客が少なからずいるというのは事実だろう。
↓車内のあまりの静かさに、「誰か死んだの?」と思う外国人観光客
そう考えると、この車掌さんは言葉足らずで誤解を与えてしまう発言ではあるが、悪意はなく、外国人差別したとはいえない。しかし、人種差別だと疑われてしまう不適切な発言だと責められてもしょうがないと思う。そしてこういった発言は誰しもがウッカリ言ってしまう可能性のある失敗だともいえる。
それでは、このような悪意のない人種差別発言をウッカリ言ってしまわないためにはどうしたらいいのだろうか。誤解を与えることなく、スマートに外国人観光客を注意する方法はあるのだろうか。
それには、まず日本人と移民の多い国の「国際感覚のギャップ」を自覚することが大切ではないかと思う。日本は島国で、欧米などの他の先進国に比べると、外国人の少ない国だ。だからこそ、知らず知らずのうちに「日本人」と、「日本人じゃない人」を区別していて、それが無意識的にこの車掌さんのような発言につながるのではないかと思う。
この感覚の違いというのは、筆者もいまだに驚かされることがある。
例えば、以前、フジテレビの『ホンマでっか?TV』を見ていたときのことだ。ディーンフジオカの祖先の話になって、生物学の池田先生が「日本人は祖先をたどると遺伝的に渡来人との混血がほとんどで、ピュアジャパニーズはほとんどいない」と言った。それを聞いた番組出演者が、「へぇー!純血の日本人って少ないんですか!」と、驚いていた。
このシーンを横目で見ていたフランス人の旦那は、とてもショックを受けたようだ。
「こんな会話をテレビで放送するなんてありえない。めちゃくちゃ人種差別。フランスのテレビで同じことをしたら、色んな団体から抗議の電話が殺到して訴えられると思うよ。」
確かに色んな国籍や人種、宗教が混じり合ったフランスでは、こんな会話を放送できないだろう。フランスが差別のない国だとは思わないが、日本より異文化が混同しているぶん、個人や団体の発言には日本人より注意を払っているように感じることが多い(注:ブラックジョークは除く)。
教養のあるフランス人たちは人種差別など、話題がセンセーショナルな方向へ行くと、たくさんのクッション言葉を使う。「私が知らないだけかもしれないけど」、「批判しているわけではなくて興味があるから知りたいんだけど」、「フランスもダメなところはいっぱいあるけど…」のような具合だ。
このような配慮は多様な価値観を認める国際社会では、なくてはならないものだ。言葉の配慮は、異文化が互いに気持ちよく生活していくための知恵だと言える。そして、これを幼いころから親にしつけられた人が、大人になって島国ニッポンにやって来ると、そのギャップに驚く。
これまで普通だと思っていた外国人への配慮が自分にはなされず、日本人の無邪気で悪意のない差別発言にショックを受ける…。これが、今回の南海電鉄の車掌さんの発言を聞いた、外国人の気持ちではないだろうか。
しかし、だからと言って、「日本人みんなが欧米の感覚になれ」とは筆者は思わない。こうやって外国人が日本で「ドキッとするような発言」をされることも異文化体験ではあるし、海外在住者の立場から言えば、発言者に差別の意図がないのなら流してあげるというおおらかさが絶対に必要だと思うからだ。
筆者もフランスでこれまで、「これって差別?」と思うようなイラッとする発言をされたことが何度かある。
- 「中国人ですか?」と聞かれ、「日本人です」と答えたら、「似たようなもんじゃん!」と言われた。
- 歩いていると、大きな声で「二―ハオ!」と挨拶された。
- 「中国にもフォマージュ(チーズ)ってあるの?」と聞かれた。 …などなど
こういう発言をする人を観察してみると、悪気がなく、本当に日本と中国の違いがよくわかっていない場合が多い。知らないのだからしょうがないし、悪意がない人に腹を立てても、エネルギーの無駄でしかない。
ただ、心の中で、「この人は教養がないんだな…」と、残念に思う。あまり外国人と接したことがなく、自分と趣味嗜好が似た人ばかりと付き合ってきたんだろうな…と邪推して、かわいそうだなぁとすら思ってしまう。
別に誰しもが外国人とつきあわなければいけないというわけではないが、「外国人」の立場に立ってみると、このような素っ頓狂な発言をされるたびに、急速に相手と「仲良くなりたい」という気持ちが薄れていってしまうのは否めない。
2020年に東京オリンピックを控え、観光立国を目指している日本なのだから、国民がこれまでのように「日本人」と、「日本人じゃない人」を区別していていては、もうダメな時代になってきているのではないだろうか。外国人が生活のなかにいることを想定し、区別をするのではなく「同じ人間」として接する道徳心を学んでいくべきだと思う。
でなければ、せっかく日本に来る外国人が増えても、「日本人は国際感覚に欠けた教養のない人種」だと世界に誤解を与えてしまうことになりかねない。
フジテレビのホンマでっかを見て差別と思う理由がわかりません。DNAテストが今後進めば、ピュアーな人種等はほぼ存在しないのが実証されるでしょう。まあ何年先までサカ戻るかにもよりますが、。。。
中国人ですかと聞かれて気を悪くする日本人は多い様ですが、フランス人ですかと聞かれて気を良くする日本人も多い。外国旅行をすると、日本人も中国人も韓国人、フイリピン人もアジア人で、我々がジャマイカ人と、バハマ人の区別があまりつかない様に、悪気なく質問する場合が多いでしょう。ただし、何事もエチケット、程度の問題で、あまり確かで無い場合 ”あなたは中国人ですか” よりも” 貴方は何処のご出身ですか?” の方が面倒臭い誤解を招かないと思いますが、。。。 色々な日本の国際レベルでの差別に対する認識を向上することは、早急に必要だと私も思います。”外国人お断りのレストラン、バー” ”顔の黒塗り” 等は日本人として悪気があるとか無いの問題ではなく、東京オリンピックに向けても早急に日本の認識レベルを上げなければならないと思います。
そもそも何をもって差別とするか極めて主観的なものです。歴史的、文化的背景も違えば、時代のよって価値観が変われば、差別の定義も変わります。チビ黒サンボという本は、黒人に対する差別か?と黒人に問いかけてきても、黒人でも意見が分かれています。少し前まで同性愛者は犯罪者や変質者として扱われ、刑務所や精神病院にぶち込まれましたが、今では同性愛者を犯罪者、変質者扱いをしたら、そうした当人が差別主義者として社会的に抹殺されかねません(むしろこちらの方が恐ろしい事といえます。)。このように「差別」の定義自体曖昧であることを無視して、何かといえば、「差別」という言葉で相手を黙らせたり、非難を浴びせることは建設的な議論を封殺することになります。ある黒人が「チビ黒サンボは、黒人に対する差別だと思うけど、絶版には反対。むしろ出版して大いに議論すればいい」と述べていましたが同感です。「なぜそれが差別になるのか?」という議論もできない状態で、誰もが差別主義者と呼ばれ、訴えられることを恐れ、何も言えなくなっている事こそ不健全だと思いますね。
