ホームニュースパリテロから一週間、とうとうノイローゼ気味になってしまった。

パリテロから一週間、とうとうノイローゼ気味になってしまった。

パリでの同時多発テロから今日で1週間となる。テロの脅威は去ったかとの質問に対し、バルス首相が「なお脅威はある」と言ったように、パリでは未だに街全体が緊張状態だ。

パリを歩けば、拳銃を持った警察や軍がそこらじゅうにいる。至るところで、警察パトカーのサイレン音が聞こえる。観光客はいつもより少なく、人もまばらで閑散としたもの寂しい雰囲気だ。街ゆくフランス人の会話からも、テロの話が聞こえてくる。地下鉄の電車に乗れば、セキュリティチェックという理由で電車が数分停車する。

仏テレビでは、フランスの政治家たちが声をそろえたように「On n’a pas peur!(怖くない)」と言うが、これだけ物々しい雰囲気で緊張状態にあるパリを見ていると、正直言って怖い。特に、筆者の住んでいるパリのビジネス街、ラデファンス地区での新たなテロを計画していたというニュースを知らされて以降は、いよいよ身の危険が迫ってきたようで、昨日もあまり眠れなかった。

怖がりすぎだと笑われてしまうかもしれないが、大きな物音にいちいち反応してしまったり、誰かが遠くで大きな声を出しただけで、何かあったのではないかとビクついてしまう。こんな自分を、哀れむ気持ちと「そんなに怖がるなんて情けない」と自嘲する感傷にひたる。

何か進展があるのではないか、何か自分の知らない情報が流れているのではないかと、一日中そわそわして、テレビをつける。24時間ニュースを報道しているBMFテレビにチャンネルを合わし、「よし、何もなかった」と一安心しては、「他のことを考えなくちゃ」と別のことを始めるが、気がつけばまたテロのことを考えている。

戦地から逃れてきたかのように、バタクラン広場から叫び出て来た人の映像がふと頭に浮かび、ぞっとする。

この1週間、テロの話ばかりで心底疲れた。もう、ニュースなんて見るのをやめようかとも思うが、それでもやっぱり気になってテレビをつけてしまう。そして、テロの遺族のインタビューを聞いては胸が締め付けられるように苦しくなり、悲しくなって涙する。

今週は旦那が出張で家にいなかったこともあって、不安感がピークに達したようだ。私はノイローゼになってしまったのだろうか。

パリのテロ以降、色んな人から「気をつけてね」と言われるが、正直何を気をつければいいのかわからない。気をつけても避けられないから、“テロ”なのではないのか。市民が気をつけて避けられるものは、“テロ”にはならないと思う。

だいたい、気をつけようとしたって、みんな働きに出ないわけにもいかないし、家に閉じこもってばかりではいられない。できるだけ「普通」を装うが、心の中は不安でいっぱいだ。

パリの「テロに屈しないぞ」という雰囲気のなかではとても言いにくいが、怖いものは怖い。怖がってばかりではいられないと、自分を奮い立たせようとするが、それでもやっぱり怖い。

そして、こんな自分を情けなくも思う。

1週間前までは、「楽しいクリスマスをどう過ごすか」を考えるような、平和な日常だったのに、どうして今はこんなに怖い思いをしなくちゃいけないんだろうと、どこにもぶつけられない怒りがわいてくることもある。

パリのテロが一日も早く、「過去」になってほしい。早く忘れて、早く元通りになってほしい。

今週末は、マルシェ・ド・ノエルにでも行ってみようか。できるだけ、いつも通りのことをしよう。できるだけ普通の毎日を送ろう。

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