南海電鉄の40代の男性車掌が日本語で「本日は外国人のお客さまが多く乗車し、ご不便をお掛けしております」との車内アナウンスをしていたことが10日、同社への取材で分かった。車掌は「差別の意図はなかった」と釈明。同社は「客を区別するのは不適切」と車掌を口頭で注意した。
これに対するネットでの反応は、男性車掌を擁護する意見が多かった。
- おそらく車掌さんは本当に差別などの意図はなく、単に「外国人に対して鉄道側が的確な案内・対応を取れず、ご不便を…」という意味で、言葉足らずだったのではないでしょうか。
- その電車に乗っていた客のほとんどはアナウンスに納得してたやろな…俺が乗った電車がもしそうなら次の電車に乗り換えるぞ
- 何か問題あるか?最近、ちょっとした言い違いや言葉のチョイスを誤っただけで騒ぎすぎ。
- 迷惑な外国人がいるのは事実
- 言いたくなる気持ち、わかるほどきっとひどかったのだろう。その外国人、大体想像できる。
確かに、これらの意見もよく理解できる。日本でのマナーをよく知らずに(調べずに)、自分の国のルールと同じように観光している外国人は、実際に多い。
事実、日本に生活する外国人が作成したYOUTUBE動画(英語&仏語)を見ていると、日本で注意するべきこととして、「電車のなかではヒソヒソ声で話すように」と紹介しているものが少なくない。日本に来る外国人はこういった動画を見て下調べをして来ている人ばかりではないので、マナーの悪い迷惑な観光客が少なからずいるというのは事実だろう。
↓車内のあまりの静かさに、「誰か死んだの?」と思う外国人観光客
そう考えると、この車掌さんは言葉足らずで誤解を与えてしまう発言ではあるが、悪意はなく、外国人差別したとはいえない。しかし、人種差別だと疑われてしまう不適切な発言だと責められてもしょうがないと思う。そしてこういった発言は誰しもがウッカリ言ってしまう可能性のある失敗だともいえる。
それでは、このような悪意のない人種差別発言をウッカリ言ってしまわないためにはどうしたらいいのだろうか。誤解を与えることなく、スマートに外国人観光客を注意する方法はあるのだろうか。
それには、まず日本人と移民の多い国の「国際感覚のギャップ」を自覚することが大切ではないかと思う。日本は島国で、欧米などの他の先進国に比べると、外国人の少ない国だ。だからこそ、知らず知らずのうちに「日本人」と、「日本人じゃない人」を区別していて、それが無意識的にこの車掌さんのような発言につながるのではないかと思う。
この感覚の違いというのは、筆者もいまだに驚かされることがある。
例えば、以前、フジテレビの『ホンマでっか?TV』を見ていたときのことだ。ディーンフジオカの祖先の話になって、生物学の池田先生が「日本人は祖先をたどると遺伝的に渡来人との混血がほとんどで、ピュアジャパニーズはほとんどいない」と言った。それを聞いた番組出演者が、「へぇー!純血の日本人って少ないんですか!」と、驚いていた。
このシーンを横目で見ていたフランス人の旦那は、とてもショックを受けたようだ。
「こんな会話をテレビで放送するなんてありえない。めちゃくちゃ人種差別。フランスのテレビで同じことをしたら、色んな団体から抗議の電話が殺到して訴えられると思うよ。」
確かに色んな国籍や人種、宗教が混じり合ったフランスでは、こんな会話を放送できないだろう。フランスが差別のない国だとは思わないが、日本より異文化が混同しているぶん、個人や団体の発言には日本人より注意を払っているように感じることが多い(注:ブラックジョークは除く)。
教養のあるフランス人たちは人種差別など、話題がセンセーショナルな方向へ行くと、たくさんのクッション言葉を使う。「私が知らないだけかもしれないけど」、「批判しているわけではなくて興味があるから知りたいんだけど」、「フランスもダメなところはいっぱいあるけど…」のような具合だ。
このような配慮は多様な価値観を認める国際社会では、なくてはならないものだ。言葉の配慮は、異文化が互いに気持ちよく生活していくための知恵だと言える。そして、これを幼いころから親にしつけられた人が、大人になって島国ニッポンにやって来ると、そのギャップに驚く。
これまで普通だと思っていた外国人への配慮が自分にはなされず、日本人の無邪気で悪意のない差別発言にショックを受ける…。これが、今回の南海電鉄の車掌さんの発言を聞いた、外国人の気持ちではないだろうか。
しかし、だからと言って、「日本人みんなが欧米の感覚になれ」とは筆者は思わない。こうやって外国人が日本で「ドキッとするような発言」をされることも異文化体験ではあるし、海外在住者の立場から言えば、発言者に差別の意図がないのなら流してあげるというおおらかさが絶対に必要だと思うからだ。
筆者もフランスでこれまで、「これって差別?」と思うようなイラッとする発言をされたことが何度かある。
- 「中国人ですか?」と聞かれ、「日本人です」と答えたら、「似たようなもんじゃん!」と言われた。
- 歩いていると、大きな声で「二―ハオ!」と挨拶された。
- 「中国にもフォマージュ(チーズ)ってあるの?」と聞かれた。 …などなど
こういう発言をする人を観察してみると、悪気がなく、本当に日本と中国の違いがよくわかっていない場合が多い。知らないのだからしょうがないし、悪意がない人に腹を立てても、エネルギーの無駄でしかない。
ただ、心の中で、「この人は教養がないんだな…」と、残念に思う。あまり外国人と接したことがなく、自分と趣味嗜好が似た人ばかりと付き合ってきたんだろうな…と邪推して、かわいそうだなぁとすら思ってしまう。
別に誰しもが外国人とつきあわなければいけないというわけではないが、「外国人」の立場に立ってみると、このような素っ頓狂な発言をされるたびに、急速に相手と「仲良くなりたい」という気持ちが薄れていってしまうのは否めない。
2020年に東京オリンピックを控え、観光立国を目指している日本なのだから、国民がこれまでのように「日本人」と、「日本人じゃない人」を区別していていては、もうダメな時代になってきているのではないだろうか。外国人が生活のなかにいることを想定し、区別をするのではなく「同じ人間」として接する道徳心を学んでいくべきだと思う。
でなければ、せっかく日本に来る外国人が増えても、「日本人は国際感覚に欠けた教養のない人種」だと世界に誤解を与えてしまうことになりかねない。