>ただ、心の中で、「この人は教養がないんだな…」と、残念に思う。あまり外国人と接したことがなく、自分と趣味嗜好が似た人ばかりと付き合ってきたんだろうな…と邪推して、かわいそうだなぁとすら思ってしまう。
世界にある多くの国の多種多様な民族や文化を全て区別した上で理解している人なんていますかね?興味がなければ、アフリカの国々もヨーロッパの国々も皆同じように見えますよ。フランス人が中国と日本の区別ができなくても、教養がないというより単に興味がないだけだから、同情するほどのことでもありません。人間が一生の内に覚えられことなど、それほどおおくありませんから。
>「日本人」と、「日本人じゃない人」を区別していていては、もうダメな時代になってきているのではないだろうか。外国人が生活のなかにいることを想定し、区別をするのではなく「同じ人間」として接する道徳心を学んでいくべきだと思う。
逆ですね。日本人と外国人との良好な関係を築くためにも、外国人は外国人として扱い、日本人とは別の人達だと徹底的に区別する必要があります。日本に来る外国人は「同じ人間」でなく、文化も思考回路も価値観も道徳観念も日本人とは異なる人達だという前提を持たなかった結果、不良外国人が跋扈する日本の現状を作り揚げてしまったのです。
そもそも日本人と外国人を区別しているのは、実は日本に入ってくる外国人達の方です。
日本は日本人の国であり、日本人が主体であるのにも関わらず、自分達の価値観を絶対基準とし、日本人に押し付けようとする無教養で国際感覚の欠如した外国人達が日本という国の土台そのものを破壊する可能性を秘めていると思いますね。
国際化だ、グローバル化だの言ったところで、人間は所属する人種、民族、宗教、宗派の影響から逃れられず、帰属する国を基準に動いていることは不変である以上、「外国人は外国人」として扱い、「日本では日本人が主である」原則を崩さなければ、結局日本という国は食い物にされるだけでしょう。
あなたのような考えの人は世界中にたくさんいます。移民の多いフランスでもいます。否定もしません。
ただ、なんだかね…。読んでいて悲しくなりました。
貴方の、”ある黒人が「チビ黒サンボは、黒人に対する差別だと思うけど、絶版には反対。むしろ出版して大いに議論すればいい」と述べていましたが同感です”。とありますが、私はNY在住45年ですが、ほぼ95%ぐらいの黒人は、ちびくろサンボの本等子供にも見せたくないようです。白人もその他人種もほとんど(白人の偏った右翼や、KKK以外)出版に賛成などしていません。もともと、子供たちに偏見を持たせる目的の本であり、日本でよく聞く、悪気がある無しの問題ではありません。Ykkty さんの仰る通り、人の心、気持ちを無視して、郷にいれば郷に従えは、鎖国デモしない限り、矛盾します。オリンピックは歓迎、日本の車や商品は買ってくれ、しかし日本に来たり住む場合は差別と思っても我慢しなさいとおっしゃっているようですが、同意できません。外国の歴史などをすべて理解するとかの問題ではなく、きもちの問題だと思います。目と目が合って、敵対心がある視線と、友好的な視線があるように、私は友好的な視線を望みます。
郷に入れば郷に従えの意味が分かってないですね。
数年住んだ外国人の方が「電車で隣に座ると席を変えられて最初は差別だと思ったけど長く住んでみるとそうではないとわかった」っていう人もいるみたいに、勘違いで差別だと思って傷ついてることってありますよね。
郷に入れば郷に従えの意味とは、全く知らない土地に来たんだからそこのルールをまず把握しないとその土地の人に嫌われても仕方ないし、知らないくせに差別だと叫ぶ資格なんてないってことですよ。
このアナウンスもさ、なぜ外国人がルール無視して日本人に迷惑かけていることを棚に上げて差別だなんて言えるの?迷惑かけて無いのに外国人が不当に非難されたなら差別でしょうがギリ区別ですよ。
もちろん言い方はもう少し考えるべきですが。
来てやってるという傲慢な意識だから、知らない国に全く知らない状態で来て、勝手に勘違いして傷ついてんですよ。
もちろん日本もそういう戦略ですから配慮はしていくと思いますが海外の暴君たちには正直疲れますよ。
日本は巨大なテーマパークじゃないんですよ。そこに生きている人の生活を無視してもてなされるのが当たり前でしょうか。
紛争中の国に行くなら当然危険地域とか死なないための準備をしていくでしょう?
たとえ安全な日本だとしても、嫌な思いをしないための準備くらいすべきです。
日本の観光計画を持ち出して自分たちの責務を放棄しないでください。日本は精一杯努力してます。
あなた達は世論という無責任な力を行使して自分の利益を追求するのみです。
「仲良くなりたいならもっと配慮しろや」みたいに足元見てますね。
別に仲良くなって観光で稼ごうってわけじゃないんですよ。日本製品の実力をしってもらって貿易したいだけです。他国への支援、中韓のプロパガンダ払拭、東京オリンピックでの日本認知推進、その戦略の一つでしかないんですよ。外国人観光客の増加なんてのは。
性格悪すぎですね、僕は(苦笑)
私はあなたの発言の主旨に同感できますね。
人はいくら高級品だからと言われて無理矢理にブランドスーツを着させられてもサイズが合わないが為に着心地が悪かったり、自分にとっては趣味で無かったりと不都合な事はいくらでもある訳です。店員に良くお似合いですよと勧められてもダメな物はダメと言える日本人でありたいものです。
此処の主催者は「日本人は国際感覚に欠けた教養のない人種」等と虚構の国際感覚(そんなものある訳ない)等とあたかも人類普遍の至上の価値が文化人類学上あるかの如くに話されていますが、仏教で説くところの三世間の説のように人は生まれ育った場所環境、風土、習慣、に因って絶対的に逃れようがない価値観を持った生き物なのです。
「同じ人間」として接する道徳心を我々日本人は欠如しているのかといえば、全くもってNOです。
この100年に於ける日本人の進化は「郷に入っては郷に従え」で学習して来た故ではないですか。最低の公共心を身に着けて来日してない方々が其れなりの差別区別をされても便宜上当然ではないでしょうか。もっと本質的な問いをするなら、同じ人間など一人として地球上には存在して居ませんので。
日本人は国際感覚に欠けた教養のない人種、、、
世界に広がった今回のニュースを見ると、そう思われても仕方がないですね。
ネット上で国民が擁護してるので、更に追い討ちをかけてしまったように思います。
私の妻は、日本に住むフランス人ですが
日々、日本人の悪意のない差別に苦しんでいます。
悪意はなくとも、受け取った方は深く傷つきます。
今回の車掌さんは、悪意はないと信じたいですし
しっかりと反省して頂きたいです。
日本人は、肌や髪の色や民族ではなく、人の心を大切にしている民族だと思われるようになっていってほしいですね。
東京オリンピックは、日本の良さをアピールする絶好の機会です。
今回のような恥ずかしい思いをいないよう日頃から
自分自身が日本を代表しているんだ!
くらいの気持ちを持って生きていこうと思います。
私もフランスに住んで数年になる日本人女性です。リリーさんのおっしゃる「これって差別?」ととれるようなフランス人の発言は今までに何度もされてきました。(リリーさんの文中にあるように主に中国絡みです。)
アジア人みんながそうなのか、日本人が特別そうなのか分かりませんが、私たち日本人は中国人に間違われることをとても嫌がりますよね。
最初のころはこれらの発言に対して落ち込んだり腹を立てていましたが、最近は私もリリーさん同様、日本と中国の違いが分からないフランス人に会うと「この人は教養がないんだなぁ、かわいそうだなぁ」とリリーさんと全く同じことを心の中で呟いていました。
海外にいてもこんなにも日本の情報が入ってくる昨今、(特にフランスは日本の最新テクノロジーや日本の文化を紹介する番組が少なくない印象です。) やはりフランスという先進国に住みながら日本と他のアジア諸国の違いが全く分からないのは、少々恥ずかしい気がします。
しかしそれと同時に自分に対して思うことですが、「教養がない、かわいそう。」と、相手を見下すことによって自分が傷つかないように自分自身を守っているのかなとも思います。
それと、私も日本人の中には国際感覚に欠けた人が多いと感じています。でもそれって仕方がないことですよね。
日本は昔から島国で、ヨーロッパのように移民を受け入れた歴史もありません。でもだからこそ今の日本があるとも思います。安全で、清潔な日本。親切で礼儀正しい日本人。今までに外国人を多く受け入れた背景があったら、今のこのような日本は無かったと思います。人口の99%が日本人という国に欧米同様の国際感覚を求めるのは少々難しい気がします。
とはいえ日本が完璧だとも思いません、改善すべきは多方面でいくつも挙げられますが・・・。
今回初めてコメントさせていただきましたが、いつも興味深く読ませていただいています^^
>相手を見下すことによって自分が傷つかないように自分自身を守っているのかなとも思います。
ぐさっ!ずばりその通りだと思います。バレちゃいましたね(笑)。
日本人、外国人と分けて考えるのは人情的には悲しいですね。日本人から見ると外国人は違いがたくさんあり理解できないことも多いですが、それでも心の中では同じ人間同士だ、通じ合える部分もあるはずだって思いたいですね。
あと、自分もフィリピン人とインドネシア人を多分見分けられないなぁと思い、反省しました。
マダム・リリーは中国人と間違われるとイラッとするのですね (あれ、それって中国人差別では?)。
でも黄色人種の見分けが付かないのは、欧米人なら、自然な反応といえましょう。
中国人はうるさくマナーが悪いから、間違われるのは心外なのだ、と仰るかもしれませんね。
でも90年代には日本人がパリで、今の中国人と同じ扱いを受けていたのですよ。大人しい日本人が、です。
パリっ子は、パリが外国人でいっぱいになるのが嫌なんでしょう、それが誰であっても。
僕は日本人に国際感覚がないとは思いません。むしろ欧米人の「グローバル」感覚のほうが余程怪しいです。
普通の欧米人は文化の違いに対して、必ず自らを上にして物を判断する癖があります。
日本人にはそれがない。むしろ違いに興味深々、好奇心いっぱいです。
それが不幸にして相手には失礼であっても、侮辱するつもりなど毛頭ありません。改めるべきではありますが。
ちびくろサンボだって我々は本当に「可愛らしい」と思っているのです。偏見を持たせるために書かれたなんて嘘です。
ですからこの素敵な絵本が「差別・侮蔑」と取られることを心から悲しんでおります。
でも、黒人の方々が不快なら、止めるしかないでしょうね。
このように、日本人は差別意識がないために、かえって差別的と見られる振る舞いをしてしまう傾向があります。
「純粋な日本人」発言もそうですが、日本人にとっては単にDNA、生物学上のルーツの話に過ぎません。血液型性格診断や、沖縄と秋田の人は彫りが深い、という話と一緒です。貴方のご夫君の中におそらく「純粋な日本人は素晴らしい、と日本人は思っている」という思い込みがあるように思いますが、当の日本人に全くそんな気はありません。もしあったら、とてもTVでは流せないでしょう。
「純粋な□□人は素晴らしい」と思っているのは実は貴方のご夫君のほうです。純潔主義、血統優先主義をお持ちなのは、あなた方フランス人ですよ。だからフランスでは流せない、ということです。
サッカーカメルーン代表を受け入れた中津江村では、いまでも交流が続いているそうです。村のおじいさん、おばあさんとカメルーン選手達が本当に仲良く幸せそうに写真に写っている様は、始めて見る肌の色が違う人々を、日本人がどれほど暖かく迎えたかを象徴しています。
日本人は日本人と外国人をきっかり分けます。だから外国人がマナー違反や誤りを犯しても、おおらかに許します。日本式「お客様」扱いは、当の外国人に好評です。もし境界をなくしたら、衝突しか起きませんよ。むしろ衝突の多い諸外国で取り入れてほしいと僕は思います。
長くなりましたが、最後にひとつ。この電車の社内の有様を写真で見ました。本当に外国人旅行者だらけで大変な有様でした。彼らが持つ大量の大きなスーツケースが通勤電車の通路をふさぎ、躓いたりして危険だった模様です。日本人乗客が声をあげたのも無理からぬことです。車掌さんの言葉だけ抜き出すと問題に聞こえますが、状況から差別的発言でなかったことは明らかでした。車掌さんの名誉の為に、その点はご理解いただけると嬉しく思います。
>マダム・リリーは中国人と間違われるとイラッとするのですね (あれ、それって中国人差別では?)。
いやいや、日本ではない国の人だと邪推されることが嫌なんです。
>「純粋な□□人は素晴らしい」と思っているのは実は貴方のご夫君のほうです。純潔主義、血統優先主義をお持ちなのは、あなた方フランス人ですよ。だからフランスでは流せない、ということです。
全然論点が違います。
>邪推
隠しても言葉は真実を語っています。貴方は中国人が嫌いです。
>全然論点が違います。
そうでしょうか。貴方ご自身が書いていらっしゃいますよ。
「欧米人は日本人ほど、目の大きさにこだわりがないのだ。
だから、こんなにも無邪気に他人の目の大きさを 指摘できるのである。」
日本人が無邪気に「純血」などといえるのは、「血」にこだわりがないからだ。
それを差別的と感じる人は、「純血」にこだわりがあるのです。
私にはフランス人の古い友がいました。もう会うことは叶いませんが、彼はよく言っていました。
「日本人は自国の文化に誇りを持っていない。どんなにフランスに好意的でも、そういう人を僕は好きになれない」。彼は日本人以上に日本の文化、哲学、日本の精神を愛しました。海外にお住まいで両方の文化を良くご存知の貴方のような方が日本の若い人々に新しい視点をもたらしてくれるかと期待して読んだのですが、残念です。近ごろ欧州に渡った若い方々は、欧州人になったつもりで偏狭な日本人を見下す、ダブルスタンダードで卑屈な人ばかりで誠にお気の毒です。彼が今ここに居たなら、そう言ったでしょう。
どうしてそこまで決めつけたような言い方ができるのでしょうか?相手の気持ちを考えて発言していますか?
信じてはもらえないのでしょうが、私は日本の文化を誇りに思ってますし、中国人の友人も多く、嫌いではないです。
外国人に自慢したい!「日本のいいところ」を3つ考えてみた
それに、目の大きさと「血」を同じ天秤にかけて論じるのは、さすがに無理があると思います。
純血という発想自体が差別的だと思うし、そもそも本当に先祖代々むかーしに戻れば、日本人も中国人もみんな同じ”血筋”ではないですか。
日本人のルーツとされる縄文人は、日本列島にすでにいた人ではなく、列島外から移住してきた人でもあります。
そう考えれば、この純血思想がいかに馬鹿らしいか…。彼が言いたかったことはそういうことです。
何をもって「混ざっていない血」だと言えるのでしょうか。どこの時代から切り取っているのでしょうか?
自分に都合のいい時代だけを切り取って、種にわける…。これに何の意味があるのでしょう?
イサクさん、我々がどう思おうが、当人の大多数が、チビクロサンボは、止めてくれと言っています。大体日本語の呼び名自体差別です。最近桜ツアーに行ってNYに帰ってきた友人が、”クロンボ”って何ですかと聞かれた時、困りました。何度か聞こえたそうです。又、人の髪の毛に触ったり、自分がその立場になった時、イサクさん黒い髪の毛ですねと言って触られるとあまり良い気がしないのでは。。。。そして、止めろと言われても、悪気がなく綺麗と思ったから触るのです、という理屈と似ていますね。
又、中国人その他旅行客は、お互いにもっと理解できる様システムも改善必要ですね。私も最近NYから日本に家族で旅行し、荷物を持って電車に乗るのは非常に疲れるし、特に満員電車は避けましたが、大変でした。帰りは宅配で飛行場まで配達頼みましたが、解らない旅行者は受ける側も、来る方も疲れますが、お互いに改善必要ですね。それも友好的に。
件のテレビの「ピュアジャパニーズはほとんどいない」はむしろ日本純血思想の否定であると解釈するのが自然です。つまり、日本人はもともと混血であり、ピュアジャパニーズは幻。そんな、ほとんどいないような純日本人性にこだわることが、いかに馬鹿らしいかという趣旨ではないでしょうか。
この発言にショックを受けられては池田先生とやらも立つ瀬がないでしょう。
イサクさんに全面的に同意です。文章に説得力があるし知的な方なのだろうと推測します。
フランス白人ではないが、ナチス時代のヒトラー・ユーゲントに接した当時の外務省の真鍋という方が考察した文章を見つけたのでコピペしておきます。以下、
「彼ら(ドイツ人)は日本の養子制度・見合結婚が理解できないという。ドイツ人は良い血と良い血の結合からドイツ精神・道徳が生まれると信じているが、日本人は良い精神と良い精神の結合から良い血が生まれると信じている。国家を強力にするのは血ではなく道徳と国民精神である」
ブログ「ヘブライの館2」より抜粋
ドイツとフランス、戦前と現代の違いがあるので現代にそのまま当てはまるかどうかは分からないが、白人至上主義が今なお強固に存在することは確かな事実であり、それを考慮すると何かしらのヒントがあると思い掲載してみました。
南海電鉄の車掌アナウンスの件は、人種差別だとは思いませんが、日本人に向けてアナウンスをしても意味がないと思っています。
そうではなく「外国人乗客に向けて」「英語で」「静かにするよう」アナウンスすればいいだけの話です。
(騒がしかったのか、別の問題だったのかは分かりませんが)
(英語が通じない場合は、ボディランゲージで注意するとか?)
電車内の自動アナウンスで社内マナーについて数か国語で常時流すのもいいかもしれませんね。
この件に限らず、街中に迷惑な観光客がいた場合は、本人に直接注意をすればよいのです。
その通りです!
この問題は、スーツケースを持った外国人が大勢で、電車に乗り込んで来た事が問題だと思います。
外国人に限らず、修学旅行の生徒が大勢で電車に乗り込む時も、同等のアナウンスをしているそうです。
話しは変わりますが、私が日頃イライラするのは、建物の出入り口やATMの前などで団体で立ち話している外国人や、レジの順番を割り込む外国人に直接注意しても、その瞬間だけ止めてすぐに同じ事を繰り返す人が多い事です。はっきり言って疲れます。外国人の友人に相談したら、こういう人たちは、注意される事が無く、邪魔なら、押し退けたり、押し除けられたりが普通なので、言っても無駄だと言われました。私はこんな日常生活に変化する事がとても嫌で仕方ありません。
観光立候補を目指すとか東京オリンピックとか、普通の日本人は意識してないと思います。
だから、こうしなければならないという意識も薄いのです。
私は仕事で日本の高校生(主に進学校)のアンケートを集計したことがありますが、これから未来の日本を担って行く若者の意識は、外に向いていません。大半の高校生は海外にも外国人にも興味が無いのです。その理由で多かったものは「外国人や海外は怖い」というものです。
いくら政府がグローバル化を打ち出そうとも、大勢の外国人旅行者が日本に来ようとも、東京オリンピックが開催されるとしても、当の日本人は外側に興味や関心が無いのです。
そして、いくら観光地に外国人旅行者が溢れようとも、それをありがたいと思う、直接恩恵を受けている日本人はごく少数なのです。
海外からは日本のガラパゴス化を指摘される事は多々ありますが、当の日本人はガラパゴス化でいいと思っている節があります。
でも最近、私はもう日本はそれでいいんじゃないかと思ってしまう事もあります。日本は何故、何の為にグローバル化しなければならないのか、答えが見つかりません。
また、フランスの皆様は外側からご覧になっているからわからないと思うのですが、今の日本の状況で、普通に普通の生活をしている日本人は、外国人の旅行者に対して、遠くから来たお客さんだからと遠慮していますが、日本のルールを知らない旅行者が大勢、毎日やって来て日常生活にストレスをかなり溜めていると思います。通勤の妨げをされたり、休日の観光で嫌な思いをしたり、日常の買い物の邪魔をされたりと、勿論悪い事ばかりでは無いのですが、今回の事件も関連してますが、それは鉄道会社の対応が不味かったからだとは思います。
でも私は、この普通の日本人のストレスがいつか悪意の無い差別から本当の差別になるのではないかと危惧しています。
教養のある外国人旅行者は、日本人の普通の生活の妨げになるような行為をここではされないと思いたいです。
そして、嫌な事があったとしても、だからといって差別はいけないのですが。最近Twitterなどで、迷惑な外国人の話題が増えています。
勿論、私には日本在住の外国人の友人も沢山いますし、日本人や地域から愛されている外国人も沢山いますよ。
差別とは、その人が差別だと思えば差別になるのでしょうけれど、差別と思わなければ差別ではありません。
因みに私は海外で、ニーハオと声をかけられた事なんて何十回もあります。それを差別とは思わないし、もしも差別と思うなら、それは中国人に対して失礼だと思いませをか? 次はどんな声をかけられるのかな?とか楽しみですし、立ち止まった所で中国人ですかと言われたら、マレーシア人ですと嘘をついてみたりして楽しんでますよ。
海外には、観光地などで明確に外国人とドメスティックの料金が違う表示の所もありますけど、差別と思った事はありません。そこのルールだと思って従います。従いたくなければ行きません。
ただ、日本だけ、差別的でおかしいと思われるのは心外です。海外では、普通に「そこの外国人」と声をかけられる事もあります。海外では私は外国人ですから、外国人と呼ばれても痛くも痒くもありません。人種の事なんて、日本人よりも明らさまに悪意なく話す国だってありますよ。自分の常識外の事を体験するのが海外だと思うのですが。
泣いても笑っても、日本には多くの外国人旅行者が増え、オリンピックも開催されます。
この事で、内向きな若者たちが、外を向くようになってくれればいいのですが、更に外国人が怖いとならない事を願います。
同意です。
国民が外への興味を持っていないのは日本政府の策略かも知れませんよ。現状の日本を知ってしまえば、韓国のように海外に平気で喧嘩売るようになってしまいますから。それでは外交に支障をきたします。
この広い地球で内向きになってはいずれ黒船の再来が訪れるでしょう。難しいことですが、一つ一つの国といい関係を結ばなければいけないです。
差別というのは認識しようがしまいが存在するものではあります。
タワーの隣さんは気にするか気にしないかの問題と思っていらっしゃるようですが、それこそ、なんでも我慢すればいいの?ってことになります。
差別とは、中国人?と声をかけられることではなく、中国人と決めつけられて日本人として得られた利益を損なうことにあります。(日本人なら友好的に迎えるという事例は実体験はないにせよ聞こえてきます。中国人旅行客の素行を見れば中国人と思われることが嫌というのは失礼ではありません。)そんな小さな利益は無視せよということでしょうが。:
この議題は、日本が無意識で行う差別を放っておけるのかという話です。僕の結論は、「海外は自らの差別意識に囚われず日本の無差別意識に1度迎合すべき」ですがあくまでも、日本にも小さな差別意識は残っています。
当たり前となっている日本の倫理観ですが、純粋だけに、ひとつ間違えば簡単に差別をしてしまえる危うさが残っていると思います。
平和な日本に慢心せず、平和でない世界と隔離せず、それが日本の歩むべき道です。
肝心の日本の若者が世界に関心を持っていないというのは、日本が鎖国すべきだからでも、愚かだからでもありません。今関心を持てば世界中に敵意を持ってしまうから抑制されているんだと思います。
日本はいずれ、世界に認められ戸惑いながら進出を余儀なくされるでしょう。その時でいいんです、興味を持つのは。
なにせ日本人は愚かではありません。無宗教で人の心を慮る文化は無敵です。教育や発想力も負けてはいません。
何度も発言してごめんなさい。
もう一つ思うことがあります。
最近沖縄で、警察官が土人という差別発言をしました。
その土人という言葉で私が真っ先に思い出したのは、戦時中に日本がアジアを征服し、インドネシアをオランダから奪還した時に、日本政府はインドネシアに日本の教師を派遣して現地に学校を作るのですが、その時の教師の手記を読んだ時に、この土人たちに〜という言葉が出てきた事を思い出しました。
政府の策略は無いと思います。
何故なら政府は、学生や日本のグローバル化にかなり税金を費やしました。
最も民進党時代の仕分けで、かなり廃止されていますが。
政府の策略はないですよね。まぁ日本が今どんな立ち位置にいるかより、今日のワンコを放送しようという不思議な国民性の賜物ですかね。
若者のグローバル化に尽力しているとは、英語教育、留学制度をはじめとする何か政策があったんでしょうか、知りませんでした。
税金を無駄にしても若者の”世界への無関心”は止められないなら、外国人旅行客への配慮などやめて、それでも来たいやつだけこさせればいいというお考えでしょうか。
グローバル化の利益がわからないとのことでしたが、例えば日本が今全ての貿易を停止すればいくつもの企業が潰れ、第一次生産者にみんなが身をやつし今のように便利な最先端科学の恩恵を受けるのは難しいのではないでしょうか。
現状でも幸せなはずなのにまだ不満を持つ方がゴマンといるようですが確かに、貿易が可能になればまだまだ幸せになれるということです。
ある商人は5000人の村人にしか売れない、またある商人は50000人の10の村と商売ができる。日本はまだ売れる商品が沢山あります。有田焼を知らない人が買いますか?いいものだと知るから買うんです。
差別発言を気を付けるのは分かりますが、言葉狩りが横行すると益々日本が息苦しくなりそう。。。。平家全盛期の禿みたいな人が絶対大量発生しますからねぇ。
私も在仏日本人です。中国人に間違われると嫌な氣分になったり、言った人が教養無いんだなあと思うのも同じで、そうそう、と思いました。
日本人が中国人に間違えられて嫌になるのは、私の場合、以下のような理由です。
例えば、中国人観光客はマナーの無さから嫌われているのを知っているので、同じに思われていたら嫌だなあと思います。中国人街を作って排他的に暮らしていたり、なんだか怪しげな中国人経営の日本食レストランを見ると、住んでいる国に敬意を払おうと思ったり、真面目に仕事をしている内外の日本人の努力を無視されているような気がして、なんだか嫌な氣分になります。国を挙げての反日教育もあり日本人を嫌っていたり、日本や外国で犯罪を犯したり、アフリカを食い物にして嫌われていたり、チベットなどで虐殺したり、周辺諸国の土地を奪おうとしたりと、メンタリティ・考え方が全く違う中国人と同じにされてしまうのは嫌だ、と思ってしまいます。
だから私の場合は、言った相手を見下して自分が傷つかないようにするというのもあるなと思うけれど、もっと強いのは、好きになれない人と同一視されるのは気分が悪い、という感じなんだなあと思います。
もし中国人が、日本人にとって尊敬できるとか、仲の良いアジア人同士と思える民族だったら、間違えられても嫌な氣分にはならないと思います。例えば日本人が外国でブータン人に間違われても、多くの日本人はそんなに悪い気はしないと思う。それは多分、親日国家だと言うことも知っているし、親しみを感じられる国だから。嫌な氣分になるかどうかは、好きか嫌いか、その国との関係などの「人間関係」なんだなあと、「ニーハオ」を言われる度に思います。
それと、わざわざ道端で「ニーハオ」といきなり言ってくるフランス人は、からかう気持ち(心の奥底では差別的な?)がありそうなのを、表情や声の調子で感じさせられるからです。いきなり「こんにちは」と声をかけてきたフランス人もそんな表情と声の調子だったので、知らない振りをしていたら、日本語のものすごく卑猥な単語を連発してきました。本当に日本人、あるいは中国人に知り合いたい、興味があって話したい人が声をかけてくるときは、いきなり「ニーハオ」や「こんにちは」じゃなく、とても丁寧に話しかけてくる事も知っているから、余計嫌になるんですよね。
差別的に感じるとか、嫌になるのは、もちろん自分の中の知識や感情や経験からの蓄積からの反応などもあるんでしょうけれど、「ニーハオ」といきなりふざけて声をかけてくる人に対し、かける相手に対する敬意も尊重もマナーも感じられないから、だと思います。本当に日本と中国の違いが分かっていない人でも、ちゃんとした人は、マダムの言うように、外国人への配慮に気をつけるし、道端でいきなりニヤニヤしながら、あるいは無表情で「ニーハオ」とは言わないと思う。だからそれをしてくるフランス人を残念に思ったり、仲良く出来ないと感じるのだと思います。逆に、本当に中国に純粋に興味があって、中国人と親交を持ちたくて言う「ニーハオ」だったら、間違えられても多分嫌な気はしないだろうなとも。
これは人種や国籍や文化の違いやなんかへの無知からくる無意識の人種差別の話のようで、本当はそれぞれの人の「人間性」の話なのだと思います。
日本の車掌さんの話、私も差別とは思わないです。日本に帰国しているときに、実際に嫌だなあと思うマナーの外国人を結構見ているからかもしれません。この車掌さんは外国人への配慮に欠けていたのではなく、多くの日本人への配慮を優先したのではという気がします。外国人が絡むとすぐ差別問題みたいになってしまうのも、ちょっと問題だなあという気がしています。
そして今、自分の周りのフランス人がこぞって日本旅行をしたいと計画しているのを見ると、ちょっと怖くなります。「おもてなし」を意識してつい親切や譲歩やサービスしてしまう日本人が、だんだん疲弊していくのでは・・・と。車掌さん擁護の人達は、外国人へ「おもてなし」精神で疲れた人、在外日本人が自分の家に人を泊めたときのように日常生活が氣を使うものになって疲れてきた人、という気がしています。日本人は元々人種差別が普通だった時代に人種差別撤廃案を出せるくらい、国は違っても同じ人間(なのに外国人へは日本人に対する以上のおもてなしや譲歩をついしてしまう)、そして相手も日本人と同じように考えているだろうと思いこんでしまう民族だと思うので、日本なりのルールをちゃんと作って伝えて、外からきた人に守ってもらうようにした方が良いのではと思ったりします。差別とか区別ではなく、相手が相手の常識で知らずに線を越えて踏み込えて険悪になってしまう前に、お互い気持ちよく過ごせるように。
昔からの日本外交のように、日本人の常識(「普通は」こうするでしょ?こう思うでしょ?みたいな)を世界に当てはめて、日本人が耐えられなくなるまで我慢しないように、「郷に入れば郷に従え」を守ってもらうようにするくらいのつもりでいれば、丁度良いのではと言う気がしています。(私もマダムを悲しませることを書いているかも・・・)人間としては同じだけど、考え方や性格や相性なんかがあるのは、人間関係として普通にある事だし、うまくやっていくために自分の性格に合った人との付き合い方の線引きというかルールは、差別ではなく、円滑な人間関係送る為の基本じゃないかと思うんです。同じ日本人同士でも人間関係は難しいんだから、外国人だったらもっと難しいと思っていて丁度良いのではないかと。国際結婚の夫婦が円滑な関係を続けるには、というコツの方がもしかしたら実は役立つのではと思ったりしています。
「ちびくろさんぼ」、過去にサヨクの人達が差別的とレッテルを貼って問題視されましたが、今もなんですか。私は小さいときに絵本を持っていて、このお話大好きでした。ちびくろさんぼが身につけている服などの鮮やかな色の組み合わせにハッとしたり、トラがバターになっちゃったり(おかげで取られた服を取り戻せたり)、お父さんやお母さんよりちびくろさんぼがいっぱいパンケーキを食べたりなんて、もうワクワクしました。なんでこの話が差別になるのか未だによく分かりません。(この辺が自覚のない人種差別?)大人になって気が付いたのは、この話はトラが出てくるので、どうやらトラのいないアフリカが舞台ではない、ちびくろさんぼはアフリカの黒人ではなく、どうやら東南アジアあたりの人なのかもしれないということ。このお話を書いた人の時代はまだ、戦時中までの東南アジアやインドやポリネシアなどへの人達との同じアジア人としての同胞意識みたいなものや親しみなどの良い思い出が残っていたのだろうなとかも思いました。ちびくろというのがいけないんでしょうか?ちびくろさんぼ、という語感もリズムがよくて可愛くて好きだったんだけど・・・。
マダムのご主人、日本のテレビ番組を見てショック受けられたんですね。私の主人も日本語が上達したらそう思うようになるのかもですね。植民地でのえげつない歴史やナチのユダヤ人政策なんかで、戦後の欧米は「人種差別恐怖アレルギー」なんじゃないかと思う私ですが・・・。すっかり移民国家になって、移民問題(移民がなんだか優遇されてるみたいに思える)で大変だなあと思うフランスを見ていると、元々の先祖代々フランス人という人達が「少数民族」になっていくのがなんとなく可哀想に思えてくるのは、めちゃめちゃ日本人的な感覚なんでしょうね・・・。
時々読ませてもらっていますが、この記事には日頃思っていることをつい文章にしたく、思うままにコメント書かせてもらいました。長々と失礼しました。これからもマダムの記事楽しみにしています!いつもありがとうございます。
郷に入れば郷に従えは「日本人女性がその国の男性に嫁ぐ」以外無理だと思いますよ
皆なんだかんだ自分の文化を主張しますし男性なら尚更です
中国人は外国に住んでも国際結婚をしていない人が多いので、尚更異質に見えるのかと思います
日本人女性のように外国人男性に嫁ぎ彼らに溶け込むのか、中国人のように自分の人種や文化圏同士で生活するのか
私はそれは各々の個性だと思いますし、「溶け込まない」からといってそれにイライラする必要はあるでしょうか?
日本にいる外国人も全然溶け込んでるように見えませんよ
もっと寛大になりましょう、あなたも同じ外国人なのですから
車内の帰国中国人の荷物が多く通れなかったことが原因と思う。もし、乗客が白人であればクレームしなかったであろう。差別ではなく、スペースを開けるよう手振りも含めて言えば事は済んだはず。ところが何らかのトラブルを予測して、我々日本人は見て見ぬ振りするのが原因。
フランスでの差別発言は大陸でどこでもある話。聞き流すぐらいの余裕を持てば問題なし。又は、それがどうしたのかと聞き返せば相手は気ずくはずで逆にフランス人、多分ガキでしょうがプライドを崩してやるとよい。フランス語が堪能でなければ英語で圧倒すればよいし、捕まえて説教すれば完璧。チーズを言われたら、スイスとかイタリアのチーズがもっとうまいとか二、三のチーズの名前を知っているかなどと。移民が増えれば肌の色が違う異邦人を見下したいのが本音でしょう。
私が身近に感じた日本での人種差別の話をしましょう。
私は東南アジアからの留学生の女性と日本の焼き鳥屋に行った時、付近に座っていた日本人のおっさんが、その留学生に声をかけてきました。「かわいいね、どこの店にいるの?」と。
私はすぐ様、そのおっさんに言い返しました。この子は水商売ではなく留学生です!と。私は日本を代表するつもりで、おっさんに代わって彼女に謝りました。
指摘のある通り、30年前の日本人の海外でのモラルは酷いものだったと思います。そして今、日本人の素養が高いと言われてはいますが、30年前に滅茶滅茶だった日本人のお行儀が良くなったのかというと、彼らはそのまま年をとって健在です。
無礼な焼き鳥屋のおっさんもその年代の連中です。その人たちは今でも国内でモラル無い為に問題を起こしている世代の大多数です。
1970年代になって一般家庭でTVの普及が当たり前になると、アメリカの人種差別問題も多くの日本人の知る所となり、黒人=奴隷の子孫という風に捉えて、見下す連中(当時のお父さんお母さん、現在の爺さん婆さん)が現れました。その子供世代くらいまでが最も酷かったと思います。教養が無いのに地位だけ登って行った一部の日本人です。勿論全ての人ではありませんが。でも今私がサービス業の仕事をしていて最も鬼門なのがこの世代です。
その反面、外国人に最も緩いのもその世代です。優しくし過ぎて騙されたり、殺されたり、勿論上から目線過ぎて恨まれたりも。うまく友好している方々もいらっしゃいますが。
そして多分、お行儀の良い日本人の世代はもうすぐ終わると思います。あと10年くらい経ったら、随分日本のホルホルは無くなると思います。
チビクロサンボの話がありましたけど、私はいつまでもチビクロサンボに囚われていては、本当の人種差別は無くならないと思います。勇気を出して、傷付くとかじゃなくて、それがどうしたいいじゃないかと当事者が言わないと終わらないような気がします。
日本でも無くなってもおかしくない差別を蒸し返して終わらせない連中がいます。何のために? それは欧米でも同じカラクリのように思えてなりません。
それがどうしたいいじゃないかとか、軽く流せとか良く聞きますが、日本の差別の意識と
例えば生死に関わるアメリカ等の差別のレベルが違う様ですね. Racial profile で理由無く警察に
止められ, なにかの理由で撃ち殺されるケースなど, おそらく日本では先ず無い事も理解します .
チビクロサンボのオリジナルは確かにインドの話しですが, それをアメリカで1950年代ごろ
アメリカ風の差別的な本とし出版された事に問題があり、そのアメリカ風のイメージで描かれた
日本版を見てアメリカ人がおそらくビックリしたと思います. 顔の黒塗りも1960年代まで
白人が行い、沢山の犠牲者を公民権運動で出した後ようやく表面的には色んな差別が違法になった訳です.
多くの日本人は、日本は我々の国、嫌なら来るな的な事を言います. 又差別は周りが又は、本人が
騒ぐから無くならないとも日本では聞きます。無視して無くなる差別で有れば良いのですが
そのレベルの差別と外国人の体験にもとずく現実的な差別は大差があり、我われ日本人ももっと理解を深めれば
と期待します。せっかく一生に一度くらい日本に行きたいの念願で来る人が嫌な思いで帰国するのは
見るに見かねます。
日本人のおっさん、焼き鳥やでの話は嫌な事ですね. バブルの頃はNYも威勢の良い
恥ずかしい訳の分からない日本人が居ました。みな日本に帰った様ですが。
人によるけど、東南アジアSEXツアー等辞めて欲しいですね。偏見はいやですね。
マダムリリーはアナウンスの件の反応で「日本人は全く歩み寄る気は無いんだ」と感じて悲しくなったんですか?
だとしたら心配後無用ですよ。
そもそもルール破りがちな外国人が悪いからこれは差別かどうかといえばグレーかなってみんな感じただけです。
鉄道側も、またニュースにされても困るから次は言い方を変えると思いますよ。
日本はまだまだやらかすでしょうが学ばない国じゃありませんから。
ただ、ぜひ日本に来る外国人の方にも歩み寄ってはいただきたいですね。”日本で嫌な思いをしないために知っておきたいこと”みたいなヨウツベの動画見るだけでいいですから。
マダムリリー、申し訳ありません、もう一つ思いつきました。
ダメなものはダメと言える日本人でありたいと話された方に感化された話です。
ピュアなフランス人は少ないなんてとてもテレビでは放送できないとのことでしたが、フランスはあくまでフランス人のためのものでしょう。
反発されたって関係ないです。移民を受け入れる優しい国なのでしょう?恩を仇で返す奴らがダメなのです。
日本は弱腰外交なんて言われていますが堅実なだけです。中国のように経済力に物を言わせてゴリ押しでハリウッド目指して中国マンセーな映画作って世界に認められる文化になりえますか?
日本が日本製品こんないいものがあるよと言って簡単に受け入れられるでしょうか。
話を元に戻しますが、受け入れてしまったよそ者に気を使いすぎているフランスこそ弱腰外交なのです。
トランプ氏もドゥテルテ氏も弱腰でこそありませんが実力が伴っていません。日本のように、国民の為に恥を忍び苦労に耐えてこそ100年後のフランス人を幸せにできるんですよ。
今の時代、正義は必ず勝ちます。隠蔽は難しいですし、正義を理解する賢い人は無限の力を得られます。
僕はフランスこそ優しすぎる賢い隣人と心得ます。どうか力を合わせましょう。(ソースはソムリエという事実を見極める文化、浅っw)
日本人のちょっとした失言は許せないのに向こうの方々は平気で差別しますよね。差別、差別と騒ぐのは日頃から自分達も差別をしている証拠ですね。
私にとってはブラックジョークこそ差別に聞こえます。
私も海外留学(短期)中に「ニーハオ!」と言われましたがなにも気になりませんでした。
私が、「ニーハオ!but I’m Japanese!Ha ha ha」と言ったら相手も「Sorry,KONNICHIWA!」と言ってくれましたよ。
間違えられたら直してあげればいいだけです。
私は中国という国があまり好きではありませんがだからと言って中国人と思われても怒らず、また仕方ないと思っています。教養があったってそんなの区別できる外国人の方なんてそうそういません。
>>中国と一緒にされたくない
だいたい似てるところも結構あると思いますよ?コメ文化、家族を大事にするなど…渡来人文化が伝わってきたことは小学生でも知っていることです。
>>国際感覚に欠けた〜
今はそれでもいいじゃありませんか。子供なのであまり昔は知りませんが近代史の資料を見る限り上がっていると思います。
>>仲良くなる気が失せる
話しかけてくれるだけ嬉しいです。当時中2(英検準2ギリギリレベル)でしたが内気な私に話しかけてくれてすごく嬉しかったです。なぜ失せるのですか?
>>フォマージュ
日中どっちにもあるよ と英語で言えなかったのですか?
>>上記事件
車掌さんも一人の人間です。揚げ足をとって問題を大きくしないほうがいいかと思われます。
>>血
そもそもみんなアフリカ発祥と習いました。確かに日本人としての誇りはありますが別にだからと言って自分がピュアジャパニーズであろうとなかろうと今ジャパニーズですのでそれでいいです。何が差別なのか分かりません…。
教えてください…
ホンマでっかTVについて内容を見ていないため的外れかもしれないですが。大陸国家で国家間の移動が容易かったフランスと、中国の歴史書で年中荒海日本海には地獄の門が存在し、船を飲み込むと書かれ16世紀まで半ば孤立化してた日本とは感覚が違うような。中国から使者の船が七隻でて、一隻日本に着けば儲けもの状態が長かった日本にそんなに渡来人がいたのかの「エエー!?ドウヤッテキタノ?」では。外国の方って日本と大陸の距離感がイギリスと大陸と同じ位だと誤解してそう。一番大陸と近い北九州からでも距離も荒波もあるから泳いでもちゃちい船でも人力で渡るのはまず無理です。
人種差別、それを無くしてしまうことはとても難しい事だと思います。
何故なら、どれをもって、そのような発言、行為を人種差別と線引きするのか、人によって異なりますし、その国の人が生まれて育った、環境、宗教、文化が異なるのですから、それらを全て統一しない限り、このようなトラブルは起こります。
私はもう、10年前からグローバル化とはどのようなものか結論を出しています。グローバル化とは、土地や場所が完備するとのではなく、自分の母国では無い国を行き来する人が、人間がグローバル化という教養を身に付けるものであると。
それはつまり、日本語で短略すると郷に入れば郷に従う。そして、その為の教養を人は学ぶべき事である。言語も含めて。
この世の人種差別は無教養な人間が産みだし、教養の無い人間が訴えている事だと。グローバルスタンダード?そんなものの完全化は無意味だし、完成しないはずです。欧米人の理想の一種だと思います。
マダムリリーさん。私は、フランスではありませんが、他国でハーフの子供を産み育てている人や、他国で日本人の子供を産み育てているお母さんとの交流はありましたよ。彼女たちの訴えは、不便な状況を自国や他国へ訴えたい。中途半端な子供の状況をなんとかしたい。多分あなたとおなじです。この垣根さへ無ければと、もどかしく思うのでしょう。でもそれは、最低でも宗教の垣根が無くならない限りは無理な話で、宗教の垣根ぎ無くなった所でも簡単な話でもありません。それくらい、国と国との界といものは軽い物のではなく、その重さというものは、失われるべきでは無い重く長く深い歴史を刻んでいるものとの境目なのです。
それらを削ぎとれば、貴女の望む物が得られるかもしれません。しかし、おそらく代償として失う物の方が膨大な垣根だと思います。
まあ昔の私といえば、今のチューバさんに例えれば、カナダ人3みたいな感じだったと思いますが、最終的には、アイデンティティと自国の文化は、グローバル化から守らなければならないと言う所で落ち着きました。
私は理由の無い感情的な人種差別は反対です。けれども、アイデンティティや自国の文化や尊厳を守る為に行う言動は人種差別だと思わない事にしました。私は他国も知っているので限度は理解しています。
ビジターなのに、在住者と同等になんて無理です。私が他国へ行き、その国の人と同等になんてのも求めません。外国人前提で外国に行くのですから。それとも、日本に来る外国人は、自分が日本では外国人と思っていないのか?
電車の件が差別だというのなら、日本人が対象の外国人と同じように電車に乗っているのに、外国人だけ悪く言われたというなのらわかりますが、そうではありません。このアナウンスは、日本人の乗客の皆様、外国人の乗車でご不便おかけしますが、ご理解下さいという、客に日本人に我慢して下さいという謙りのアナウンスともとれます。
それの何が差別というのでしょう。そうです。個人の差別の線引き次第なのです。
他国で自分が外国人と思われる事が嫌な人は海外に出るべきでは無いと私は思うのですが。
ともあれ、日本では、日本人と外国人の区別はあるかもしれません。けれども、黒人と白人、キリスト教徒とイスラム教徒、中国人韓国人のような差別は、ほぼありません。差別と感じた外国人がいたとしても、悪意の無いものが殆どだと思います。それでもムカつくような人はもはや日本旅行でなくとも海外旅行をお勧めしません。
中国人と間違えられたくらいで差別差別言うような日本人は日本から出ない方が良い。そんなことは差別でも何でもない。それを差別というなら、もちろんあなたは世界中の人の民族や国籍の違いを正確に言い当てられる人なんでしょうね。そんな人がいるとは思えない。それが出来ない人が無教養?あなたがいう教養がある人なんて現実世界で見た事もあったこともない。私は大阪人と京都人すら見分けられないくらいだ。だから、外国人が自分を日本人だと見分けられなくても当然だと思っているから相手にも寛容でありたいと思っている。自分が不快に感じたらすぐに差別だという人の思考回路が全く理解できない。そういう人の存在が世界をギクシャクさせていることを自覚してほしい。あなたも無意識に相手を傷つけているのに気づいていないだけなのだから。
日本人は外国の人に対して『異国から来てるのだから、言葉や文化が違って不自由(不便)をしているのでは』と、気づかうから、
外国の方に対しては、日本人に対してする以上に『親切』に『寛容』に接する人の方が多いと思います。
日本語や日本の文化に不馴れで、何かをしようとした時に、誰かの親切に助けてもらわなければ、目的が達成できないうちは『外国人だから』って、区別されても仕方がないのではと思います。
例えば『外国人おことわり』の店があったとしても、「わたしは日本語話せます(わかります)。」「日本に来て○年ですから、マナーも心得ているし、ご迷惑はおかけしません」など、きちんと礼儀正しく交渉できる人なら、お店の扱いも違うと思います。
はじめての土地に数回来ただけで、いきなり現地の人と変わりなくとけこもうとするのは、何処の国であっても無理なことではないでしょうか。
日本人だって英語がつたないのに欧米に行ったら不自由もしますし、悪意はなくともマナー違反をしたら現地の人に嫌な顔されますし。
ただ、どんなに現地になれても見た目から、白人は白人。黄色人種は黄色人種。と言われるのは、差別っていうか本当のことだから仕方がないことのような。
わたしが外国で『ジャップ』って言われたら、『人種差別だ!!』なんて怒るより、恐いからなるべく穏便に、その場から急いで逃げようとしますけど。欧米の人は『人種差別だ!!許せない!!』と、立ち向かっていくんですか?凄いです。
「注:ブラックジョークは除く」を目にして、シャルリー事件を思い出しました。
あの漫画誌はムスリムだけでなく「フクシマの放射能で日本人は手が6本になった」のような漫画も載せていたそうですね。
「注意を払っている」という建前の一方で、ムスリムやイエローを中傷する「ブラックジョーク」には大笑い。
襲撃事件の後にフランス国民は「私はシャルリー!」と一致団結。この空気に水を差す非国民は子供だろうが逮捕。
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1825874.html
自分たちフランス人にはブラックジョークというレイシズム許可印籠を持っている。これがフランス人の意識ではありませんか。違いますか。
日本人の悪意のない人種差別と、フランス人の悪意のある人種差別。五十歩百歩だとしても、あえてまだましな方を選ぶとしたらどちらでしょうね。
蛇足ですが、アルジェリアやベトナムでのフランスの非人道的行為にいまだにフランスが謝罪しないのも、フランス人のレイシズムのためではないでしょうか。
人種やお国柄があるので価値観が違うし、差別する気がなくても差別的になってることってあると思う。私は、海外にでてないので、解ってない事も多いと思う。でも正直いうと白人が一番的な考えの人って一番多いと思うしやっぱりアフリカ方面は遅れてると言う考えもある。それが、差別と言われればそうかもしれない。でも白人社会が最初に近代化してるから、しょうがない。今、今までとまったく違う時代に来てることを一人ひとりが感じて考えるときなんでしょう。ちなみに、個人的に今大事にしたい言葉は、(人として 恥を知る)ということです。